<第三者委員会>

pressココロ上




 2週連続で更新日が遅れてしまっていますが、理由は中々「時間がとれない」という単純な理由です。そして先週の忙しさは国民年金が原因です。このコラムで書いたことがあるかないか記憶が定かではありませんが、僕たち夫婦は国民年金加入期間に自分たちの記憶と日本年金機構の記録に相違がある、いわゆる「消えた年金」とか「宙に浮いた年金」といわれている該当者にあたります。先週は、そうした年金記録を修正してもらうべく年金記録確認第三者委員会での意見陳述に出向いたのでした。 
 今から約6年前、消えた年金5000万件が表面化したとき当時の安倍首相は「最後の一件まできちんと判明させる」と語っていました。その後民主党政権になり社会保険庁から日本年金機構へと移行しましたが、まだ解明にはほど遠い状況のようです。
 僕の年金記録が消失した原因は転居にあります。僕は結婚当初はA市に住んでおりそれからB市に引越し、現在のC市に住んでいます。つまり転居を2回していることになります。
 僕の年金記録消滅はA市からB市に引っ越したときに起きました。B市からC市への転居の際は正当に手続きが行なわれていました。具体的にはA市からB市に転居したときに年金手帳を取り替えられてしまったのです。
 僕は自営業者になってから夫婦そろって国民年金に加入していました。しかし、初めて「ねんきん特別便」が送付されたきてその記録を確認したところ、最初に加入したA市に居住していた期間がすっぽり抜け落ちていました。
 こうしたことが起きた原因は役所の担当者の知識的未熟さにあると僕は想像しています。国民年金は転居をしたときは住所変更の手続きをしなくてはいけないのですが、その手続きのやり方に手違いがあったばかりにA市に住んでいた当時の年金記録が全て消失してしまったのでした。
 少し細かい話になってしまいますが、読者の方にも参考になると思いますので説明いたします。
 基礎年金番号は全部で10桁の数字になっていますが、はじめの4桁は最初に加入した社会保険事務所を表しています。もちろん僕がそうしたことを知ったのは年金期間に間違いがあったことで勉強したからですが、現在の僕の基礎年金番号はB市の社会保険事務所の番号になっていました。本来なら僕のはじめの4桁は最初に加入したA市の番号ではじまっていなければなりません。
 この事実を知ったときに、僕は初めてA市に住んでいた期間の記録が全く消えてしまっていることに気がつきました。そこで当時の社会保険事務所に出かけたのですが、保険事務所内は確認をする人たちでごった返しており、保険事務所の担当者もこちらの話を聞くというよりも「抗議を言ってくる人たちを捌く」といった感じでした。とにかく抗議を言わせてできるだけ早く返すだけで精一杯のようでした。つまり真剣に基礎年金番号を探すというような雰囲気は微塵も感じられませんでした。
 結局、約1年後に送付された通知には「探しましたが、見つかりませんでした」という内容の文面があるだけでした。そのような文書によるやりとりを社会保険庁とは2~3度したあとに、最終的に社会保険庁(終わりのほうは日本年金機構と名前を変えていました)からは「年金記録確認第三者委員会(以下第三者委員会)」に異議申し立てをすることを勧められました。ここまでくるのに約3年の月日が流れていました。
 ここまでの社会保険庁または日本年金機構の対応を見ていますと、面倒で複雑そうな案件はできるだけ第三者委員会にまわすように画策しているように僕には感じられました。それはともかく、第三者委員会に異議申し立てを勧められたのが昨年の後半のことでした。
 しかし、そのときの僕の心境としましては、自分たちの主張を述べる場所を安易に第三者委員会に移すことに不安を感じていました。それは第三者委員会という場は、異議申し立てという抗議をする最終段階という意識が働いていたからです。もし、第三者委員会でも僕たちの異議申し立てを否定されてしまうとそれ以上の手の打ちようがなくなってしまうと考えていました。つまりその時点で僕たちの消えた年金は消えたままで終わってしまうことを意味します。僕はそれが不安でそのままの状態で放置していました。
 僕はそうした状態を放置しながらもある期待を抱いていました。それは、A市に住んでいたときの年金番号および記録が発見されることでした。
 その時点でも消えた年金もしくは宙に浮いた年金の状態になっている年金記録がまだ数千万件残っていました。ですから、今後僕たち夫婦の消えた年金番号が出てくる可能性もあります。僕はその可能性に期待していました。
