<ノーベル賞>

pressココロ上




 先週の最も大きなニュースといいますと、やはりノーベル賞です。青色発光ダイオードの発明に関連して3名の方が受賞しました。受賞者のひとりである中村修二氏についてはこのコラムでも紹介したことがありますが、青色発光ダイオードに関して中村氏以外にも受賞者がいることにちょっと驚きました。
 中村氏が青色発光ダイオードの特許に関して在籍していた企業と裁判を起こしていたことをご存知の方は多いはずです。中村氏は「日本における開発者の境遇」についてマスコミなどでよく発言していましたので知名度でいいますと突出していました。ですが、今回ノーベル賞の受賞者として中村氏以外に2名の方が選出されました。
 今の状況から裁判などを振り返ってみますと、僕にはひとつの思いが浮かんできます。中村氏が裁判で争っているとき、このおふたりは「どのような気持ちで裁判を見守っていたのか」。
 僕はずっと青色発光ダイオードは中村氏が発明したものと思っていましたが、今回の受賞をみますと、どうもそうではないようです。想像をめぐらせるなら、基本的な原理を赤崎勇氏と天野浩氏が発見し、それを実用化したのが中村氏ということなのでしょうか。それくらいしか思い浮かびません。
 受賞のあとに取材に応じている模様が伝えられていますが、赤松氏と天野氏が師弟コンビとして揃って会見をしているのに対して、中村氏はひとりで取材に応じています。その映像は現在の3人が置かれている状況を象徴しているように感じました。
 以前のコラムでも書きましたが、僕は中村氏が主張する「社員が発明した特許の帰属は社員に」には疑問を感じています。少し前に経団連が「社員が発明した特許に対する帰属」を社員から企業に移行させる提言をし、法案が提出されようとしています。僕はこの考えに賛成です。
 なぜなら中村氏の主張にはリスクという観点が欠けているように感じられるからです。自民党の元環境大臣である石原氏の言葉を借りるなら、中村氏の憤りの根源は「結局は金目」ということになります。いくら「社会に貢献する」とか「社会を変える」などと言っていても裁判はお金が目的であるのは間違いのないところです。
 そして、その報酬の決まり方は「リスクを負った者がそれに見合った報酬を受け取る」のが公平というものです。
 前にも書きましたが、企業に在籍したまま開発をすることは、たとえ会社から不遇を受けていたとしても時間や場所や空間を無償で提供されていることですし、さらに言うなら電気代やガス代などの提供も受けていることです。さらに細かいことを言うならトイレの水さえ提供されていることです。それらの提供がある中での開発に向かっての研究です。
 こうした環境および状況は、「開発者はほとんどリスクを負っていないこと」を意味します。なにかの経済記事で読みましたが、薬の場合は新薬開発の成功率は千に三つだそうです。わずか0.3%です。つまり新薬開発の研究はほとんどが失敗に終わっていることになります。
 失敗と簡単に言ってしまいますが、開発者が生きていくためにはお金が必要です。家族がいるなら養うためのお金が必要です。そうした費用を負担するのはすべて企業です。このように企業が開発者に費やす費用は開発費や給料だけではありません。生きるうえで必要なこと全般です。
 僕は自分が脱サラを経験していますのでそうした気持ちが特に強いのかもしれません。ですが、みんながみんな安全な場所にいることでしか「挑戦する」気概を持てないなら本当の意味でのイノベーションが起きる確率はさらに低くなるように思えてなりません。
 社会を変革するような活動をするには真にリスクを負う覚悟が必要です。そして、たとえ失敗しようともその行動と覚悟に対しては惜しみない称賛が与えられて当然です。
 17才の少女は安全な場所にいて女子教育の重要性を訴えていたわけではありません。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする