<我慢、辛抱、努力、優しくなれ!>

pressココロ上




 今週の表題は僕がかつて自らの信条にしていた言葉です。なにしろ僕はスポーツ大好き子供でしたし、スポ根に憧れていた少年でした。「スポ根」という言葉は今の若い人に通じるのでしょうか。「スポーツ根性」を短くしたものですが、精神と肉体を練習で追い込み汗と涙で感動するアレです。もちろん僕が小学校の頃に欠かさず読んでいたマンガはスポ根の雄といえる「巨人の星」と「あしたのジョー」でした。
 大リーグ養成ギプスも作りましたし朝早く起きてのロードワークもしました。僕の若い頃の肉体と精神を作ったのはスポ根です。ですからごく自然に「我慢、辛抱、努力、優しくなれ!」が僕の心と身体に染みついていきました。
 巨人の星は週刊誌に毎週連載されていましたが、そのほかに月刊誌にもたまに特別編として連載されることがありました。その中で僕が50年経った今でも覚えている話があります。
 
 飛雄馬は父・一徹の言いつけで毎日早朝にロードワークをさせられていました。コースも決められており毎日そのコースを走っていました。しかし、ある日いつものコースを走っていますと工事中の看板が立っていました。仕方なく別の道に行くのですが、別の道が2つあり、ひとつは近道になりあとひとつは遠回りになるコースでした。そこで飛雄馬は近道のほうに進んだのですが、その道の出口にたどり着きますと、そこには父・一徹が待っていたのです。そして、有無を言わせず飛雄馬を平手で張り飛ばすのです。
「どうして、楽なほうを選んだのだ!」 と。
 僕はこの話を読んで「ああ、ズルイことしちゃいけないんだなぁ」という気持ちが刻み込まれたのでした。僕の「我慢、辛抱、努力、優しくなれ!」はこのようなことの積み重ねで作られていったのでした。
 最近、都知事である舛添さんが政治資金の使い道がセコイということで批判を浴びていますが、是非、この巨人の星の話を読んでいただきたいと思います。
 それはともかく僕はこのような子供時代を過ごし、スポ根の精神構造を信条にして生きてきました。しかし、次第に「我慢、辛抱、努力、優しくなれ!」に疑問を持つようになりました。そのきっかけのひとつは親から虐待を受けている子供たちの存在でした。
 子供は親を選べません。ほとんどの親は自分の子供に幸せになってほしいと思っているはずです。しかし、ニュースなどではひとかけらの愛情もないような親の事件が報じられています。僕はコラムで虐待を受けている子供のことを取り上げることが多いですが、まともな親に育てられていない子供が本当にかわいそうで不憫でなりません。
 そのような境遇の子供に「我慢、辛抱、努力、優しくなれ!」などと説くのはおかしいのではないか。そんな思いが頭をよぎるようになりました。親としての資格がない親のせいで子供が傷つけられるのは間違っています。そのような環境にいる子供は我慢や辛抱などする必要はありません。
 また、ブラック企業のニュースも同様でした。従業員を使い捨てにすることしか考えていないような企業に我慢して働く必要はありません。残念なことに企業のモラルは昔よりも格段に落ちているように思います。企業が生き残りをかけて必死に人件費を削ろうとする気持ちはわかります。しかし、今の企業の風潮は従業員を道具のひとつとしか考えていないようにしか見えません。平気でサービス残業を強いたり休日出勤を強要したりしています。
 昔は従業員をスタッフとラインというような分け方で捉えていました。簡単に言いますと、スタッフは総合職・管理職でラインは現場職です。もう少しラフにいうならエリートと非エリートです。非エリートの出世には限界があります。官僚でいうならキャリアとノンキャリアの違いです。大企業でいうなら幹部候補生と一般社員でしょうか。
 きちんとしたこのような区分けがありましたが、ラインにしてもノンキャリアにしても非エリートにしても一般社員にしても企業はこのような従業員を使い捨てにするという発想はなかったように思います。ですから、給与などに差はついていても大切に接していたように思います。
 しかし、今の時代は違います。現場職や非エリート職や一般社員は非正規社員に置き換えられています。非正規社員という名称からも連想できるように正規でないのですから同じ所属ではない従業員です。所属が違うのですから大切に遇するはずはありません。
 今の状況では非正規社員は使い捨てにされるのが当然の環境になっています。そのような状況で我慢、辛抱、努力しても意味がありません。
 昔は「石の上にも三年」という格言が通用していました。これは「冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ」ですが、今の時代は「労働環境が悪い企業で忍耐をして働いても得をするのは企業だけ」という結果になってしまいます。
 経営評論家のドラッカー先生は話しています。
「変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つだけだ」
 時代が変わり企業は従業員を大切にするとは限りません。企業が大切にする従業員は一部のエリートだけです。このような社会状況で従業員ができることは変化の先頭に立てなくとも変化に対応することです。無理をしすぎて体調を崩しては我慢・辛抱をしている意味がありません。三年といわず、区切りのいいところで我慢・辛抱から逃れることが大切です。
 大人はそれでいいですが、子供が自分から変化するのは無理があります。周りの大人が手助けをするのが良識のある大人の義務です。このように書いていて思い出す事件があります。数ヶ月前だと思いますが、親から虐待を受けていた子供が耐えかねて自ら養護施設に入ることを要望していたにも関わらず、児童相談所が対応をせず結局その子は自殺の道を選んだ事件がありました。なんともやり切れない事件です。子供を支援する関係の仕事に従事している皆さん、是非とも仕事に一生懸命取り組んでください。皆さんのお仕事は子供の命に関わるお仕事です。そのことを常に肝に銘じて頑張ってほしいと思います。最後にエールの言葉を贈ります。
「我慢、辛抱、努力、優しくなれ!」
 あれ!?
 じゃ、また。




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