<投票率>

pressココロ上




 残念なことに参院選の投票率は54%という戦後4番目に低い数字で終わってしまいました。年齢別の投票率が知りたかったのですが、まだ発表されていませんでした。しかし、前回と大して変わらないはずですので、それを参考にしますと一番低いのが20才代で30%代で、次いで30才代で40%代、次いで40才代で50%を少し超える程度といったところでしょうか。
 今回より18才、19才も投票できるようになったのですが、この年代だけは公表されており45.5%でした。この年代は初めての投票ですのでいろいろな意味で注目されていましたが、そうしたことが理由で20才代や30才代よりも高い数字を出したものと思われます。
 それにしてもやはり僕が落胆するのは20才代30才代の投票率の低さです。まさにこれからの日本を背負って立たなければいけない年代が最も政治に無関心ということになりますから残念でなりません。
 そこで僕が気になったのはいったいいつから日本の若者が政治に無関心になったのか、です。かつては学生運動が盛んで学生が政治に注文をつけようとしていた時代もありました。今の若い人には想像もつかないかもしれないですけど、大げさにいうならば命をかけてまで政治に関わろうとしていた時代があったのです。
 因みに、1967年(昭和42年)の年代別投票率は20代が66%、30代が77%、40代と50代がともに82%と今では考えられない高い数字でした。これと比べますと現在の人たちがいかに投票に行っていないかがわかります。
 ちょっと上から目線が書かせてもらいますと、20代30代の若さでは社会のことや政治のことをまだよく理解していないと僕は思っています。やはり経験が少ないのですから正しい選択などできるはずがないと思うからです。それでもやはり投票には行かなければいけないのです。理由は、政治家をけん制するためです。
 今、僕は「上から目線」で書きましたが、政治家は僕などよりもっと上から目線で国民を見下しています。それが僕には我慢がならないのです。例えば、選挙運動のときの訴え方に表れています。選挙運動で前面に出して声高に叫んでいるのは経済のことです。
「どうせ国民なんて自分の生活の心配しかしていない」
 僕には、与党がこのようにしか考えていないように見えました。そしてさらに悔しいことに
「どうせ国民なんて公約を実現したかどうかなんて考えないし、時が過ぎれば忘れるね」
 このように僕が思うのは、僕の個人的恨みも影響しています。第一次安倍内閣のとき安倍首相が選挙カーの上で絶叫していたスローガンを覚えているでしょうか。安倍首相はこう言っていたのです。この頃はちょうど「消えた年金問題」が社会問題化していた時期でした。
「最後の1人まで探し出して、年金を払います」
 最近は消えた年金についての報道がほとんどありせんが、調べた範囲でいいますと、2013年時点でまだ2000万件以上が宙に浮いたままでした。今は2016年ですから3年が過ぎていますが、年金に関する報道はありませんので今もこの状況は変わらないでしょう。なにしろきちんとした説明がありませんので現在どのようになっているかわかりません。結局、うやむやにしたままでことを済まそうとしているように感じられます。
 コラムにも書きましたが、僕は第三者委員会に出席もしています。しかし、「探し出す」という熱意は微塵も感じられませんでした。僕が感じたのは「裁判を受けさせらている」という感じだけでした。あのやり方では絶対に「最後の1人まで探し出せる」はずがありません。興味のある方はコラム内で「第三者委員会」と検索しますと読むことができます。
 ついつい自分のことを書いてしまいましたが、話を戻しますと与党は選挙のときに経済のことを前面に出して戦っていました。そのようなやり方に僕は反発するのです。国民を侮っているとしか思えないのです。そして、そのように思わせているのが投票率なのです。
「国民なんて、政治に関心がないんだから甘い言葉を並べておけば大丈夫だ」
 選挙結果は、実際に与党の思うようになってしまいました。
 ニュース番組などでは参院選の検証などを行っていますが、その中で気になった解説がありました。野党が「まずは2/3をとらせない」と訴えていましたが、若い人の中には「その意味がわからない」と答えた人がかなりの割合でいたそうです。僕にはそれが驚きでした。そこで、ちょっと考えてみました。
 もしかしたなら「よくわからないから投票に行かない」という行動も正しい判断かもしれません。そんなことを考えていましたら、あることに考えが至りました。
 冒頭で昭和42年時の投票率を紹介しましたが、当時はどの年代も平均的に高い数字を出しています。しかし、問題はその背景です。実は、その当時は労働組合とか協会などといった組織表が多かった可能性が高いのです。これはつまり、例えば組合から特定の候補者に投票するように強い要請があったり、自営業者あるなら所属する協会や団体から投票を依頼されたり、もちろん企業も従業員に企業の推す候補者への投票を強いニュアンスで指示していたはずです。つまり、当時の投票のほとんどが組織票だった可能性があるのです。これでは本当の意味で公平な選挙とはいえません。
 時代が変わり労働組合も昔ほどの力を持っていませんし、企業にしても終身雇用制は崩壊したあとは従業員の意識も薄くなっています。ですから、組織からの投票依頼が減ってきているように推察できます。つまり、投票に行くのはあくまで個人の意識に任されていることになります。
 このような状況ですと、仕事や遊びで忙しくて投票に行かない個人が増えても仕方ありません。このように投票に行く選択が個人に任せられるようになっていることが投票率の低下につながっているように思います。
 しかし、前回書きましたように、個人が投票に行かないということは国民の割合からしますと少数であるはずの組織票が全体の方向を決めることになってしまいます。それでは日本が危険な方向に進んでしまいます。誰からの強制も依頼もない状態で個人が自分の意思や考えで投票するのが健全な選挙のあり方です。
 東京に住んでいる若い皆さん、面倒だとは思いますが、あと1回選挙があります。投票に行きましょう。誰がなろうともかまいません。政党や政治家をけん制するために一票を投じましょう。
 正直に告白しますと、僕も20代の頃は政治にあんまし興味がなかったんですよねぇ。そもそも論になりますが、政治のことをしっかりと勉強して知識を身に着けたとしても常に正しい判断ができるとは限らないのが実際のところです。それでも投票に行きましょう。
 じゃ、また。




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