<本質>

pressココロ上




 驚くべきことに、今週が今年最後のコラムとなってしまいました。僕的には、今まで生きてきた中で今年ほど年末を感じない12月はありませんでした。自分でも理由はわかりませんが、全く師走を感じないまま12月27日を迎えています。もしかしたら年齢のせいかもしれません。(笑)
 さて、昨年の今頃はジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国に拉致された事件がマスコミの注目を集めていたように思います。そして、年が明けてから悲しい結果となりましたが、結局今年も国際社会はイスラム国問題を解決できないまま一年を終えようとしています。本当に人間社会は一筋縄ではいきません。
 僕は今、はまっているテレビ番組があります。「はまっている」といいましてもまだ2回しか観ていませんが、それはNHKで一ヶ月に一度放映されている「新・映像の世紀」という番組です。僕が見はじめたのは11月からで、たまたま新聞のテレビ欄で見つけたのですが、テレビをつけてすぐに引き込まれました。
 11月の放映内容は「グレートファミリー 新たな支配者」という題名でしたが、第一次世界大戦が終結したあとに世界のリーダーになった米国の経済人を特集していました。そこにはロックフェラー家やデュポン家、フォードなど当事の新たな米国の支配階級が紹介されていました。
 その中で僕が興味深く感じたのは、米国が経済が発展し国民の生活が向上してからの行動です。今、日本では中国からの旅行者による「爆買い」がマスコミで報じられていますが、かつては日本人も経済の発展に伴いこぞって海外旅行に出かけていました。そして、中国と同じように旅行に出かけた先で顰蹙を買う行動をとっていました。
 それと同じことを当事の米国人たちもしていたのです。番組では当事の米国人たちがこぞってパリの凱旋門に観光旅行に訪れている様子を映し出していました。僕には、この映像が当事の米国人のヨーロッパに対する憧れやコンプレックスの表れのように思えました。それはともかく、この映像は人間の行動がいつの時代も、そしてどこの国の人でも同じことをするということを示しています。
 そして、今月の番組の題名は「時代は独裁者を求めた」というものでしたが、独裁者とは言うまでもなくヒトラーのことです。歴史があまり得意でない僕はヒトラーがドイツのトップに上りつめた経緯を詳しく知りませんでした。もちろん「ユダヤ人大虐殺」や「ホロコースト」という言葉は知っていましたが、そのような残虐な行為をする人物が政権のトップに就くことができたのが不思議だったのです。
 ナチスについては「アンネの日記」や今年亡くなったドイツの元大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という言葉や多くのユダヤ人を救った日本人外交官・杉原千畝氏、またはナチスの官僚アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴レポートを発表したハンナ・アーレント氏など有名なことがらについては知っていましたが、これらはどれもヒトラー政権が誕生してからのことについてのものです。
 僕は、ずっと「どうやって総統になったのか?」が不思議でした。正確にいうなら「どうしてなれたのか?」です。「映像の世紀」はその僕の疑問に答える内容となっていました。
 まず言えることは「甘くみていた」ことです。どんな業界でも政界でも年齢が高い人が要職を占めているのが普通です。つまりいわゆるベテランといわれる人たちが権力を持っているのですが、そうした集団の中では年齢が若い人は軽く見られるのが通例です。
 ヒトラーも政党を率いていたとはいえ、政界の中では単なる若造に過ぎないようでした。ですから、ベテランの人たちはヒトラーが首相に就任したあとでも「すぐに降格させるつもり」でいたようです。つまり「甘く見ていた」のです。番組ではそうした雰囲気を伝えていました。
 しかし、ヒトラーは老獪な政治家たちのさらに上をいっていたようです。権力を手中に納めた後の行動の素早さにヒトラーの成功のすべてが凝縮しているといっても過言ではないでしょう。大衆の支持を集め、政敵を矢継ぎ早に排除していったのでした。単なる若造がいつの間にか手のつけられない怪物に変貌していたのでした。このあとの悪行は紹介するまでもありません。
 ここで重要なのは「政敵を排除したこと」ではなく、その前提として「大衆の支持を集めていたこと」です。ヒトラーはクーデターで権力を手中に納めたのではなく、選挙という民主的な方法で権力を手中に納めたということが大切なポイントです。
 悪行を尽くす怪物を生み出したのは民主主義です。因みに大衆の支持を集めるために、ヒトラーはユダヤ人や有色人種などを迫害する一方、そうでない人たちには経済的恩恵を与える方策を行っていました。例えば、失業を改善したり週休二日制を導入したりなど大衆が喜ぶような政策を行っていました。暮らしぶりが向上して喜ばない人はいません。大衆の支持を得る最も簡単な方法は経済を豊かにすることです。
 これも重要なポイントで、言い方を変えるなら経済的な政策で大衆を喜ばせ、それ以外の政策に異を唱える感性を失わせるやり方は狡猾な政治家の常套手段です。ドイツ国民は人種差別や虐殺を疑う感性を失わされていました。戦後、ドイツ国民は口をそろえて落胆していたそうです。
「知らなかった…」。
それに対して収容所で迫害されていた人たちは反論しました。
「…いいえ、あなたたちは知っていたはずだ…」
 どちらが真実を語っているかはわかりませんが、人種差別や虐殺があったのは事実です。仮に「知らなかった」としても、そのような政権の悪行に気づかなかった責任から逃れることはできません。
 あ、そういえばアジアの東のほうの小さな国では選挙の前になると有権者にお金をばら撒いたりなど国民が喜びそうな経済政策を発表し、安全保障や報道の自由など国家の根幹を成す政策を議論することなく変更する手法をとっているそうです。
 そこの国民の人たちは気をつけねば…。
 じゃ、また。
 今年一年ありがとうございました。また、来年~。




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