<東京>

pressココロ上




 関西の視聴率男の異名をとっていたたかじんさんが亡くなりました。東京での知名度は今ひとつでしたが、僕にとっては島田伸助さんとかダウンタウンとか関西の芸人さんを語るときにすぐに思い出す名前です。
 いつだったかは定かではありませんが、たかじんさんについて以前このコラムで書いたような記憶があります。僕が初めてたかじんさんをテレビで見たのは島田伸助さんのトーク番組でした。このトーク番組についても以前書いたことがあります。ダウンダウンが東京進出をする前にこの番組に出て東京での成功のコツを尋ねた話などを紹介しました。
 たかじんさんがこの番組に出たときは、もうすでにかなり成功していた段階です。トークの最中に伸助さんに向かって話していました。
「なぁ、伸助。俺はもうやること全部やったからなぁ」
 たぶん、時系列的にいうならこのあとにいろいろな冠番組ができてさらに成功するのですが、この時点でもう「東京」というCDもヒットしていましたし、関西では確固たる地位を築いていました。
 その頃から僕はあまりテレビを見なくなっていたはずですが、なぜか印象に残るたかじんさんの姿を覚えています。たかじんのバーという番組が東京で深夜に放映されていましたが、その番組の中で女優さんを脱がせようと試みてみたり、ロックバンドのリードギターをやっていた長髪のアーティストを木っ端微塵になるほどバカにしたり、などかなりハチャメチャぶりでした。そうした雰囲気が受けての東京での放映であり、東京進出だったと思います。
 その東京進出はすぐに辞めてしまった話は以前のコラムで紹介しました。たかじんのバーにはたかじんさんの右腕としてトミーズのトミー雅さんが出演していました。僕の中ではたかじんさんとトミー雅さんは常に一緒にツルんでいる印象ですが、今回の訃報に際し雅さんのコメントによりますと、38才からは一度も共演はしていなかったそうです。
 そのほかにたかじんさんで思い出すのは、テレビの見かたです。たかじんさんがどのようにテレビを見ているかをある番組の中で尋ねていました。わざわざたかじんさんのテレビの見方を尋ねるのですから、その時点ですでに視聴率男と呼ばれていたのでしょう。
 たかじんさんはテレビを6台くらい同時に見ていたそうです。つまり同時にすべての番組を見ていたのですが、たぶん、「そのくらいやらないと視聴率はとれないよ」ということをアピールしたかったのでしょう。いつだったか、同じような発言を外人タレントのデーブ・スペクターさんが話していました。デーブさんもテレビ情報のプロですが、やはりテレビを勉強している人はやることが同じだなぁと感心した思い出があります。
 それはさておき、あとひとつ覚えているたかじんさんの姿は、自分のトーク番組に岩城晃一さんが出演していたときの場面です。岩城さんは東京で成功することの難しさを体験している人ですから、たかじんさんを試すように「東京に出て、成功しなきゃだめよ」と話していました。「言外には関西で成功しただけで満足していたらだめよ」というニュアンスが込められていたように思います。その言葉を聞いているときのたかじんさんの微妙な表情が記憶に残っています。その時点ではすでに東京進出を試みて中断したあとですので複雑な心境だったに違いありません。
 地方で有名になり、それを足がかりに東京で一旗あげようと考える芸能関係者は数えくれないくらいいます。そんな中で成功する人は一握りですが、そのひとりに大泉洋さんがいます。
 大泉さんのすごいところは、東京に進出したあとも「ブレなかった」ことです。普通は、東京という最も最先端で注目度が高い芸能界の総本山に来ますと、どうしても身構えたり反対に迎合したりするものです。しかし、大泉さんは北海道時代と同じスタイルを貫いていました。淡々と自分のペースを崩さなかったのです。これは一見簡単そうですが、とても難しいはずです。
 そのスタイルを感じる場面を見たのは北海道のラジオ番組の中にとんねるずの石橋さんが番組に乱入する設定の場面でした。たぶん、あのときは少しずつ東京に進出していた時期で、番組の趣旨はその大泉さんをとんねるずに絡ませることで知名度を上げる作戦だったように思います。
 石橋さんはいつものあの調子で大泉さんのラジオ番組をはっちゃかめっちゃかにしようとしていましたが、明らかに大泉さんは拒否していました。芸能界では知名度のある者とない者の格の違いは歴然としています。ですから、東京での知名度でいいますと、ということはつまり全国的にという意味ですが、ふたりの立ち位置は石橋さんがかなり上で大泉さんはそのずっと下の位置です。東京の芸能界の常識で考えるなら、大泉さんは石橋さんに感謝するような対応をすべきで、石橋さんのやりたいようにやらせるのが一般的な対応です。
 しかし、大泉さんはそうしませんでした。決して迎合しませんでしたし、下手にも出ませんでした。そのような行動をとった背景には大泉さんが芸人ではないということも影響しているのかもしれません。それを割り引いても立派な対応でした。
 のちに出版した大泉さんの本を読みますと、やはりそうした対応は意識したものだったことが書いてありました。そうだとしても、それを実際に行動に移せるというのは大泉さんの個人の資質の凄さであり、度胸の賜物です。
 たかじんさんは結局は東京には進出しませんでしたが、あれほどの実力の持ち主であっても成功させないものが東京にはあります。そんな中、大阪から東京に出てきて成功しているさんまさんを筆頭にした現在レギュラー番組を持っている人たちは凄い人たちの一言に尽きます。
 たかじんさんは自ら東京進出を断念したのですが、僕の感じでは東京に進出していたもやはり成功できなかったように思います。その理由はマスコミ対策です。東京と地方における芸能人の違いはマスコミの量、注目度です。
 例えば、ちょっと問題のある発言を東京の人が言うのと地方の人が言うのではその反響に大差があります。今は復活しましたが、田原俊彦さんが「僕はビッグだから」と発言してマスコミから総スカンを食いましたが、あれが地方の人であったならあのような騒動にまでは発展しなかったでしょう。
 たかじんさんは関西で刺激的な発言をすることで人気を博していたようですが、同じ姿勢で東京に臨んでいたなら失敗する確率が高かったように思います。東京で成功するにはどれだけマスコミに気に入られるか、または上手に捌けるかが勝負の分かれ目になる部分があります…。
 ところで…。
 僕が好きな歌にマイペースというグループが歌っていた東京という歌があります。僕が学生時代にヒットした歌ですから、今から30年以上前の歌です。歌詞は東京に住む彼女の基に定期的に会いに行っていた彼氏の心情を歌ったものですが、東京が彼女を変えていくことに寂しさを感じている内容です。
 このように考えますと、今もって東京というところはなにも変わっていないんだなぁ…なんてことを東京の片隅の自宅で考えています。
 じゃ、また。




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