<東大出>

pressココロ上




 テレビなどを見ていますと、今年を振り返る番組などが放映され、年末を感じさせますが、僕個人の今年を振り返りますと健康に関することで激動の年でした。
 僕は元々は健康に自信があり19才のときに盲腸になった以外は大きな病気もせず、病院とは無縁の生活を送っていました。僕のような人は結構いると思いますが、こういう人に共通するのは風邪などは自己流で絶対に治せる自信がありますから、病気は精神力で治せると思っていることです。しかし、精神力だけでは治せない病気があることを身を持って実感した1年でした。
 思い起こせば、昨年の春先に激しい運動をすると息切れをするようになっていました。それからは軽い喘鳴(ぜいめい)が起きるようになりました。喘鳴とは「呼吸がゼイゼイすること」ですが、その喘鳴が微かですが耳で聞こえるほどになっていました。当初は単なる咳と思っていましたのでノド飴などをなめて対処していました。ノドに効果があるアメをいろいろ探したり試したりしてそれなりに効果があるアメを見つけ、妻と喜んだりしていました。
 そんなことをやりながら月日が流れていましたが、ある日の夜中に突然息苦しさで寝ることも困難になり、翌日朝一番でかかりつけの病院に行きました。すると、僕の異常を感じた医師が救急車を手配し、そのまま大学病院に運ばれたのが4月です。
 そのときも入院を勧められましたが、それとなく断り通院で治療をすることにしました。この時点では自分としてはまだ病気の重さというか緊急性を感じていませんでした。ですから、いろいろな検査を受けながらも心の中では「無駄なこと」とか「病院が検査漬けにして金儲けをしている」などという邪心が半分くらいありました。
 そうこうしているうちに、今度は夜中に心臓の鼓動が激しくなるという症状に見舞われました。7月のことです。実は、4月に救急車で運ばれたのも、自分では呼吸困難と自覚していましたが、実際は心臓の異常が原因でした。
 あまりの動悸の激しさに苦しくなり、早朝4時にタクシーを呼びいつも通院している大学病院に緊急で行くことにしました。しかし、それまでの経験上簡単に診療を受け付けてくれない可能性を考えていました。ですから、事前に大学病院に電話をして「日ごろから通院で利用していること」や「担当の医師の名前を告げる」など緊急診察を受けてもらうように訴えてようやっと許可を得ました。
 夜中など通常の時間でないときに身体に異変が起きますと、対処の難しさを本当に実感します。ニュースなどで救急車を呼んでも受けつけてくれる病院が見つからず、結局たらいまわしにされた挙句死亡した例が報じられますが、医療現場においては救急時の対応はもっと工夫する余地があります。
 話を戻しますと、結局、そのまま入院することになり、検査をした結果カテーテルアブレーションという心臓の手術を受けたわけですが、まさに晴天の霹靂でした。今年のお正月にはこのような1年になるとは露ほども想像していませんでしたから…。
 あれから3ヶ月と少しが過ぎ現在に至っていますが、なんとか健康に過ごしています。しかし、定期的に経過をみるために通院の必要があり、僕の場合は持病としてあった呼吸関連の病気も再発し、そして蓄膿症の治療もまだ続いています。いつの間にか僕は身体が弱い人間になってしまったようです。
 このようにコラムを書きながら、ふと思い出しました。僕は50才を越えたあたりから体調に異変が起きていたのでした。ひとつひとつは覚えていませんが、異変があったことだけは覚えています。そのたびに病院に行っていましたから。つまり、僕には前兆があったことになりますが、その前兆の集大成が今年の心臓の病気なのかもしれません。「かもしれません」と断定的でないのはまだ本当の集大成があるかもしれないからです。
 それはともかく、本当に、人生はなにが起こるかわからないものです。そんな1年もあと少しで過ぎようとしていますが、先日見たテレビでは今年に亡くなった方を振り返っていました。たくさんの著名人が紹介されていましたが、その中で僕が印象に残った方について感想を書きたいと思います。
 やはりこのコラムはビジネス関連のサイトのコラムですので経済人を取り上げます。まず紹介したいのは堤清二氏です。わざわざ言うまでもありませんが、堤氏は辻井喬というペンネームの詩人でもありました。堤氏の功罪についてはいろいろな書物に書かれていますが、僕が一番印象に残っているのはセゾングループが破綻したときに私財を供出したことです。そのときにコラムにも書きましたが、その潔い姿勢に感銘した記憶があります。。
