<共同体の難しさ>

pressココロ上




 先週の大きなニュースといいますと、やはり英国のEU離脱です。国民投票で離脱派が僅差ながら上回った結果でした。当初の報道では拮抗しているとはいえ離脱派が優勢のように伝えられ、離脱は現実的ではないような印象を僕は持っていました。
 ところが、いざ蓋を開けてみましたら僅差で離脱派が勝ってしまいました。読売新聞の記事を読みますと、エリート層の人たちは残留派が多く労働者階級の人たちは離脱を支持しているようでした。しかも記事によりますと、離脱を支持している人たちの間でも「どうせ残留の結果になるだろうけど、離脱の意見もかなりあることを知らしめる」という程度の気持ちでいたようでした。それが実際に勝利してしまったのですから離脱派の人たちも心の中では驚いているのかもしれません。
 しかし、この問題は「これで終わり」とはいきそうもない気配です。昨日のニュースでは残留を支持していた人たちの間で今度は英国からの独立の訴える動きがあるからです。英国から独立をしてEUに加盟することが目的です。
 独立といいますと、英国では一昨年にスコットランドで独立を問う住民投票がありました。このときは引き留め策が功を奏してなんとか独立を阻止できましたが、もし独立していたなら世界経済に大きな影響を与えていたでしょう。
 それが今回は英国がEUを離脱するのですから世界的なニュースになるのは当然です。スコットランドの独立に際してもそうですが、今回の離脱についても国民投票が行われていました。日本人からしますとあまりに簡単に国民投票をしすぎる感じがしますが、国家の成り立ちや政治への参加方法が異なっていることが根本にあるからと思われます。
 英国のEUからの離脱について考えるとき、組織の大きさということに考えが及びました。もしかしたなら人間というのは自らが快適に生活するのに適している社会の大きさというものがあるのかもしれません。
 EUというのは過去の世界大戦を反省する意味合いから、共同体になることで戦争をなくそうという発想の元に作られたそうです。確かに、希薄な関係でいるよりも密な関係でいるほうが相手に対する信頼感や融和感は高まります。しかし、共同体が大きくなりますと、結局は自分の存在価値が共同体の中では弱まることになります。それが共同体に対する反発感や自らの存在の喪失感を生じさせるのではないでしょうか。英国の決定を見ていますと、そのように思ってしまいます。
 そのような視点でビジネス界を見渡してみますと、合併によって規模が大きくなった企業がその大きさを活かすことができず反対に反発感が強まり、袂を分かつ例を見ることができます。ベンツとクライスラーの合併もそうですし、米メディア大手タイムワーナーと米ネット大手AOLの合併もそうです。合併の解消とまではいかなくとも合併の効果が全く表れず、業績が悪いままの企業の例もたくさんあります。
 このような例を見ていますと、やはりどんな組織であれ団体であれ、または共同体であれ、人間が集まった集団には適度な規模というのがありそうです。
 そのような考えでいましたら米国のことが頭に浮かびました。そこで米国の歴史を少しだけ紐解いてみましたところ、米国は元々は州が国家のようなものでそれが集まって合衆国を形成した歴史がありました。「しかも」というべきか「やはり」というべきか、国内での対立があり一度は合衆国を飛び出した州もありました。その後、内戦などを経て現在の形になっていました。
 しかし、その後は米国から飛び出す州がありませんから、米国は唯一たくさんの人が集まって形成した共同体として成功している例かもしれません。もちろん米国では今でも人種差別の事件が起きていますので問題がないとはいえませんが、そのようなことを割り引いても成功しているほうではないか、と感じました。今の英国の動きを見ていますと、その思いを強くします。
 日本の人口は米国の半分ほどでEU諸国よりは多い規模です。もしかしたなら規模的にはちょうどよい大きさなのかもしれません。その日本で英国のような国民投票があるのか気になりました。
 そこで調べてみましたら、日本で国民投票ができるのは「憲法改正」のときだけと決まっているそうです。理由はコストの面が大きいからですが、今回の英国の場合を見ていますと、なんでもかんでも国民投票にしてしまうと賛成反対それぞれを支持する人の間で溝が深くなり地域社会がギスギスするような危険があるように感じました。原理主義ではありませんが、あまりに政治に執着しすぎると社会から融和がなくなりそうで心配です。
 しかし、だからと言って政治に無関心でいいわけがありません。あまりに無関心ですと国が悪い方向に行ってしまいます。悪い国とはみんなが平和に暮らしていけない社会です。人は誰でも生まれてきた瞬間から「生まれてきてよかった」と感じながら生きていく権利を有しているはずです。
 その日本で自らの意見を政治に伝えることができる参議院選挙が公示されました。みなさん、投票に行きましょう。なんとしても行きましょう。
 僕が今、心配しているのは「日本が戦争のできる国になりそうな」方向に向かっていることです。ずばり言ってしまいますが、僕は憲法を改正することに反対です。腰砕け憲法などと揶揄する人もいますが、他人を殺すことがあるかもしれない戦争に参加できるような国になることには反対です。なんとしても専守防衛に徹するべきです。そうでなければ若い人やこれから少年や青年になる人たちが悲惨な目に遭うことになってしまいます。それだけはなんとしても避けなければいけないと思っています。
 モハメット・アリ氏は「罪もないベトナムの人を殺すことはできない」と兵役を拒否しましたが、どんな理由があろうともわざわざ外国に出かけて行って武器を使えるような憲法に変えるのには反対です。
 前回の選挙で「自民党は」というか「安倍首相は」というか、どちらにしても政権は「憲法改正」をマニフェストの最後のほうの隅っこに小さく書いただけで目立たないようにしていました。その姑息なやり方がどうしても納得できなかったのですが、今回はもう少し全面に出して表明しています。しかし、やはり声を大きくして主張しているのは経済のことです。こうしたやり方に僕は心の底から憤っています。
「国民なんて、うれしがりそうな経済のことだけを訴えておけば票をもらえるよ」という心の中が透けて見えそうです。僕には国民を愚弄しているとまで思えてしまいます。
 mmm、ちょっと興奮して言いすぎたかな、、。
 まぁ、いいや。今の自民党はとても強いからこのくらいでちょうどいい。
 僕があとひとつ心配なのは投票率です。みなさん、投票に行きましょう。投票に行かないと組織票を持っている人ばかりが政治家になってしまいます。これはつまり世の中が組織に有利な政策ばかりが施行されることになることです。これでは組織に属さない、または組織の言いなりにならないポリシーを持っている普通のごく普通の市民は生きていくのが益々苦しくなるばかりです。
 投票に行かないということは組織票を持っている人を応援していることになるのです。みなさん、是非とも投票に行きましょう。
 下記のサイトは政治に詳しくない人が自分の考えに近い政党を選ぶ手助けをしてくれるサイトです。面白いので是非活用してください。
 日本政治.com (http://nihonseiji.com/votematches/1)
 じゃ、また。




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