<圧迫面接>

pressココロ上




 先日、50ccの三輪スクーターに乗る機会がありました。50ccとはいえ少し大きめで、しかもうしろの荷台に重めの荷物を積んだ状態での運転でした。一般的に50ccのバイクを原チャリといいますが、三輪で後ろに荷物を積みますと原チャリという名称は似つかわしくない大きさに感じ、オジサンが簡単に扱える代物とは思えないものでした。
 大きさに対しても不安を持ちましたが、それ以前に自動車以外で動力がついた乗り物に乗ることに対するな気持ちもありました。なにしろ、30年以上前にちっちゃな原チャリに乗って以来のことだからです。ですが、自転車にはいつも乗っていますし、自転車に動力がついたと思えば難しくもないはずと思う気持ちも少しありました。ところがやはり、実際は簡単ではなく、運転しはじめたときは恐怖心のほうを強く感じました。
 それでも、少しずつ時間が過ぎるうちに恐怖心も薄れ、快適さを感じるようになりました。そうして走っていましたが、路地に入り次の道に抜けようとしたところで曲がる場所を間違えていることに気がつきました。
 知らない道を走っているときに道順を間違えたときは、元の場所に戻るのが基本です。そこで、僕はUターンをして元来た道を引き返そうとスクーターを少しバックさせ、そしてハンドルを切りながら前に進むという動きを繰り返していました。
 しかし、スクーターを動かすことに慣れていませんので思うように向きを変えることができずにいました。そして、何回目かの前進のときにスクーターのバランスを崩してしまったのです。しかも、右足がバイクの下のほうに入ってしまったのです。
 足がスクーターの下に入るということはその足で自分の体重とバイクの重さを支えることができないことを意味します。僕は「ああ、倒れる。倒れる…」と思いながら、まるでスローモーションのように右側に倒れこんでしまいました。
 こうなりますと最悪の状況です。僕の右足にバイクの全重量が乗りかかってきて、僕は身動きが取れない態勢になってしまいました。それでもなんとか上半身だけでバイクを起こそうとしましたが、とてもじゃありませんが、上半身だけの力では持ち上げられる重量ではありません。
 それでもなんとかしなければ、その最悪状況から抜け出すことはできません。僕は必死に全精力を傾けてバイクを起こそうと試みました。正確には「起こす」というよりは、バイクの下敷きの態勢から脱出することです。
 しかし、悲しいことにバイクはほんの少しも動く気配がありませんでした。僕は、途方に暮れていました。
 すると、一台のタクシーが僕のバイクの前に停まり、運転手さんがドアを開けて小走りに近づいてきてくれました。そして、「大丈夫ですか?」といいながら、原チャリを起こしてくれたのです。そのときの僕のうれしさは「57年間生きてきて、一番うれしかった」と言っても過言ではありません。運転手さんはわざわざ車を停めてまで僕を助けてくれたのです。
 バイクを起こしたあと、運転手さんは僕の下敷きになっていた右足を見ながら、「折れてませんか?」と心配してくれました。足は全く問題ありませんでしたが、それよりも僕は運転手さんの行為がうれしくてうれしくて、「ああ、生きてきてよかった」と思った先月でした。
 世の中にはこのように優しい人もいればそうでない人もたくさんいます。
 僕のサイトで最近読者が増えているのが「就職をする前に」というページです。たぶん、就活をしている大学生が活動をしている中でいろいろな経験をして、さまざまなことを感じ検索する人がいるのでしょう。
 そんな中、yafooのトピックを見ていましたら、圧迫面接を受けている就職活動中の学生さんに関する記事が書いてありました。
 圧迫面接とは「意地悪な質問を投げかけ、面接志望者のストレス耐性を評価する面接方法」のことだそうです。面接時のやり取りの中で学生さんの人格を全否定するような侮蔑の発言もあるそうですから尋常ではありません。
 僕は今「尋常ではありません」と書きましたが、本当に「尋常ではありません」と心の底から思っています。僕が就職活動をしていた当時はそのような面接のやり方はありませんでした。僕の感覚では、圧迫面接が行われるようになったのはここ5~6年くらいでしょうか。
 そうしたことから考えてみますと、圧迫面接が行われるようになった背景には就職戦線が買い手市場になったことがあるように思います。基本的に、圧迫面接というやり方は企業が強い立場にいられるときにしかできない面接方法です。もし、思うように人材が確保できない採用環境であったなら絶対にできる面接方法ではありません。
 僕は、強い立場の者が弱い立場に人に対して高飛車に出る対応をとる人を好きにはなれません。僕からしますと、圧迫面接とはまさにそのような面接方法ですので好きになれないやり方です。僕には、悪徳代官がその権力を笠に着てやりたい放題にやっているように見えます。
 普通に考えて、どんなに大企業であろうとも面接を受けに来る学生さんは部下でも後輩でもありません。ひとりの人間です。そのような相手に対して「上から目線で、偉そうに振舞う」行為をすること自体が社会人として失格です。いえいえ、それ以前に人間として失格です。
 就活中のみなさん、そのような面接をする企業になど就職してはなりませぬ。そのような企業は真面目な人が地道に働ける労働環境ではないに決まっています。もしかしたら、そうした企業は有名な企業かもしれません。一部の人たちから評価されている企業かもしれません。また、給料も高いかもしれません。ですが、社会から忌み嫌われ従業員は幸せを感じない企業である可能性もあります。そんな企業で働いていては精神と身体に悪いだけです。
 先日、読んだ新聞の人生相談に、今は定年退職して家にいる夫について相談が載っていました。その夫という方は現役中は、一流企業で多くの部下を持ち仕事をバリバリやっていたそうです。しかし、定年退職をしてからは一日中、家でゴロゴロしているそうです。このような人は、企業という上下関係がはっきりしているところでしか、生きていけない人種の人たちです。相談者はそんな夫に対してストレスを感じているようでした。
 就活中の学生さん、どうですか。この程度の方たちが企業というヒエラルキーの中で偉そうに振舞っているのです。そんなオッサンたちに従順になる必要はありません。企業内で偉そうにしていても、仕事を離れたなら誰でも「ただの人間」です。自分の信じた道を進むのが一番です。もちろん、学生さんですから「自分の信じた道」が正しいとは限りません。それも含めたうえでの「自分の信じた道」です。
 赤ちゃんとして生まれてきた人間がいっぱしの人間になれるのは社会人として働いてからです。社会人は仕事をしていく中でいろいろな経験をして、しかも辛く苦しい経験をすることによって人間性が磨かれていきます。そうしてやっと「自分の信じた道」が見つかります。
 僕の信条ですが、「人間は、働くことによってのみ人間性が磨かれます」。反対にいうなら、人間性を磨くために働くともいえます。ですから、魂を売ってまで働くのは間違っています。就活中の若い皆さん、若い純粋な自分の気持ちを大切にして頑張ってください。
 圧迫面接をするような企業に入社するメリットはありません。ハイ!
 スクーターにしろ面接官にしろ、圧迫されるのは堪ったものではありません。
 じゃ、また。




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