<人質事件>

pressココロ上




 先週のコラムでイスラム国のテロ事件について書きましたが、そのときはまだ日本から遠く離れた地域の出来事でしかありませんでした。しかし、テロ事件と直接かかわる出来事が先週起きました。日本人二人が拘束されている映像がネットに投稿されたからです。
 映像は衝撃的なものでした。ナイフを持った犯人の両脇で後ろ手で縛れら、囚人服のような服装で跪かされていました。この映像に対してマスコミは「合成されたもの」という分析をしていましたが、たとえそうだとしても拘束されているのは事実です。二人の命が危険に晒されているのには変わりありません。
 僕は恐くて見ることができませんが、24日(土)の深夜にはひとりが殺害された映像が投稿されたようです。残された一人の救出に向かって現在も交渉が続けられているようですが、いろいろな問題が絡み予断が許されない状況になっています。簡単ではないことは承知していますが、残された一人だけでも無事に解放されることを願わずにはいられません。
 犯人からの「72時間以内に身代金を支払わなければ殺害」という期限を迎える直前に二人のうちのひとりの母親が記者会見を行いました。息子の救出を訴えるための会見でしたが、僕はリアルタイムで見ていました。そのときの正直な感想をいうならそれは違和感でした。
 ニュースなどではほとんどカットされていましたが、お母様の声明文には救出嘆願に似つかわしくない文言があったからです。それは原子力問題について触れていたことです。あの場面で原子力という言葉が出てくるのはどう考えても唐突感は免れません。たぶん、聞いていたほとんどの人が同じ感想を持ったのではないでしょうか。
 そのときに僕が最初に想像したのは、この会見を政治的に利用しようとする人の存在です。この会見が注目を集めるのは間違いありません。ですから、その場を利用しようとする人がいても不思議ではありません。性格的に、世の中に疑り深くなっている僕ですのでそうした背景を想像したのでした。
 しかし、ネットに僕とは違う見解が投稿されていました。その投稿ではお母様が「IAEA(国際原子力機関)とISIS(イスラム国)を混同してる」可能性を指摘していました。その後の展開を見ていますと、この指摘のほうが正しかったような感じがしています。
 やはり、どう考えてもテロ事件と原子力問題は関連がありません。「混同」と考えるのが最も自然な解釈といえそうです。
 先に書きましたように、ニュースなどでお母様の会見を伝えていましたが、原子力について触れている部分はすべてカットされていました。以前より、マスコミがニュースを伝えるときのその伝え方が議論になることが度々ありました。先の選挙時においても安部政権は報道の中立性を要請していました。それほどマスコミは大きな影響力を持っています。ですから、マスコミの編集に対して敏感な人が多いのですが、今回の会見に対する編集はいい意味での編集だったように思います。
 今回の事件が起きてからの世の中の反応を見ていて10年ほど前のイラク人質事件を思い起こしました。現在の状況はあのときとは全く反応が違っています。覚えている人も多いでしょうが、あの事件のときは誘拐された人質3人に対して批判の声が多く上がりました。当時マスコミに頻繁に出てきた言葉が「自己責任」です。「救出」という文字よりも「自己責任」のほうがたくさん出ていたのではないでしょうか。
 「自己責任」とは危険な地域に出かけることに対する責任です。人質になったのは戦争地域の子供たちを援助することが目的のボランティアの女性とジャーナリストとジャーナリストを目指している未成年の男性2人でした。決して遊びで出かけたわけではなくどちらかといいますと人道的な活動ですが、それでも危険を承知で行動するのだから自業自得と批判されていました。「自己責任」という言葉の裏側には「だから助ける必要はない」という意味合いさえ漂っていたように思います。
 たまたま偶然ですが、昨年このときにバッシングを受けた女性のインタビュー記事を新聞記事で読みました。やはり当時のバッシングにはかなり精神的に追い詰められたようで帰国後しばらくは「人に合うのが恐かった」そうです。しかし、現在も同じようなボランティア活動を続けているようでした。
 今回の人質事件では10年前のようなバッシングはほとんど起きていません。こうした反応は「自己責任」という考え方が正しくなかったという判断の表れのような気がします。実際、悲惨な目に遭っている小さな子供たちを支える活動は決して悪いことではありませんし、戦争の実態を伝えようとする行動も同様です。
 今回のような人質事件がおきたときに問題になるのが、犯人の要求を受け入れるかどうかです。例えば、「身代金の支払い」とか「捕まえている犯人の仲間を釈放する」などですが、犯人の要求を拒否することは人質を見殺しにすることです。当然ですが、簡単に答えが出るものではありません。そして、数学のように正解があるわけでもありません。
 今回の事件に対してその正解のない答えを出さなければいけない立場にいるのが首相である安倍さんです。安倍首相は首相に返り咲いてから独壇場といっても過言ではないくらいの強い首相として政権を運営しているように見えます。野党が弱いことも理由ですが、現在の状況ほど政権運営に良好な状況はありません。もちろん政治家としての自らの信念を実現させるために、国民の目を経済に向けさせるというバランス感覚に優れた能力の高さもその理由です。
 先月は選挙がありましたが、投票率は過去最低でした。その理由はさまざま分析されていますが、究極的にいうならば国民が政治に関心を持たなくなったからです。その隙間を縫って安倍首相は日本の安保政策を変えようとしているように感じます。簡単にいうならば、日本を戦争ができる国にしようとしているように映ります。政治にはいろいろな考え方があります。それぞれそれなりの理由があってのことですので、いろいろな考えがあって当然です。
 ですが、国の根幹を変えるような政策をとるときに、経済に目を向けさせることで重要な政策から目をそらさせるような政治手法は賛成できません。僕には安倍首相の政権運営方法がそのように映っています。これはフェアなやり方ではありません。しかし、安倍首相は返り咲いてからはその方法で成功してきました。
 今回の人質事件は安倍首相のこれまでの政治手法を今一度立ち止まって考える時間を国民に与えているような気がしています。
 じゃ、また。




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