 かつてそごうグループの中興の祖といわれた人物が最後の最後になって自分名義の資産を妻名義に変えたりして資産を隠そうと画策したのとは対象的です。こうした経営者をまさに「晩節を汚した」というのでしょう。
 堤氏のこのような姿勢は東大の学生時代に共産党に入っていたこととは無縁でないように思います。僕が本を読むようになったのは本当の読書好きの人に比べると遅いほうですが、本を読んでいますと思わぬところで思わぬ人が出てきて驚かされることがあります。
 この堤氏もそのひとりで東大時代に読売新聞の渡辺恒夫氏や氏家齊一郎氏と深い交流がありました。つまりこの人たちは全員転向したことになりますが、その姿勢や方向性は別にして「社会を変えたい」という高邁な気持ちを持っていたことに不思議な気分がします。なぜなら、僕が学生時代はそんなことは少しも考えなかったからです。やはり、人間の器が違うということを思わざるを得ません。
 次に印象に残ったのはリクルート創業者の江副浩正氏です。国策捜査という言葉を広めたのは元官僚の佐藤勝氏だそうですが、僕の感覚では江副氏も国策捜査の対象になったひとりのように思っています。それはともかく江副氏のことで最も記憶に残っているのは、江副氏の資産についてある方が語った言葉です。
「いったい江副氏は、いくらお金を持っているのだろう」。
 これを語った方は、江副氏が晩年に創設していた芸術家を支援する財団から支援をしてもらっていた方です。その人の口から自然につぶやくように出てきたこの言葉が逆に江副氏の資産のすごさを表していました。
 実は、先に紹介した堤氏も資産を供出していますが、その金額も半端な金額ではありません。数百億円は下らないものでした。そうした金額を持っていたことに驚かされます。
 僕にはこのような記憶がありましたので、今回社会復帰した堀江貴文氏についても同じ想像をしています。たぶん、堀江氏も先の二人に負けないくらいの資産を持っているはずです。そして、僕は実は堀江氏を尊敬しています。なぜなら刑務所に入った経験があるからです。
 2年ほど前に郵便不正事件で冤罪がありましたが、そのタイミングで江副氏はまるで自分の事件も冤罪であることを訴えるかのように特捜部の取調べの異常さを訴える本を出しました。その本から伝わってくるのは特捜部に対する恨みです。人間の尊厳を冒すような取調べのやり方を事細かに綴っていました。当時の悔しさが今でも忘れられないことが伝わってきました。東大出のエリートには耐えられないほどの屈辱だったと思います。
 それに対して、堀江氏は執行猶予ではなく収監されているのです。財界という経済誌の創立者である三鬼陽之助氏は「刑務所暮らしを経験して一人前になれる」と話していましたが、その言に照らしますと堀江氏は一人前になったことになります。
 出所した今もテレビに出演していますが、その姿を見ていますと精神力の強さを感じます。たぶん江副氏と同じくらいの人間の尊厳を奪われるような取調べを受けたことは容易に想像できますが、あまり声高に触れていないのは精神力の強さの賜物でしょう。最近の財界人では最もタフな経営者といえるのではないでしょうか。
 このように見てきますと、やはり東大というところは軒のみ外れた能力を持っている人の集まりのように感じます。今週、紹介している「異端のススメ」は衆議院議員小池 百合子氏と「今、やる」の林修氏の対談で、林氏が小池氏に利用されている感は否めませんが、それはともかく林氏という人間の生き方や考え方など人物像がわかります。
 林氏の出身は東大の中でも秀逸の法学部卒です。そこを卒業して長銀に入行し、そしてわずか数ヶ月で退職し、フリーターのような生活を送ったそうですから、そのタフさにも驚かされます。そして、同じくらい感心するのが林氏の親御さんです。普通の親なら東大法学部を出た息子がエリートの階段を降りたことに対して世間体とかいろいろな思いが浮かんできて正常な気持ちではいられるものではないはずです。それを許していたことになりますから、本当に頭がいい人の親はやはり頭のいい子供にふさわしい親のように思います。
 今週は、たまたま見た「今年、亡くなった人」の番組を見ていましたら、東大出の人が多いことに気づき、そしてホリエモン氏が思い浮かび、そして林氏がつながりました。
 それにしても、本当に頭がいい人はやはり別格ですよねぇ。そんなことを思った年末でした。
 じゃ、また。




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