<イチローの涙とさかなのなみだ>

pressココロ上




 イチロー選手が日米通算ではありますが、ピート・ローズ選手の最多安打を抜いて世界一の安打数を記録しました。しかし、米国では今回のイチロー選手の記録に対して評価が別れているようです。ローズ選手は「認めない」立場を表明しており、イチロー選手も記者会見で「ローズ選手が認めていないと聞いている」と話していました。イチロー選手の言葉を借りるなら「ケチがつく」のは致し方ないですが、20年以上毎年200本を打ち続けてきたのですから、やはり偉業であることには違いありません。米国民の評価が別れるのは当然ですが、せめてローズ選手がもう少し好意的な対応をしてくれたなら米国の風向きも変わっていたかもしれません。
 因みに、王選手がホームランでハンク・アーロン選手の記録を抜いたとき、アーロン選手は王選手に敬意を表する対応をしていました。確かに、日本と米国では技術のレベルも球場の広さも試合のシステムもボールの質も違いますので比較するのは正しくないかもしれません。ですが、敬意を表したアーロン選手の対応は同じ野球選手として天晴れな対応のように思います。
 それに比べてローズ選手の対応は野球選手として「ちょっと寂しい」と思うのは日本人である僕の贔屓心でしょうか…。
 アーロン選手とローズ選手の対応の違いを考えるとき、やはり人種差別のことが頭をよぎります。差別される側にいたアーロン選手はマイノリティにいる立場の人に対して思いやる気持ちが自然と身についていたように思います。なにしろ今の時代でも人種差別に関する事件が米国から届いているのですから、黒人であるアーロン選手が40年前の時代にベーブ・ルース氏を抜いて世界記録を作ったときも賞賛ばかりではなかったのは想像に難くありません。いろいろな理屈をつけて「記録を認めない」という意見があったことは容易に想像がつきます。
 イチロー選手は記者会見でチームメートやファンの方々が喜んでくれた反応に感謝していました。「ケチをつけられる」のを覚悟していたのですから、その反応がうれしかったようです。
 記者会見を見ていて思うのは、イチロー選手が今のマーリンズというチームを気に入っているということです。そして、これまでにたくさんの差別を受けてきたことでした。驚かされたのは、かつてのチームではチームメイトでさえイチロー選手に対して反感を持っていた人がいたことでした。以前、なにかの記事でイチロー選手がチーム内で浮いていることを報じていましたが、チーム内で良好なコミュニケーションがとれていなかったことは事実のようでした。
 イチロー選手がマリナーズにいた頃、映像に映る姿で僕がいつも気になっていたのはその歩き方でした。胸を張り肩を左右に振って歩く姿でした。僕には鎧を着て歩いているように見えていました。肩肘を張って生きているように感じていました。
 会見でイチロー選手は「僕はいつも人に笑われてきた」と語っていました。小学校の頃、毎日練習をしていると「あいつプロ野球選手にでもなるのか」と笑われ、メジャーリーグに渡るときに「首位打者になってみたい」と言って笑われ、そんな歴史を語っていました。そう話すときのイチロー選手の目には涙が光っていました。このときのイチロー選手の口から出た「笑われ」は「バカにされ」と同義語です。たぶん、米国での悔しい数々の体験が思い出され万感の思いがこみ上げてきたのでしょう。
 このように野球選手として天才的で努力家のイチロー選手ですから日本人選手でイチロー選手を尊敬している野球選手はたくさんいます。その中にイチロー選手を慕い過ぎるあまり、米国に渡った選手がいます。川崎宗則選手です。川崎選手はメジャーとマイナーを行ったりきたりで完全なメジャー選手ではありませんが、その軽妙洒脱な振る舞いで人気は絶大なものがあります。成績よりもその人気さゆえにメジャーに昇格しているといっても過言ではないかもしれません。それほどチームメイトに溶け込んでいます。
 このような川崎選手を見ていますとイチロー選手との違いに思いが至ります。川崎選手はチームに受け入れられ、イチロー選手は孤立していました。成績では段違いがありますが、成績とコミュニケーションは比例しないようです。
 こうしたことから思うのは、イチロー選手が受けた悔しい経験は素晴らし過ぎる成績ゆえの妬みの可能性があるということです。イチロー選手の堅苦し過ぎる性格もいくらかは影響しているかもしれませんが、孤立している理由は妬みの要素が大部分を占めているようにも思えます。
 そうであるならばイチロー選手の悔しい経験は栄光の裏返しということになります。これは有名税と似た部分もあり、一流選手は皆経験していることです。もちろんメジャーリーグではマイノリティの立場であるがゆえにほかの人よりも妬みの度合いは強いと思いますが。
 イチロー選手は記者会見で人格者としてデレク・ジーター選手の名前を上げていました。唐突な印象がありましたが、ヤンキース時代にとても悔しい思いをし、それを気遣ってくれたのがジーター選手であったことが想像できます。この発言は、悔しい経験をしてきたことの裏返しであるようにも感じました。
 イチロー選手は「笑われたこと」をエネルギーにして夢を実現してきましたが、それが可能だったのも努力をすることも含めて才能があったからです。そのような人の「涙」は「うれし涙」の部類に入ります。自分の夢が実現できた「喜びの涙」です。
 しかし、世の中には夢を実現できない人が山ほどいます。ごく普通の人は全員がそうです。そのような人たちは悔しい経験をしてもそれを見返す機会がありません。悔しさを受け入れ溜め込むしか術はありません。その「涙」は「悔し涙」です。
 最近はジャズのコンサートに出たり大学で教えたりなどいろいろな場面で活躍する姿を見かける「さかなクン」をご存知でしょう。少し甲高い声で「ギョギョギョを」を連発するさかなクンです。さかなクンの書いた「さかなのなみだ」がいじめに関することで数年前から注目されています。
 独特な雰囲気を持っているさかなクンですので、学校という狭い空間ではひとつ間違えるといじめの対象になりやすいのは容易に想像できます。実際、さかなクンは中学高校といじめられる側にいたそうです。そのさかまクンが自身の経験をもとにいじめられている子供たちにメッセージを送っているのが「さかなのなみだ」です。
 世の中にはイチロー選手のように見返すことで涙を流せる人もいますが、見返すことなどできない子供もたくさんいます。そのような子供たちを応援するためにさかなクンが応援をしています。
 いじめは狭いところで起きるので広いところに変わることを提案しています。今の環境が合わないのなら環境を変えることで自分の居場所が見つかるかもしれません。さかなクンはそうやっていじめられている子供たちを勇気づけています。
 「見返す」ことなどできなくても、自分の居場所が見つかるだけでも「うれし涙」や「喜び涙」を流すことはできます。みんなが「さかなのなみだ」から「イチローの涙」に変わることを願っています。
 じゃ、また。




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