<周知力>

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 我が家から駅までの途中に、昔、駄菓子屋さんがありました。今の若い人には駄菓子屋さんといって通じるのでしょうか。1個20円とか高くても100円くらいのお菓子だけを扱っている子供向けのお店です。僕が小さかった頃は商店街に必ず1軒はありましたが、もうかなり前から見かけることがなくなりました。そもそも、現在は商店街自体がほとんど消滅しているような状況ですから駄菓子屋さんを見かけなくなったのも当然かもしれません。
 このお店については、以前コラムで書いたことがありますが、先日、久しぶりにそのお店の前を通りました。既に閉店していたのは知っていましたが、店先のテントがほぼ全て破り果てていました。鉄の骨組みだけが無造作に剥き出ている様は哀しいものがあります。
 車で10分ほどのスーパーに1ヶ月に数回買い物に行きます。その途中に今川焼き屋さんがありました。60才後半、ややもすると70才を越えているかもしれないおじいさんとおばあさんが営んでいました。店先は2~3メートルほどしかなく、店内も3坪くらいしかないような小さな店舗でした。先日、そのお店が閉店しているのを知りました。降りたシャッターに貼ってある、マジックで書かれた閉店案内は寂しいものがあります。
 この両方のお店には共通点がありました。どちらも店先の人通りが少ないことです。ですが、僕が知っている限りでも10年以上続いていましたから、快挙といえます。そして、その快挙が可能だった理由は家賃というコストがかからなかったからです。
 どちらも住宅の一部を改造して店舗にしていました。もちろん、通りには面していましたが、基本的に店舗に適している場所ではありません。そのような環境でも家賃がかかりませんので、バイトやパートとして外で働く収入と同じくらい、もしくはそれ以上の収入が見込めます。もちろん、接客技術は大切ですが、人通りが少なくてもなんとかやっていけます。
 僕も同じような環境でコロッケ店をやっていました。しかし、僕の場合は借り店舗でしたので限界がありました。詳しくはコロッケ店の体験談に書いていますが、やはり、人通りは重要です。
 コロッケ店の体験談で紹介していますが、店舗を探しているときに出会った飲食店を営んでいた30代半ばの夫婦はその重要性を実感していなかった例です。
 ご主人のほうは繁華街で店舗を運営していた経験がある方でした。繁華街は典型的な人通りが多い場所です。そうした経験しかありませんでしたので、人通りの少ない場所という実感が湧かなかったのだと思います。運営とはいっても資金は出していなかったようですので、その点にも甘さがあったのかもしれません。人間は、自分の懐が傷まないと実感できない性質を持っています。
 話は少し触れますが、先週は株価の乱高下がマスコミを賑わしていました。日銀の新総裁に黒田氏が就任してから円安と株価の上昇が始まりましたが、そのときの水準に近い数字に戻ったと報じていました。
 しかし、円の価値にしても株価にしても変動に一喜一憂しすぎではないでしょうか。金融関係者が少しの変動に対して敏感に反応するのは当然としても、一般の人はほとんど影響を受けないはずです。ですから、一般のマスコミなどはこれらの変動については小さな扱いのほうがよいように思います。金融関係者や専門家が読むようなメディアが大々的に一面で報じるのは理解できますが、一般紙までもが同じように大きく報じる様子には疑問を感じます。
 先週の新聞に「民鉄モデル」という記事が載っていました。民鉄モデルとは民間の鉄道の経営手法を指していますが、これを考えたのは阪急グループの生みの親である小林一三氏だそうです。
 小林一三氏についてご存知の方はどれくらいいるのでしょう。ビジネス界の歴史にある程度精通している人には知名度がありますが、そうでない人はあまり知らないかもしれません。関西を中心とする阪急グループですので、関東の人は特に知らない確率が高いように思います。
 例えば、経営の神様といいますとすぐに松下幸之助氏の名前が思い浮かびます。あまりビジネスに興味のない人でも、松下氏の名前を知らない人は少ないはずです。「経営の神様」という称号は知らなくとも松下氏のことは知っている人はたくさんいます。知名度でいいますと、小林氏は松下氏に敵いません。
