<温度差>

pressココロ上




 ここ1~2週間、マスコミで頻繁に取り上げているニュースに特定秘密保護法案があります。この傾向はテレビや新聞などで特に顕著ですが、この法案の危険性を強く訴えています。この法案の表向きの趣旨は「国家の安全保障に関して重要な情報を特定秘密に指定してその秘密を外部に知らせたり外部から知ろうとする人などを処罰すること」です。
 しかし、マスコミや知識人、ジャーナリストの方々がこの法案に対して危惧し、または反発しているのは、この法案が戦前の「知る権利を制限する法律に拡大解釈される」悪法につながるからと考えているからです。テレビなどで盛んに引き合いに出される例としては「政府にとって都合の悪い情報を取材する行為」さえ処罰される可能性があることを指摘しています。つまり、国民の知る権利が阻害されることを懸念しています。
 マスコミの人たち必死に訴えていますが、一般の人の反応は鈍いように思います。マスコミが訴えているいるほどこの法案の危険性に対して不安感が盛り上がっていません。僕の印象では、社会人の中でも中高年以上で社会に対して高い関心を持っている人だけが法案の行方を見守っている感じがしています。
 また、先週は選挙における「一票の格差」についての裁判の判決についてもマスコミで大きく報じられました。しかし、この問題もマスコミが大きく取り上げている割には一般の人の関心は強くないように思います。「一票の格差」を簡単に言ってしまいますと、人口が多い都会と人口が少ない地方で代議士の人数が同じでは同じ一票でも重みが違うということです。この格差があることに対して異議を申し立てているわけです。
 僕のこのような説明を受けて単純に「なるほど」と思った方は注意が必要です。なぜなら、人口に比例するだけで代議士の人数を決めることこそ問題があると考える人もいるからです。人口の人数に応じて代議士の人数を設定したなら、日本の政治は都会の論理だけで決まることになってしまいます。それこそ不公平ですから、そうした不公平をなくすために現在の一票の格差は設けられています。
 どちらの答えが正しいかはともかく、僕は一票の格差をなくすことを訴えている方々の顔ぶれをみいろいろなことを考えてしまいます。
 たぶん、ご本人方は純粋に日本の政治をよくしようという気持ちで取り組んでいるのでしょうが、少しひねくれた性格の僕には単純にそうは思えないなにかがあります。
 そもそも一票の格差について訴えているグループはひとつではなく複数あるそうですが、まずはそれが不思議です。同じことを主張するのに複数の団体に分かれていることが不思議です。こうした状況はほかの場面でも見られますが、僕が一番印象に残っているのは原爆廃止運動です。
 詳しい内容は省略しますが、これは政治的な背景が異なることが原因で2つに分裂しています。外からみますと、統一したほうが運動が盛り上がり社会に与えるインパクトも強くなるように思えます。ですが、面子が邪魔をして、または主導権に関する思惑などが働き、統一がなされていないのが実情です。
 僕はこうした状況をとても悲しく思い、そうしたことが為政者を増長させる要因になっているとさえ思っています。
 話を一票の格差に戻しますと、新聞の写真で真ん中に陣取り大きなキャッチコピー紙を掲げている方々は弁護士の方々です。しかも全員が全員とも高額報酬を得ていることで有名な方々です。僕が違和感を感じる原因はそこにあります。
 人間はお金で満足すると次は名誉がほしくなる生き物ですが、こうした方々の行動はまさにそれに当てはまるのではないか、と想像してしまいます。高額報酬を得るということはお金持ちの側の味方になることです。高額報酬を得るには高額な顧問料を支払う財力を持っている顧客を抱える必要があります。つまりお金持ちの味方になる人たちです。そうした人たちが社会的正義を声高に叫んでも今ひとつ素直に受け入れられない気持ちがあります。咽喉の奥に小さな骨がひっかかった感じです。
 但し、この中でひとりだけ「へぇ~」と思わせる人物がいました。それは伊藤塾という司法試験専門の塾を開いている伊藤真さんという弁護士さんです。ちょっとこの中ではこの人だけは毛色が違うように感じたのですが、「どうしてこのメンバーに入ったのかなぁ」という感想を起こさせました。
 話を特定秘密法案に戻しますと、一般の人たちはマスコミ人や知識人の方々が思うほど危機感を持っていないのは大きな過ちかもしれません。もしかすると、日本が戦争に突入していった時期のはじめというのは「こういう感じだったのかかなぁ」などとも思っています。社会に対する無関心という風潮です。しかし、それがあながち過ちとも思えない気持ちが僕にはなくもないのです。
 僕にそう思わせる理由は、マスコミ人や知識人の人たちの心の中に上から目線を感じるからです。
「この法案にはこんなに危険がことが隠されているのに、一般庶民にはわからないのか!」
 といったニュアンスです。このように大上段に構えるマスコミおよび知識人ですが、そうした人たちが先の戦争では政府の片棒を担いでいた事実があります。それが僕がマスコミや知識人の指摘に全幅の信頼をおけないところです。
 実は、僕も今のところはよく危険度が理解されていません。本当に、危険ならばなぜ与党だけでなく野党までもが受け入れるのか。それが不思議です。あるジャーナリストによりますと、「この法案は国会をないがしろにする法案なのに、そのことに国会議員が気がつかないのが情けない」とのことですが、名前だけの国会議員がいることは否定しませんが、立派な見識を持った国会議員もたくさんいるはずです。そうした人たちの反対の声が大きく聞こえてこないのが不思議です。
 ただひとり片山虎之助議員が反対の声を上げていることは少し気になるところです。現在日本維新の会に在籍している片山議員はかつては自民党の中枢にいた方です。僕はこの人の行動・振る舞いには感激している部分がありまして、僕の中では立派な政治家のひとりに入っています。この人が反対姿勢を見せて点が気にかかるところで、それが唯一僕にこの法案の危険性を感じさせるものです。
 まだこの法案の危険性について実感をしていない僕ですが、この僕でも法案が可決されるまでのスピード感には危険性を感じています。とても早いスピードで可決へ向かっているのは、やはり今のうちに早く「可決しておけ」という嫌な意図が働いているように感じられます。
 仮に、この法案が本当に危険な法案だとした場合、この法案の言いだしっぺは誰なのか気になるところです。それを大きく報じることで国民感情も大きく変わるかもしれません。マスコミは報じ方を間違えているように思います。CM界で売れっ子の佐藤可士和さんや佐々木宏さん、または小山薫堂さんなどを起用すれば絶対に風向きが変わり盛り上がること間違いありません。マスコミが本気で心配し、危惧しているならそれくらいのことをしなければ盛り上がりを作ることはできません。早くしないと、今週中にも法案が可決されてしまいます。
 さて、国民とマスコミ・知識人・ジャーナリストのこの温度差はどちらが正しいのでしょうか。
 ところで…。
 自己啓発の本や経営に関する本によく出てくるたとえ話があります。コラムでも幾度か紹介したことがあるような気がしますが、構わず紹介します。
 熱湯にカエルを入れますと、カエルは熱さに驚いて飛び出します。しかし、ぬるいお湯の状態から少しずつ温度を上げていくと、カエルは温度に鈍感になり茹で上がってしまうまでお湯に入っていて最後は死んでしまうというお話です。
 ぬるま湯につかっていることの弊害を訴えた寓話ですが、人間も同じことがいえます。平和な国、日本で生活している国民は果たしてぬるま湯につかっているカエルと同じなのでしょうか。
 じゃ、また。




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