<素振り>

pressココロ上




 三菱自動車が燃費不正を25年以上も前から行っていたことが発覚しました。OEM提供している日産自動車が実際に計測したことがきっかけのようですが、もしこのきっかけがなかったなら発覚することがなかったかもしれません。
 中高年以上の方なら「それにしても…」と思うはずです。三菱自動車は2000年から2004年にかけて「リコール隠し」が発覚し厳しい行政処分や社会的批判も受けています。元社長は有罪判決まで受けています。これだけの事件ですから当然会社の存続が危ぶまれるところまで追い込まれました。しかし、三菱グループが総出で手を差し伸べどうにかもちこたえられた過去があります。それほどの経験をしながらまたしても不正を行っていたのですから、過去の失敗が教訓として全く生かされてないことになります。
 僕はそれが不思議でなりませぬ。
 今回の報道によりますと、リコール隠しが発覚したときは既に燃費不正は行われていたようです。つまり、リコール隠しを謝罪しながら裏では燃費不正をしていたのです。「何をかいわんや」です。厚顔無恥とはこのことでしょう。表向きは反省の態度を示しながら心の中で舌を出していたのと同じです。
 僕は先々週のこのコラムで、バドミントンの選手が違法カジノで処分された事件に関して上っ面の言葉遣いについて違和感を覚えることを書きました。
 その選手が違法行為が発覚する前に被災者に対して「自分が活躍することで勇気を与えたい」と語っていることに対してです。ひとつひとつの言葉に心がこもっていないことが気になって仕方なかったからです。被災者の心を少しでも勇気付けたいと真剣に思うなら違法カジノなどに手を染めることなどできないはずです。周りの人に見せる態度と心の中がまるで正反対ではとても悲しい気分にさせられます。「素振り」だけの行為ほど周りから見ていて虚しいものはありません。
 三菱自動車もまさに同じことをやっていたことになります。リコール隠しを謝罪しておきながら同時に燃費不正を行っていたのですから、リコール隠しを心の底から反省していたはずがありません。謝罪は素振りだけだったことになります。
 僕はこのような事件が起きるたびに思うのですが、現場で仕事に携わっていた人たちはどのような気持ちで働いていたのでしょう。内部にいる人たちならばある程度燃費に対してなにかしらの違和感を感じていても不思議ではありません。自分たちの実力というのは自分たちが最も知っているはずです。
 画期的な技術改善や開発がないにも関わらず燃費だけが向上するのですから、そこに疑問を感じるのが普通の感覚ではないでしょうか。もし、保身のために会社の不正を見過ごしていたのなら、それは働いている「素振り」という誹りを受けても仕方ありません。
 ハンセン病患者の特別法廷について最高裁が謝罪をしました。患者の方々や支援する人たちにとっては不満が残る内容のようですが、過去の歴史を思うとき少しは気持ちが収まるのではないでしょうか。
 それにしてもハンセン病の患者の方々を思うとき、人生は自分の思い通りにできないことを痛感させられます。どんなに願おうが努力をしようが苦難から逃れることはできないという事実に向き合わされます。
 ハンセン病は隔離する必要のない病気であることが国際的に認知されていたにも関わらず、そのことを放置していた国家の罪はとても重いものがあります。具体的にいうなら政治家や官僚の責任です。心の底から国民の幸せを一番に考えていたとは思えない対応でした。国民に奉仕する「素振り」だけだったことになります。
 ハンセン病を管轄する省は厚生労働省ですが、僕はこのような問題が起きるたびに思い出す人がいます。幾度かのコラムで書いたことがありますが、元厚生省の官僚で山内 豊徳という方です。真に患者のためを思って仕事に励まれていた方です。
 そして、僕が山内さんを知ったのは、映画監督の是枝 裕和さんが書いた著書でした。是枝監督を知り好きになったのもこの本がきっかけでした。常に弱者の側に立ち、その視点で社会にいろいろな問題を問いかけています。そこには「素振り」だけではない心の伴った行動力があります。
 ゴールデンウィークに入り熊本に多くの若い人たちがボランティアに駆けつけている、とニュースで報じられていました。僕はこのような若い人たちに心から敬意を表します。せっかくのゴールデンウィークですから旅行に行くなど楽しいことを求める人たちがたくさんいる中で被災して困っている人たちの手助けをしようというのですからこれほど尊敬できる行為はありません。
 今の時代はネットという匿名性のせいで安易に気軽に他人を誹謗中傷する行為がまかり通っています。タレントが多額の金額を寄付するとネットで表明しただけで非難が集中していました。僕からするとこのような行為は単なる妬みに過ぎないように思います。たとえ売名行為であろうと寄付をする行為というのは高邁な行為と認められるべきです。誰でもが多額の寄付をできるわけではありません。しかも、自分で稼いだお金です。人からもらったり拾ったりしたお金ではありません。どうして非難されなければいけないのでしょう。
 口先だけで被災者を心配している素振りをしている人よりははるかに被災者を助けていることになります。
 東京都の舛添都知事が毎週末に公用車を使って湯河原の別荘へ通っていることが週刊文春で報じられました。釈明会見を開きましたが、都民が納得できる会見ではなかったように思います。かつては政治家の公私混同を批判する立場にいた人が権力を持ったときに豹変したようであまり感じがよい印象ではありません。やはり働いている「素振り」という印象は否めないのが正直な感想です。
 世の中を見渡してみますと、素振りだけの行動をしている人はなんとなくわかるものです。それにしても舛添知事の報道も週刊誌でしたが、今は社会の木鐸は新聞ではなく週刊誌になってしまったのでしょうか。
 新聞は権力者と蜜月になりすぎて報道している素振りだけになった感がなくもありません。
 最後に一応書いておきますが、「素振り」は「そぶり」であって「すぶり」ではありませんから…。
 じゃ、また。
追伸:ボクシング・内山選手が負けたのはすごいショックで…、それについては来週書こう…。




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