一時はリケジョの旗手としてマスコミなどからもてはやされていた小保方晴子さんが一転して批判の嵐に晒されています。本当に、マスコミというのは節操がないと僕などは思ってしまいます。
詳しいことというか真実はわかりませんが、不正や捏造があったにしてもあそこまで徹底的にたたかなくてもいいのではないでしょうか。今週の週刊誌ではまるで女であることを武器にして要職についているかのような表現もありました。まだ30才の女性があのマスコミのバッシングに耐えられるのか心配しています。
それにしてもこれだけの騒動になる前にどうして理研にしろ早稲田大学にしろ見抜けなかったのか不思議です。審査というのはそれほど穴だらけのものなのでしょうか。一連の流れを見ていて確かなことは、人間が評価するものはあてにならないということです。
そんな人間が経営しているのが企業です。ですから、企業というものもあてになるものではありません。ほんの少し前まで賞賛されていた企業または経営者が一夜にして180度反対の評価になることも珍しくありません。少し思い返すだけでも優良企業と思われていた家電企業の大手が倒産の危機に遭遇したりしています。
所詮、企業というのはその程度のものでしかありません。現在、高評価を受けている社員もいつなんどき窓際に追いやられるかもわかりません。ですから、仕事を一生懸命に必死に取り組むのは大切なことではありますが、命を懸けてまで取り組むのは考えものです。
例えば、上司が変わったことで評価が一変することもありますし、反対に引き上げられることもあります。実力だけで仕事を送れるほど人生は簡単ではありません。
このように企業というのはあてにならないものですが、その企業から利益の分配金を多く取ろうとする春闘が久しぶりに注目を集めました。そうはいいましても、昔の春闘を知っている人からしますと、今の春闘は春闘のうちには入らないほど穏やかな経営と労働者の闘いでした。
報道によりますと、大企業の多くでベースアップが実現したようですが、これが社会に与える影響はほんの微々たるものであるはずです。理由は簡単で、日本の産業界のおける大企業の占める割合が1割程度しかないからです。そして、大企業がベースアップをできるということは、それだけ大企業ではない中小企業や零細企業にしわ寄せ行くことを意味します。つまり、大企業でベースアップが行われる原資は中小企業の利益の減少分と考えることもできます。これで日本全体の労働環境が底上げされるとは思えません。
以前紹介したことがあります中谷巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか」によりますと、こうしたことがおきる原因は経済のグローバル化にあるそうです。
少し引用しますと、経済が国内だけで動いていたときは従業員は消費者でもあるわけで、ですから給料を上げることが企業の業績に反映することにつながります。しかし、グローバル化された経済では従業員と消費者は同じではありません。
具体的に説明しますと、発展途上国で商品を作りそれを先進国で販売するなら従業員に支払う賃金を高くする必要性はありません。ですから、賃金を上げなければいけない要因がありませんので、いつまで経っても賃金は抑えられたままです。もし、従業員も消費者であるならそうはいきません。賃金を上げないことは、それは即ち消費者が存在しなくなることにつながるからです。
しかし、日本は発展途上国ではありません。立派な先進国です。ですから、本来なら中小企業も賃金が上がらなければいけないはずですが、簡単にそのような動きにならないところが資本主義の限界かもしれません。
そのような時代の中、大手衣料品チェーンが非正規社員の正社員化を発表しました。しかし、このことにどれほどの意義があるでしょうか、僕には疑問です。元々離職率が高いことで有名な企業ですから、正社員になったとしても従業員が満足のできる、そして納得のできる労働環境が整っていなければなんの意味もありません。単に、企業にとって都合のいい労働力の確保にしかならないことになります。なにしろ、正社員には非正規社員には求めることができない、言葉を変えるなら「正社員だからこそ強制できる」仕事のレベルや質を求めることができます。そうした労働環境になりますと、従業員にとっては下手をするとサービス残業が増えるだけになる可能性もあります。
世界的規模の企業であるこの企業がサービス残業が常態化していることは本来ならあってはならないことです。小保方さんや佐村河内さんが批判されたのは、言っていたことと事実が違っていたからです。その意味でいうなら、企業も公表されている表向きの労働環境と実態が違うことも十分に批判の対象になります。
幸せにならなければいけないのは、企業ではなく地球上で生活している人間やその仲間たちです。昨日のドラゴンボールを見ていてしみじみと感じました。
じゃ、また。