 僕が考えるその理由は、周知力にあります。どれだけ社会に名前を知らせることができるかが勝負の分かれ目です。周知力とは僕の造語ですが、小林氏と松下氏では比べようがありません。
 経営者としての現役時代に残した業績を比べますと、小林氏は松下氏に決してひけをとりません。個人的には、小林氏のほうが上を行っているようにさえ思っています。先に紹介しました「民鉄モデル」がほかの経営者の手本となっています。
 「民鉄モデル」を簡単にいいますと、電車を走らせ、その沿線を開発し、バスやタクシーを走らせ、商業施設を設置し、地価を上げる。こうした一連の流れの総合的な経営で利益を出すやり方です。新聞の記事では「乗客を創り出す」と表現していました。宝塚歌劇団もその一環です。
 日本全国を見渡しますと、この経営手法がとられていることは一目瞭然です。規模に違いこそすれほとんどの民間鉄道会社はこの手法をとっています。この事実は、いかに小林氏の経営才能が優れていたかを示しています。
 それでも知名度では松下氏に敵いません。
 松下氏は知名度を上げる能力に長けていました。そのことを示す最たるものはPHP研究所という組織を作ったことです。本屋さんに行きますと、現在でもビジネスコーナーでは松下氏の教えを説いた本が並んでいます。実は、これはとてもすごいことです。
 どんなモノでもコトでも、第一線であり続けることは容易ではありません。世の中は諸行無常、栄枯盛衰が常ですから、その中で第一線に居つづけることは簡単ではありません。それほど難しいことを可能にしている要因は松下氏が創設したPHP研究所にあります。
 経営に関する本にしても、入れ替わりは常にあります。いつの時代も新しいものが出てくるのが普通ですから、それらとの生存競争に負けないだけの存在感がなければ経営の本として生き残ることはできません。本屋さんの棚を見て、それを適えていると思えるのはカーネギー氏やドラッカー氏などほんの一握りの人だけです。その中に松下氏も入っています。そして、それはPHP研究所の功績です。
 このように書きますと、メディアを作れば誰でも第一線であり続けられるように思われるかもしれませんが、そうでもありません。
 地産グループという企業群をご存知でしょうか。僕は80年代後半バブルの頃に知りました。創業者は竹井 博友氏という方でしたが、この方も松下氏と同じような実績を積んでいた方でした。そして、この方も松下氏と同じように倫理を説き社会に役立つ生き方などを啓蒙し、メディアも自前で持っていました。当時、僕はそうした本を読んでとても感動した記憶があります。竹井さんて凄くて偉い人だなぁ…。
 ですが、最後は脱税で逮捕され実刑判決を受けてしまいました。いくらメディアを作ろうが行動や実績が伴わないなら経営者の手本として生き続けることができない例です。
 僕が最近、本屋さんで思うことがあります。それは広告関係の人の本が売れていることです。今週の本コーナーで紹介している本も元博報堂と元電通マンの本ですが、それ以外にもたくさんあります。
 広告関連の仕事といいますと、最初に思い浮かぶのはコピーライターですが、それ以外にもCMプランナーとかメディアクリエーターなど横文字のものがたくさんあります。そうした仕事をしている人の名前を挙げますと、糸井重里氏、仲畑貴志氏、佐藤 雅彦氏、佐藤可士和氏、箭内道彦氏などなど…。こうした方々の名前はなにかしらのメディアで見聞きしたことがあると思います。それだけ影響力があることを示しています。
 しかし、僕はそこに疑問を感じてしまうのです。周知力があるものだけが生き残るという状況に違和感を持っています。反対であってほしいと思っています。生き残っているものが周知されるのが本当の姿ではないでしょうか。そうでないと、小細工のうまい人だけが成功するような時代になりそうで不満です。
 華やかでもきらびやかでもないけど、地道に生きている人が幸せを感じる社会が理想の社会です。
 と、これが僕の考えですが、これを周知させなくちゃ意味がないのが悩ましいところです。
 じゃ、また。




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