<味方>

pressココロ上




 昨年来より家電メーカーのシャープの苦境が報じられていました。僕の印象ではシャープという企業はほかのメーカーとは一味違う商品を販売する企業というイメージです。シャープのキャッチコピーは「 目のつけどころがシャープでしょ」ですが、まさにコピーにふさわしい企業姿勢だったように思います。
 そのシャープが苦境に陥っているのですから、世の中は本当に厳しいものがあります。僕がシャープの苦境が報じられ、そのことが気になったのは僕のテキストにシャープの元社長・町田勝彦氏の言葉を引用しているからです。
「十年という期間があったら、 事業というのは半分の五年間はトントンだ。
                  儲かるのは二年だけ、三年間は損をする 」
 つまり企業が利益を出すのは簡単ではないことを教えている言葉ですが、その町田氏が相談役を退いたと記事が報じていました。しかもここ数年においては町田氏がシャープを苦境に陥らせた張本人であると報じています。
 確かシャープの苦境が最初に報じられたのは一昨年の夏ごろだったでしょうか。僕などはこの報道があるまでシャープの業績は好調だとずっと思っていました。なにしろ、吉永小百合さんのCMが印象に残っていましたし、一般の人にまで亀山工場という名前が浸透していました。つまり、液晶において一人勝ちの感がありました。そうした状況での苦境報道でしたから驚きでした。
 そして、今回の町田氏の退任です。結果的には液晶の亀山工場が業績の足を引っ張ったことになります。あれほど企業を経営することの厳しさや難しさをわかっていながら企業をコントロールできなかったのですから経営の難しさを痛感させられます。
 先々週のことになりますが、大阪では維新の党の橋本代表が目指していた都構想が住民投票の結果否決されました。僅差ではありましたが、否決を受けて橋本氏も任期満了後に政界引退を表明しました。評論家の中には引退することを批判する人もいますが、僕は潔いと感じています。自分の考えが支持されなかったのですから身を引くのもひとつの方法です。
 報道によりますと、橋本氏の都構想に反対する学者たちが連名で意見書を発表していたそうで、なんとその数100人以上だそうです。僕は大阪に詳しくありませんのでどっちが正しいか決めかねますが、府も市も財政的に厳しいのはかなり前から指摘されています。
 僕の記憶で一番残っているのは元通産官僚だった大田房枝氏が府知事になったときです。大阪を再建しようといろいろと試みていましたが、結局は反対派の壁に打ち返させられ、あまり成果を上げることができずに終わったように思います。そのあとの横山ノック氏は論外ですので、大阪は30年以上財政危機のまま現在に至っていることになります。
 大阪府や市がシャープと違うのは民間ではないことです。ですから民間のように倒産がありません。正確には夕張市のように財政破綻もあり得ますが、先延ばしが可能です。そうしたことが府や市の緊張感を失わせているのでしょう。もし、財政破綻が身近に感じられるようになったなら今回の住民投票の結果も変わっていたのではないでしょうか。
 僕は都構想の是非はともかく大阪の財政状況を改善しようという橋本氏の主張はもっと評価されるべきだと思います。都構想に反対している学者の方々は今の財政状況をどのように改善するつもりなのでしょうか。それを提示しないでただ反対するだけでは無責任というものです。
 僕のラーメン屋時代は8階建てのかなり大きなマンションの1階の店舗でした。テキストでも少し書いていますが、ある日新しく管理組合の理事長になった男性がやってきました。そして、開口一番「看板の色が派手すぎるから色を変えてほしい」と言ってきました。まだ30代後半の神経質そうな人でしたが、話し方や振る舞いが横柄でした。その方によりますと、「これからはマンションを住民が住みやすい環境にする」そうで、看板の色もそのひとつだったようです。
 僕は困り果てていろいろな対応策を練っていましたが、そうこうしているうちに理事長がほかの住民とトラブルを起こし辞任することになりました。責任のない立場でいろいろな意見をいうのと責任者となって実際に行動を起こすのでは風当たりが全く違います。因みに「ほかの住民」とは右翼の幹部の人で理事長が恐れをなして辞任したのでした。
 現在、読売新聞では80年代の行政改革について特集を書いています。いわゆる第二臨調という行政改革ですが、中高年の方は記憶に残っている人は多いでしょう。このときに国鉄や日本電信電話公社や日本専売公社が民営化されました。そして、民営化されたからこそJRもNTTもJTもその後の発展がありました。もし、官営のままであったなら今のネット社会も携帯電話もスマホもスイカも存在しなかったでしょう。それほど意義のある改革でした。
 今になって振り返りますと、あのときの行政改革は正しかったと誰もが認めますが、当時はやはり反対派がいました。もちろん反対派の力も半端ではありません。労働組合も今とは比較にならないほど強大でしたし、力も持っていました。そうした反対派の障害を乗り越えての行政改革でした。
 読売の記事にも書いてありましたが、いろいろな幸運も重なって実現できた改革といえます。そうでなければあれだけの3つの巨大組織を民営化するのはできるものではありません。このように運も味方しましたが、忘れてならないのは経済界が支持したことです。
 第二臨調を土光臨調ともいっていたように経済界がこぞって改革を支持していたことが成功の大きな要因だったことは間違いありません。政治家の力だけでは改革を遂行することは不可能だったでしょう。それこそ政民一体となって取り組んだからこそできた行政改革でした。それだけ財界も行政に対して危機感を持っていた表れです。
 その意味で橋本氏が負けた一番の理由は経済界を味方につけなかったことといえるかもしれません。もし経済界を味方につけていたならもう少しマーケッティングの面で違う戦略がとれたように思います。今の時代はマーケッティングの善し悪しが勝利を決める大きな要因になっています。マスコミを使うことに長けているはずの橋本氏でしたが、肝心なところで忘れていたのかもしれません。
 ものごとを成就させるには味方を作ることが第一歩です。
 じゃ、また。




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