 しかし、年が明けても春になっても朗報は届きませんでした。そこでついにしびれを切らし第三者委員会に異議申し立てをすることにしました。今年の初夏のことです。
 申し立ては文書でするのですが、年金機構に申し立ての趣旨を伝えるとすぐにその用紙は送られてきました。また、同じ用紙をネットでダウンロードも可能でした。全部で12~13枚の用紙でしたが、そこには質問事項がたくさん書いてありそれに答える形式になっていました。しかし、僕の感想としては質問事項が的を得たものではないので、僕の主張したい核心をついた主張内容を伝えることができないように感じました。仕方なく僕は質問事項に答える用紙のほかに自分の主張したいことを別紙に書き添付して送付しました。
 僕が一番主張したいことは「引越しの際に年金番号が変えられたこと」の一点です。
 それから1ヵ月半くらい過ぎたころ、第三者委員会の調査員という方から電話連絡がありました。僕の異議申立書の内容に関することの確認および追加での証拠類の提出の要請でした。異議申立書は質問に答える形式で書かれているのですが、大雑把に質問内容を説明しますと、消滅している期間に保険料を支払ったことを僕たちに証明させようという目的のものが大半です。しかし、今から30年も前の保険料を支払ったときの状況を誰が逐一覚えているでしょう。
 「最初に国民年金に加入しに行ったときの役所ではどんな用紙に書いたか?」とか「保険料はどこの金融機関を使って納めていたか?」とか「そのときに一緒に支払っていた公共料金などはないか?」などと質問されても答えようがありません。曖昧なことを答えてしまうと、反対に疑われることのリスクさえこちら側としては考えてしまいます。
 結局、調査員の方とは異議申立書を土台にして調査のためのやり取りを電話で数回やり、また僕の確定申告書を追加で提出したりといろいろしました。
 先ほども書きましたが、どんなに証明するものを提出しろと言われても30年も前のことですので今さら新事実が出てくるわけがありません。しかし、そのやり取りの中で僕にとって有利な発見がひとつありました。それは一部の期間ですが、消滅している期間に保険料を納めていたことが確定申告書で証明することができたことでした。一部の期間でしかないのは残念ですが、少なくとも消失とされていた期間にA市での年金番号が存在していたことは確認できたことになります。
 実は、この段階で僕は、消滅期間が修正される可能性が高くなったと思っていました。しかし、それから2ヵ月後にあった電話連絡は僕を落胆させるものでした。
「今の調査状況では、加入していたことになりそうもない」
という内容でした。そして続けて言うのでした。
「今のまま結論を出すのは○○さんにとって損ですので、第三者委員会に出席して直接意見陳述をしませんか」
「しませんか」という優しい言葉遣いではありますが、実はその言い回しが実に微妙で、「出向かなければ損をするのは自分ですよ」という嫌味のニュアンスとともに強要の臭いも漂っていました。僕はすぐに「出ます」と答えるのも悔しい感じがしましたので1週間の期間を延ばして出席することを伝えました。
 実は、僕自身も第三者委員会というものに出席したい気持ちもありました。そうそう経験できる出来事ではありませんし、総務省の末端機関であり出先機関でもあるその仕事場で働いている人たちを直接見てみたい気持ちもあったからです。電話でやり取りをしていた担当者の顔も見てみたかったですし、コラムのネタにもなりますし…。
 長くなってきましたので、第三者委員会での模様は来週ということで…。
 ところで…。
 キムタクのドラマが最終回でしたが、妻は真剣に見ていました。その真剣な眼差しにつられて僕も観たのですが、結構面白かったです。やっぱりドラマは脚本が一番です。僕には脚本家がドラマで主張したいことがしっかりと伝わってきました。
 昔、どこかのカード会社がキャッチコピーにしていましたが、『PRICELESS』は今の時代だからこそ求められている価値観かもしれません。なんでもかんでもお金に換算しようとする世の中に対するアンチテーゼとなる考え方です。資本主義に対する反論のようにも思えます。
 ドラマの最後の場面で金田一との3人が出て行くうしろ姿を見ていた僕は昔見た映画「明日に向かって撃て」を思い出していたのですが、脚本家の方はそれが頭の隅にあったのでしょうか…。
 それはともかくドラマは素晴らしい脚本があって初めて俳優が活きていきます。政治の世界にも素晴らしい脚本家がいればなぁ…。
 じゃ、また。




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