<能力と環境>

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 一時期、「V字回復」という言葉が流行りました。きっかけは日産の再建請負人としてルノーからやってきたカルロス・ゴーン氏が1年で業績を復活させたことでした。以来、短期間で業績を回復させたことを「V字回復」というようになりました。
 最近の中でV字回復を成し遂げた例を上げますと、その筆頭に日本航空があります。倒産寸前といわれていた日航が見事に数年で立ち直ったのですから、周りから評価されて当然です。そして、それを成し遂げた経営者は稲盛和夫氏です。
 わざわざ言うまでもありませんが、稲盛氏は京セラの創業者として世界的企業に育て、KDDIの創業者でもあり、稲盛塾という経営者を対象にした塾まで開いていますので経営者中の経営者といえます。いわゆる「立志伝中の人物」といわれる人ですから「再建を成し遂げて当然」という考え方もあります。しかし、それでもやはり実際に実践したのですからその功績は評価に値します。
 本屋さんに行きますと、稲盛氏の本が以前にも増して並んでいます。やはり日本航空を再建したことでその経営手法および実績、または人生観が再注目されたことが理由です。
 ですが、実は僕は「V字回復」に懐疑的です。昔から再建王とか再建の神様などと異名をとる経営者がいました。戦後では坪内寿夫氏や大山梅雄氏、早川種三氏、土光敏夫氏などの名前が浮かびます。この中には最後まで名経営者の名に恥じない業績の人もいれば、晩年は再建王の名が似つかわしくない業績になった人もいます。
 また、再建を成し遂げたとしても、再建を引き受ける際に「負債を棒引きすることを条件にしていた」として評価に値しないといわれた人もいました。こうした点が、「実際のところはどうなのか」とマスコミを通じてしか事情がわからない僕が懐疑的になる理由です。
 ゴーンさんもそうですが、短期間で業績が回復したのは「あくまで財務上の数字に過ぎない」と僕は思っています。財務上とは帳簿上と言い換えてもいいですが、工場や人件費を減らせば当然経費は減ります。負債を返済しても同様です。このようにして利益が復活したと自画自賛されても僕としてはにわかに信じられない気持ちになります。
 常識的に考えて赤字に陥っていた企業を回復させられるのは「画期的な製品が開発された」とか、「世界初の発明があった」というような売上げを増加させる方法が見つかった場合に限られます。例えて言えば、ジョブズ氏が舞い戻ったアップルです。iPod、iPhone、iPadはまさしく画期的でした。そうしたことがないにも関わらずV字回復というのは実績ではなく帳簿上の改善にすぎません。
 同じことが日本航空の業績回復にも当てはまると思っています。マスコミでも報じられましたが、6つも7つもある労働組合が存在することが根源的な理由で「無駄な人件費がかかっていた」とか、「退職した社員に支払う年金が多すぎた」ことなど、要はそのような無駄を削っただけのように思います。
 確かに、そうした荒療治を実行する行動力は素晴らしいものがあると思いますが、それはあれだけの危機的状況でしたから、社員が待遇悪化を受け入れる気持ちになっていたことが大きい要因です。そして、それが実行できたのは稲盛氏が日航の人間ではなかったからです。しがらみがなかったからです。
 実は、日本航空は元々半官半民でしたので誕生以来親方日の丸意識が強く、それが経営を圧迫しているといわれていました。労働組合が6つも7つもあったのはそうした意識が根底にあったからです。
 今から大分前ですが、そうした弊害を取り除くべく、当時の中曽根首相がカネボウの伊藤淳二会長を日本航空の会長に招きいれたことがあります。しかし、志半ばにして返り討ちに合い、結局なにも改善できぬまま会長を去ったという歴史があります。あれだけの労働組合を懐柔するのは並大抵のことではありません。まだ、時代が熟していなかったことが原因です。
 話は少しそれますが、中曽根さんは国鉄を民営化した功労者ですが、国営の弊害を改善することをいち早く考えていた先見の明は素晴らしいものがあります。国労や動労など労働組合の人たちは反感の気持ちしかないでしょうが、民営化していなかったなら国鉄の赤字を補填するために国家財政が大変な負担を抱え込んでいたのは間違いありません。
 話を戻しますと、稲盛氏の功績で日本航空は曲がりなりにも回復しましたが、それを可能にしたのは政権交代です。民主党が政権をとらず前原氏が国交省の大臣に就任しなかったなら稲盛氏の会長就任はなかったはずです。そして、稲盛氏が会長に就任する際に行われたのが様々な日本航空への優遇処置でした。それらがなかったなら再建は不可能だったでしょう。これはカルロス・ゴーン氏が再建に成功したのと同じです。
 つまり、タイミングさえ合えば、「誰でも」といっては語弊がありますが、ある程度の経営能力を持ち合わせている経営者ならV字回復を成し遂げていたのではないでしょうか。
 なんか最近、そういう思いが強くなりました。
 ところで…。
 先週は、人間の能力について考えさせられる衝撃的なニュースがありました。産まれたときに「取り違え」があり、本当の親とは違う親元で育てられたというニュースです。まるでドラマを地でいくような事実が伝えられました。
 その男性は現在60才になるそうですが、育てられた環境は決して裕福とはいえない環境で中学を出たあとに定時制高校を卒業し、町工場に勤めたそうです。お父様が早くに他界され女手ひとつで育てるですから、どれくらい苦しい生活だったかは容易に想像がつきます。
 この男性と取り違えられた赤ちゃんが育った家は裕福な環境で、家庭教師がつき大学または大学院まで進学できたそうです。その男性は現在、不動産会社の社長を務めているそうです。本来なら、この男性が街工場で働いていたはずです。
 このふたりの男性の人生を比べるとき、人間の能力と環境について考えさせられます。野球の天才イチローには持って産まれた才能があることは誰でもが認めるところですが、その才能が開花したのはそのための環境が整っていたからです。もし、イチローの家庭が貧しく野球などやっている場合ではなかったなら、イチローの野球の才能は死ぬまで開花されることはなかったでしょう。
 格差社会といいますが、格差社会の一番の問題点は機会の平等が妨げられることです。どんな家庭環境に生まれるかは自分で決めることはできません。ましてや、なにかしらの間違いがあり、本来の家庭環境とは違うところで育てられることもあります。
 人生って、能力よりも運が占める割合のほうが高いような気にさせられる事件でした。でも、成功したひとたちは、「運も努力のうち」といいます。
 じゃ、また。
 追伸:この事件、ちょっとうがった見方をするなら、裕福な家の兄弟間で遺産相続争いがあったのかなぁって思ったりしています。
 




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