<驕れるもの久しからず>

pressココロ上




 僕は特に安倍政権を嫌っているわけでも恨んでいるわけでもありません。ですが、安倍首相のやり方には憤りを感じることがあります。それは「大衆をコントロールしよう」という意図がいろいろな場面で垣間見れるからです。
 先々週あたりからいろいろなメディアでノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン氏の意見が取り上げられるようになっていました。また、安倍首相の経済ブレーンである本田悦朗内閣官房参与もメディアで発言する機会が増えているように感じます。
 これらの動きはズバリ!消費税の税率アップを取りやめるための地ならしです。そして、なぜ取りやめるかといいますと、それは選挙対策以外のなにものでもありません。僕はそれがとても不愉快です。たぶん僕以外にも同じように感じている人はたくさんいると思いますが、選挙前に「税率アップをやめること」で選挙の際に自らの好印象をアピールすることが狙いです。
 僕は決して財務省の回し者ではありませんが、政府は消費税を10%に上げることを前提として財政を運営してきているはずです。ですから「景気が悪いから」という理由で税率アップを簡単にやめてしまうのはあまりに短絡的です。小学生並と言われても仕方ない対応です。もし、それほど簡単に税率アップを中止することができるのなら最初から増税する必要などありません。今の財政状況では国家が破綻しそうだから増税をすることにしたはずでした。
 政府が増税を行うのは国債という国の借金が雪だるま式に増えているからです。あれよあれよという間に1,000兆円を超えてしまいました。
 しかし、このような話の展開になりますと必ず「そもそも論」が登場します。「そもそも」国債発行が増えることは本当に問題なのか、という論です。
 わが国の財政は財政破綻をしたギリシャと比較されることがありますが、「日本はギリシャのようには絶対にならない」という識者もいます。理由はギリシャは国債の7割を外国が購入しているが、日本はほとんどを国内で消化しているからという理由です。一時期例えられたのが「お金を右のポケットから左のポケットに入れ替えただけ」という説明でした。
 しかし、常識的に考えて借金が増えて健全なはずはありません。ですから異常であることはまちがいのないところでしょう。それにも関わらず税率アップを中止する方向に舵を進めようとしているのは安倍首相の保身以外のなにものでもありません。
 僕はこれに憤りを感じます。政策を決める際は国民が幸せになることを目的にするのがよい政治家というものです。自分の保身のために政策を決めるのは本物の政治家がとる選択ではありません。
 そして、僕がそれ以上に憤りを感じるのは国民をなめているように感じるからです。
「どうせ国民は選挙のときだけ政治に関心を持つのだから、そのタイミングに合わせて国民が喜びそうな政策を発表すればよい」
 今回の安倍首相の税率アップをやめるための一連の動きには、このような考えが透けて見えます。しかし、残念なことにそして悲しいことにこれまでの政治は安倍首相の思惑のとおりに進んできています。
 僕は安倍首相が二度目の就任以来、たびたび安倍首相のブレーンのバランス感覚を賞賛してきました。世の中の動向を読む感覚の卓越性です。そのときどきで、今なにを重要視し、どのように対応するべきかを判断する感性に優れているように思えました。
 そして、その感性の鋭さを安倍首相自身も身に着けていました。国会における安倍首相の言動や振る舞いなどそのパフォーマンスからはベテラン総理の風格さえ漂っていました。
 しかし、ここに来てその感覚が少しずつずれてきているように感じます。たぶんそれは「慣れ」からくるもののように思います。つまり鈍感になってきているということです。言葉を変えるなら気の緩みとでもいうものでしょうか。
 「北海道担当大臣が北方領土の島の名前を読めない」などあってはならないことです。議員の不倫など論外ですが、地方創生担当大臣が法案を説明する際に誤った説明文を読み続けるなどお粗末な事例が続いています。これらを気の緩みを言わずなんと言いましょう。
 もし、このまま参議院選挙に照準を合わせて本当に税率アップを取りやめる決断をするなら、それは国民を見下している証拠です。甘くみている証拠です。繰り返しになりますが、選挙のタイミングに合わせて国民が喜びそうな政策を発表さえすれば選挙に勝てるという発想があります。僕には安倍首相が「国民は目先のことしか考えていない」とみくびっているようにさえ感じます。
 ビジネスの世界には「成功体験が次の成功を阻害する要因になる」という言葉があります。これは政治の世界でも通用するのではないでしょうか。いえいえ、通用しなければ日本は間違った方向に行ってしまいます。
 海の向こうの米国ではポピュリズムが幅を利かせるような状況が生じています。共和党はヒットラーにもなぞられている候補を勝ち続けさせていったいどうなっているのでしょう。共和党の幹部の方々はトランプ氏を引き摺り下ろす算段をしているようですが、問題なのは堂々と差別を掲げている人物が予備選を勝ち進んでいることです。米国の良心はどこにいったのでしょう。
 民主主義で最もやっかいなのはポピュリズムが発生することです。ポピュリズムを発生させない唯一の方法は国民ひとりひとりが自分のことだけではなく社会全体に目配り気配りをすることです。
 しかし、このようなわかりきったことさえも簡単にはできません。今のEUを見ていますとそれがわかります。難民が押し寄せた当初こそ優しさを全面に出すことができましたが、それがずっと続くのであればそうも言っていられないようです。しかし、それを非難することも正しいとはいえません。
 本当に世の中は難しい…。
「遠くにいるものほど、正義を叫ぶ」
「責任を負わなくていいものほど、優しくなれる」
 じゃ、また。




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