<過去、現在、未来>

pressココロ上




 フランスでのテロ事件以降、イスラム国に対して各国が共に行動をとる動きが見られます。仏や英なども空爆を開始しました。素人的な発想では先進国が本気でイスラム国の壊滅を始めるなら簡単に終わるように思うのですが、素人が考えるほど簡単ではないのでしょうか。確かにテロという戦い方には単に軍事力だけでは対応できないように思いますが、少なくとも数百人規模の女性子供の誘拐や虐殺を防ぐことはできるはずです。
 イスラム国について語るときその生まれた背景について語られることがあります。いろいろな意見がありますが、突き詰めていきますと米国などが行った過去の中東政策の負の側面という意見に収斂されるように思います。同時にいわれるのは、難民がイスラム国の要員になっていることです。
 このような背景について語る人たちは、単にイスラム国を悪と決め付けるのではなく、イスラム国や参加する若者たちを生み出さない社会を作ることの大切さを訴えています。このような意見に接するたびに僕は黒沢監督の「七人の侍」と死刑囚・永山則夫を思い出します。
 「七人の侍」は「野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語」(ウィキペディアより引用)ですが、野武士という悪党集団の略奪に苦しんでいる人たちにしてみますと、悪党集団が生まれた背景になど配慮する余裕はありません。とにかく悪党集団をやっつけないことには生きていけないのですから、戦うことしか選択の余地はありません。大切なのは今をどうするかです。
 先週の新聞に、今をときめく五郎丸選手の記事が載っていました。五郎丸選手が最も影響を受けた言葉の紹介でしたが、それは前監督のエディ・ジョーンズ氏ではなくその前任者のジョン・カーワン監督の言葉でした。
「目の前のことを100%やりきることだけが未来を変える方法だ」
 日本代表がW杯で3勝を上げ監督しての手腕を評価されたエディ・ジョーンズ氏ですが、五郎丸選手はそのジョーンズ氏ではなくカーワン氏の言葉を紹介していました。これは僕の推測ですが、メディアなどがあまりにジョーンズ氏一辺倒になっていることに反発した対応だったのではないでしょうか。五郎丸選手は流行語大賞にも出席していませんが、あくまでラグビー選手であるというポリシーが垣間見えて好感です。
 
 若い人で永山則夫について知っている人は少ないでしょう。僕は謙虚な人間ですので人名を書くときは必ず「さん」をつけています。ですが、永山に関してはつけていません。理由は殺人犯だからです。
 永山則夫は北海道で生まれ幼少時から極貧生活を送ったあと各地を転々としたあとにピストル連続殺人事件を起こしました。そして、1990年に死刑が確定したのですが、幼少時の育った環境を配慮する必要性を説く意見などもありました。永山が獄中で書いた「無知の涙」は有名です。そして、この事件が死刑判決を下す際の基準(永山基準)となったことも注目を集めました。
 僕はこの事件について考えることがあります。犯罪の原因を犯人の生い立ちにまで求めてしまうと、ほとんどの犯罪は成立しなくなるのではないか、と。そもそも論でいってしまいますと、どんな犯罪も育った環境などほかのことに責任を押しつけることは可能です。強盗犯人も貧乏な家に生まれたのはなく裕福な家に生まれたなら犯罪を起こさなかったかもしれませんし、裕福な家庭に生まれた子供が犯罪を起こしたときも育て方が間違っていなかったから犯罪を犯さなかったかもしれません。
 このように考えるなら犯罪は成立しないことになってしまいます。それでは被害者が浮かばれませんし、そのような社会では安心して生活することはできません。対象にすべきは現在です。過去に責任を求めるのは筋違いです。
 先に、五郎丸選手の師であるジョン・カーワン氏の話を紹介しましたが、カーワン氏は「自分が変えられるのは過去、現在、未来のうち、現在だけだ」とも話しています。ですから、「目の前のことを100%やる」ことの重要性を説いているのです。
 メディアではエディ・ジョーンズ氏の監督としての手腕ばかりを取り上げていますが、もしかしたらジョン・カーワン氏もジョーンズ氏に負けず劣らぬ監督の資質があったのかもしれません。ただ、メディアなど周りがそれに注目する力がなかっただけかもしれません。
 そんなことを伝えたかった五郎丸選手の言葉のような気がします。
 じゃ、また。




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