<外面(そとづら)>

pressココロ上




 車に乗っていて赤信号で停まったときの光景です。そのとき僕はたまたま先頭でしたので前方を見渡すことができました。なにげに20メートルほど先の左側を見ますとスーツをピシッときめた男性と女性が車を車道に誘導する姿が見えました。そして、誘導されて出てきたのは外国メーカーの高級車です。看板をみますと、その場所は外国メーカーのディーラーでした。車道に誘導された車はいかにも高級車という雰囲気を漂わせながら重厚でかつ軽快に走り去って行きました。
 どんな業種であろうともモノを販売する業者は購入してくださったお客様にお礼の意思表示をします。販売するモノの値段によって意思表示の方法はさまざまです。単価が低い商品を販売するケースでは「ありがとうございます」と言葉だけで意思表示をする程度で、コンビニなどはその典型です。反対に単価が高い商品を販売するケースではお礼の言葉とともに深々とお辞儀をするのが一般的です。デパートとスーパーの最も大きい違いはこのお辞儀の深さにあります。デパートなどではお辞儀の角度まで細かく規定しているのが普通です。ビジネスの世界ではこのような考え方が定着しています。
 この考え方に当てはめますと、高級外車を販売するケースではもちろん深々と頭を垂れるのが基本姿勢です。高級外車はデパートで扱っている商品類よりも高価ですのでデパートの接客よりもさらに丁重に接する必要があります。
 ですから高級外車を見送ったディーラーの二人も深々と腰からお辞儀をしていました。ここまでの光景はこれまでになんども見てきたものですので想像の範囲内でした。しかし、そのあとの二人の行動は僕の想像を越えるものでした。
 なんとピシッとスーツを着こなした二人の男女はいつまで経ってもお辞儀の姿勢を解かないのです。ずっとお辞儀の姿勢を保ったままにしていました。車で走り去ったのですから当然のごとく目の前にはもう高級外車はいません。それでもお辞儀をし続けていました。
結局、二人がお辞儀の姿勢を解いたのは高級外車のうしろ姿がほとんど見えなくなったときでした。
 僕は朝仕事には車で出かけるのですが、妻は必ず外まで見送りに出てきます。そんな妻に僕はいつも車内から軽く手を上げるのですが、それに対して妻は手を左右に5~6回振ります。普通はこれで終わりですが、お茶目な僕はこれだけでは終わらせません。これだけではつまらない男になってしまいます。
 僕がたまに口ずさむ歌にドリームカムトゥルー(おじさんはカタカナで表記するものです)の「未来予想図II」という歌があるのですが、その歌詞には次の一節があります。
♪ 私を降ろした後 角をまがるまで 見送ると
♪ いつもブレーキランプ 5回の点滅
♪ ア・イ・シ・テ・ル のサイン
 僕は出発したあとブレーキランプの代わりにハザードランプを5回点滅させています。バックミラー越しに妻をみますと、ハザードランプに対しても手を左右に振っているのが見えます。バックミラーというのは思いのほか遠くまで映るものです。
 高級外車のディーラーの二人は運転しているお客様がバックミラーで見ていることを想定しているようでした。そうでなければ目の前からいなくなったあともお辞儀を続ける意味がありません。仕事においてはちょっとした心遣いが相手に好印象を与えることを教えてくれた出来事でした。
 東京都知事の舛添さんが批判に晒されています。結局、政治資金を公私混同していた部分があることを認め返金することを表明し謝罪しました。それにしても記者会見での舛添さんの釈明はこれまでの政治家としての舛添さんの言動とは正反対の印象を受けました。
 舛添さんは国会議員のとき、政治家のお金の管理について厳しい意見を主張していたように思います。そうした清廉性に好感していた人も多かったはずです。しかし、今回の件でそれらの言動が口先だけだったことが明らかになってしまいました。外面と実際の姿がかけ離れている人が信用されないことはいうまでもありません。
 ベッキーさんが中居君の番組で復帰をしましたが、世の中が許すのかどうかまだわかりません。ベッキーさんが謹慎にまで追い込まれたのも外面と実際の姿に齟齬があったからです。ベッキーさんは不倫が発覚し謝罪会見をしたあとも本心では反省していない心情が漏れ伝わったことが騒動を大きくしました。
 いくら外面を取り繕っても中身が伴っていないのではいつか破綻します。外面はいつかは必ず剥がれるのが宿命です。思い起こせば宮崎謙介国会議員も外面が剥がれたことが議員辞職に追い込まれた要因でした。
 外面は化けの皮と言い換えることもできます。つまり外面とは所詮は本当の自分の姿ではなく化けている姿です。そして化けの姿でいることは本人にとっても苦痛となります。なぜなら本来の姿ではないのですから無理をしているからです。無理を永遠に続けられるほど人は強くはありません。いつかストレスで本当の姿を見せたくなるものです。化けの皮はいつしか剥がれるのが宿命です。
 しかし、社会で生きるということは誰でも少しの化けの皮を被っている必要があります。人間を続けていくうえで難しいのはこの按配です。本当の姿と化けの姿…。
 実は、5回のハザードランプは僕の化けの皮なんですけど、今さらやめられないんですよねぇ…。
 じゃまた。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする