<拓郎さんと永吉さん>

pressココロ上




 僕は読書が好きですが、そのときになにが一番悲しいかっていいますと、本を読み進めるうちに「あ、この本前に読んだ」と気づいたときです。たまにやってしまうのですが、またやってしまいました。それは矢沢永吉さんの「ア・ユー・ハッピー?」という本です。不思議なもので読んだことは忘れていても、印象に残っている文章というものがあり、それに出くわして「悲しい…」を感じてしまうのです。
 矢沢さんは「成り上がり」という本を30才過ぎに書いています。内容は広島から出てきて成功するまでのいろいろな出来事ですが、「ア、ユー、ハッピー?」はそれ以降の人生を綴っている本です。本の感想を簡潔に説明するなら「音楽界のビジネス書」です。矢沢さんはミュージシャンの才能だけではなく経営者としての才能も持っていることを感じました。
 世間一般的には、音楽は一発当てると「超大金持ちになれる世界」という感覚があります。もちろん「一発」とは単に1曲だけ大ヒットを飛ばす「一発屋」のことではなくもう少し長い期間売れ続けることで、なにもしなくても優雅な生活が遅れるほどの資産を貯めこめるだけ「当てる」ことを意味します。
 このように一発当てると大成功できる音楽界ですが、矢沢さんに言わせますとアーティストが利用されている業界のように映るようです。イデオロギー的な表現を使うならレコード会社やプロダクションに「莫大な儲けを搾取されている」ということになります。確かに、矢沢さんの指摘するようにアーティストの周りの人たちはアーティストがヒット曲を飛ばすことでアーティストと同じくらい、もしくはそれ以上に儲けを得ていることは事実のようです。
 そうした業界に納得できない矢沢さんは自分でコンサートを仕切ったり肖像権の管理を自分でやったりしているそうですが、最初の年は利益が全く出なかったようです。そうした経営面を勉強しながら現在まで活動している点がほかのアーティストと違うところです。
 矢沢さんのように活動のすべてを自分で管理する方法は自分の思い通りに活動するという点においては確かに有効です。誰からも縛られず規制する人がいないからです。ですが、簡単ではありません。ですから、ほとんどのアーティストは既存のレコード会社やプロダクションに所属しています。そして、その選択も全部が全部間違いとも言い切れない部分があります。
 昔から「餅は餅屋」ということわざがありますが、どんなことでも専門家のほうが優れていることを示している意味です。また昔から「玄人はだし」という言葉があるように、素人でも専門家が一目おくほどの実力を持っている人もいます。しかし、そのような素人はほんの一握りであり、ほとんどのケースでは「餅は餅屋」のことわざが当てはまります。
 ですから、音楽の世界においても同様でアーティストは音楽を作ることに専念する発想も間違いではありません。過去にアーティストがレコード会社を作ったりコンサートを自前で興行しようとして失敗した例は幾つもあります。たぶん、若いアーティストほど既存のものに縛られることに反発して自前でやりたい気持ちが強くなるのではないでしょうか。
 経営の世界においてもひとつの業界で成功した企業がほかの業界に進出する例はたくさんあります。例えば、旭化成の宮崎輝氏のダボハゼ経営とかカネボウのペンタゴン経営などがあります。しかし、ご存知のようにこうした多展開経営はほとんどのケースでのちに失敗しています。経営の世界でも「餅は餅屋」が通用するようです。
 さて、ここでやっと拓郎さんが登場します。今週の題名は拓郎さんと永吉さんの対比ですので拓郎さんが出てこないことには対比のしようもありません。
 拓郎さんとはもちろん吉田拓郎さんですが、拓郎さんはカリスマ的な雰囲気を持っている人です。アルフィーの坂崎さんによれば雰囲気だけではなく、カリスマそのものの存在ということになりますが、あの横柄な話しぶりで有名な小田和正さんでさえ拓郎さんだけは別格だったと毎年恒例のクリスマスのテレビで話していました。やはり拓郎さんのカリスマ性は本物のようです。
 その拓郎さんも若い頃、井上用水さん、泉谷しげるさん、小室等さんとレコード会社を設立しています。そして、社長も務めたことがあるそうです。ですが、拓郎さんの言葉をそのまま使うなら「やることが多すぎて疲れる」そうです。それで、短期間で社長職を辞しています。
 つまり、拓郎さんには経営という仕事が向いていなかったことになりますが、それでも拓郎さんの魅力にはなんの変わりもありません。もちろん収入的にもなんの問題もありません。 
 今、「収入的になんの問題もない」と書きましたが、それを可能にしているのは印税収入というシステムです。もし、この印税というシステムがなかったならアーティストは収入の道を閉ざされることになります。
 実は、最近僕が考えているのはアーティストの収入についてです。理由は、僕自身がアーティストに印税が支払われないような音楽の聴き方をしているからです。そうです、you tube です。たぶん、多くの人が同じだと思いますが、好きな音楽はyou tubeからダウンロードして聴いていると思います。音楽を聴く側は無料ですから、うれしいことですが、アーティストにとってみますと死活問題です。
 果たして、このような世の中でいいのか…。
 これが最近の僕の悩みです。
 一昔くらい前でしょうか、僕の記憶では「コンサートはCDを販売するための広告であり、宣伝活動である」といわれていたように思います。これは、裏返せばコンサートでは利益が出ないことを意味しています。まずは会場を押さえてそれからたくさんの機器を携えてまた多くのスタッフを引き連れて各地を回るのですから、コンサートがコストがかかるのは容易に想像できます。ですから、「コンサートはCDを売るための広告」という指摘は納得できるものでした。
 ところが最近は正反対の流れになっているように感じます。それはyou tubeに代表されるように通信手段の進歩により無料もしくは低価格で音楽を聴くことが可能になったからです。このような世の中になるとアーティストの収入はどうなるのか。
 答えは肉体労働です。そうです。コンサートです。矢沢さんの本を読んでいますと、やり方を工夫するならコンサートでもきちんと利益が出るようです。ですから、これからアーティストの収入の本流はコンサートのような現場での仕事力にかかっていくのではないでしょうか。
 僕はこうした流れに好意的です。最近、資本主義に対する疑念が深まっていますが、今の世の中はお金を動かす人たちが儲けを多く得やすいシステムになっています。いわゆる「お金がお金を産む」システムですが、僕はこれに納得できない気持ちがあります。実は、印税というシステムもその延長線上にあるような気がしていました。言葉を変えるなら不労所得ですが、不労所得が収入の主流になる社会は健全でないような気がしています。ですが、印税というシステムがなくなるなら、アーティストは収入の道がなくなってしまいます。
 しかし、コンサートで大きな収入が得られるなら、それこそ実力のあるアーティストにとって理想的な姿ではないでしょうか。最近では、音楽機器の進歩によりいくらでも歌をきれいに録音することができます。しかし、それでは真の実力とはいえません。アーティストが真の実力で大きな収入を得られるのが理想の姿であるなら、これからの音楽界はその理想の姿に向かうように思います。ある意味、高倉健さんのCMに通じるものがあります。
「農薬は使わない。その分自分が汗をかけばいい」
 じゃ、また。




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