<世界チャンピオン内山 高志>

pressココロ上




 先週報告しましたとおり、今週は内山高志選手のお話です。僕の中では歴代のチャンピオンの中でも第一位に輝くボクシング選手なのです。連続防衛記録は具志堅さんが持っていますが、僕の中では内山選手が一番強いという印象です。なぜなら、世界戦の控え室でも笑顔を見せられるほど平常心を保っていたからです。
 大分前にもコラムで書いたことがありますが、具志堅さんがチャンピオン時代のドキュメント番組を見たことがあります。現役を終える頃の具志堅さんは戦うことに恐怖心を持つようになっていました。世界戦が始まる直前の控え室で部屋の隅の椅子にひとりで座り恐怖におののいているように見える姿に驚いた記憶があります。
 しかし、これは具志堅さんだけのことではなく、ほとんどの選手が試合前は恐怖心と戦っているそうです。そうしたことを書物で読んでいただけに平常心のままでいるように見える内山選手が頼もしく思えたものでした。全く負ける気がしないように感じたのです。
 それでも敗れてしまいました。やはり勝負というものにセオリーはないのかもしれません。こうすれば勝てるという方程式はないのです。起きた事実、そして結果だけがすべてを表しています。
 実は今回の世界戦はいつもの試合とは異なる試合前の出来事がありました。それは、対戦相手のジェスレル・コラレス選手が前日の計量で体重オーバーだったことです。サウナに行くなどしてパンツまで脱いでようやっと2回めの計量でパスをしたのですが、そうした出来事がチャンピオン陣営に隙を与えたように思います。
 実際、計量オーバーを受けてのワタナベジム会長の談話はノンタイトルになった場合の対応に関してでしたし、内山選手も「計量をパスすることを願っている」などと、まるで勝敗は二の次であるかのようなコメントでした。もし、それを狙ってのコラレス陣営の作戦だったとしたならかなり高度なテクニックですし、内山陣営はその罠にまんまとはまったことになります。
 こうした出来事が内山選手を傲慢にしたとは思いませんが、油断をしていたと思える場面はありました。それはダウンを奪われたあとです。
 どんなに優れたチャンピオンであろうともラッキーパンチをもらわないという保証はありえません。どんなにディフェンスがうまい選手でもパンチを出すのですから相手のパンチを受ける可能性は必ずあります。ですから、内山選手がコラレス選手のフックを顎にもらったのは不思議でもなんでもありません。いわゆる想定内ということになります。
 ですから、ダウンを喫したのは仕方ないのですが問題はそのあとです。これは11度連続防衛をしていたという「慣れ」がさせたのかもしれません。もしくは試合前の出来事も影響していたかもしれません。無理な減量をして計量をパスした選手というなめた気持ちが芽生えていたのかもしれません。
 普通はラッキーパンチをもらったあとは意識や体力が回復するまでクリンチをするなり足を使って距離を置くなり相手のパンチをそれ以上もらわないように動くのが本来のやり方です。内山選手もダウンを喫し起き上がったあとに足元がふらつきながらも陣営のほうを見ています。そして、軽く幾度も頷いていますのでこのラウンドだけはなんとかしのぐことを考えていたはずです。いわゆる時間稼ぎをしてこのラウンドを乗り切ることを考えていたはずです。
 しかし、2度目のスリップ気味のダウンを取られたあとから少しずつ気持ちに変化が生じてきたようです。意識と体力が戻ってきたことが理由です。それを裏付けるかのように足元のふらつきはなくなっていましたし、相手のパンチや動きも見えはじめていたような身のこなしでした。
 実際、内山選手は試合後のインタビューで「ラウンドの最後にいいパンチをお返ししようと思ってしまった」と反省の弁を語っていました。これが「慣れ」のさせる業です。もっと経験の少ないチャンピオンであったなら絶対に時間稼ぎに徹していたでしょう。しかし、内山選手はチャンピオンとしての経験も豊富ですし、また相手は計量もままならなかった選手です。相手を見くびる意識がもたげても不思議ではありません。ラウンドが終了する間際は明らかに仕返しパンチを狙っていた身体の動きでした。
 しかし、最後にまたしてもパンチをもらいダウンをしてしまいました。スリーノックダウン制ですので3度目のダウンですべて終わりでした。なんと試合終了時間はラウンドが終わる1秒前でした。
 あと1秒ずれていたなら内山選手はインターバルに救われ、次のラウンドからは息を吹き返して逆にダウンをさせていたかもしれません。それが残念で残念でなりませぬ。
 ですが、3度目のダウンをしレフェリーが試合を止めたときの内山選手の表情が素敵でした。その表情は無敵のチャンピオンの威厳を残したままの、そして無念さを滲ませた後悔の気持ちが表れていました。
 たぶんこの敗戦を最も驚いているのは内山選手自身ではないでしょうか。たぶん負けるという発想はほんのわずかもなかったはずです。本来ならマルコス選手は強敵に入る選手です。暫定王者ですから実力がないはずがありません。それでも今の内山選手は負ける気がしていなかったと思います。
 なのに負けてしまいました。繰り返しますが、相手選手の計量オーバーは内山陣営の気持ちを一気にイレギュラーにさせたように思います。これが第一点で、次に挙げられる敗因は内山陣営や内山選手自身がこの試合の次に気持ちが移っていたことです。それは具志堅さんが持っていた防衛記録に並ぶこともそうですし、その先には防衛記録の更新や世界に打って出る戦略も控えていました。つまり、今年はいろいろな意味で飛躍するイベントがたくさん待ち構えていた年でした。
 しかし、それらはすべて泡となって消えてしまいました。世界チャンピオンという肩書きの大きさを実感せずにはいられません。
 僕が内山選手を好きになったのはその強さだけではありません。人柄もあります。というよりは人柄のほうが優先しています。これほど強いにも関わらず驕ったところが微塵もないのです。いつも飄々としていて自然体でいます。マスコミを意識した言動もありません。常に普通でいます。それが大きな魅力です。
 同じようなことが所属しているワタナベジムの会長にもいえます。ジムの会長という立場では利益についてもいろいろと考えることがあるでしょうが、内山選手を大切に育てているのが伝わってきます。内山選手が全幅の信頼を置いていることが証明しています。マスコミの中には渡辺会長が自らの儲けを優先して内山選手のマッチメイクをしているように報じているマスコミもがありますが、渡辺会長と一緒にテレビに映るときの内山選手の笑顔がそれを打ち消しています。
 それが如実に表れているのが負けたあとの会長のコメントです。「今後のことはすべて内山選手が決めればよい」とマスコミに発表していました。そこには内山選手に対するお礼の言葉も入っていました。これほど選手とジム会長の関係が円満なようすはそう多くはありません。両方の人柄が素晴らしいからできる関係です。
 それにしても内山選手は遅咲きです。普通、ボクシングは若いときに芽が出てピークは25才あたりです。少なくとも20才の頃には強い選手として名前が取りざたされているのが普通です。しかし、内山選手は高校時代は一応は有名選手でしたが大学では補欠にも入らないくらい強くない選手でした。ですから20代前半に引退を考えていますが、紆余曲折を経てワタナベジムに入り大器晩成の今の内山選手がいます。大学時代、いったい誰が11度も防衛する内山選手を想像したでしょう。
 このような人生経験が人柄のよさに表れているように思います。ボクシング選手の真の姿は負けたときの姿に表れると僕は思っていますが、3度目のダウンを喫したときの表情とインタビューを受けたときの表情はともに人柄が表れていました。
 もう一度あの雄姿を見たいなぁ…。
 じゃ、また。




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