<TPPとPPAP>

pressココロ上




 世界中が驚いたドナルド・トランプ氏の勝利でした。それまでの世論調査では僅差ながら「ヒラリー・クリントン氏の勝利が間違いない」ようにメディアから報じられていたからです。このことはマスコミの情報の正確さについても考えさせられることでした。つまり、あたかも世の中の動向について知り尽くしているかのように振舞っているマスコミが実際は市井で暮らしている国民の本当の気持ちをとらえ切れていなかったことを示しています。
 マスコミでは「隠れトランプ」という表現を使っていますが、「隠れトランプ」とは「あまりに過激な言葉づかいをするトランプ氏を表立っては支持を表明できない人」のことです。「隠れトランプ」がたくさんいたことになります。
 「隠れトランプ」の存在は裏を返せば、トランプ氏の主張が「常識を逸脱していること」を認めていることの証でもあります。つまり、常識という感覚はトランプ氏に投票した人たちも共有していることになります。
 しかしそれでも米国民はトランプ氏を大統領に選出しました。選挙結果の分析をいろいろなマスコミが報じていますが、興味深いのはあれだけ女性蔑視の発言がマスコミで報じられていたにも関わらず女性の半分以上がトランプ氏に投票していたことです。つまり、米国の女性たちは「女性蔑視をするような人」であってもクリントン氏よりは「まし」だと思ったことになります。しかも、クリントン氏は女性でした。
 選挙結果を分析するときに出てくるのが「エスタブリッシュメント」という言葉です。辞書には「社会的に確立した制度や体制。または、それを代表する支配階級・組織。既成勢力」と説明されています。僕のイメージではエリートのような感覚です。
 トランプ氏に投票した人たちはこの「エスタブリッシュメント」に対して反感する気持ちを持っている人が多いそうです。ヒラリー・クリントン氏は「エスタブリッシュメント」を象徴する人のように言われていました。そのクリントン氏の対照的な人物を演ずる意味合いで、選挙活動中のトランプ氏は野球帽をかぶって登場したりなど庶民的な雰囲気を強調していました。
 トランプ氏の「TPP反対」や「関税を引き上げる」または「移民排斥」といった主張は社会の末端で働いている人々を喜ばせる主張です。米国民の労働者を守ることにつながるからです。これらの主張を聞いていて思い出したのが英国のEU離脱でした。EU離脱を支持した人たちも根底にあるのは人やモノの自由化によって自分たちの職場という既得権が奪われる危惧感でした。トランプ氏の主張と通じるものがあります。
 しかし、僕が不思議に思うのはトランプ氏は決して末端で働いている庶民を代表する立場の人ではないことです。なぜならトランプ氏は億万長者です。市井で必死にコツコツ働いている庶民から利益を搾取する立場にいる人です。トランプ氏の経歴を振り返りますと容易にわかります。
 僕がトランプ氏が大統領に立候補したことを知って真っ先に思ったのは「まだ第一線にいたんだ」というものでした。1980年代に不動産王として成功したのちに90年代には苦境に陥り、その後も復活と転落を繰り返している印象があったからです。ですから、今回の立候補までトランプ氏の名前など忘れていました。
 当初トランプ氏は泡沫候補と目されていました。おそらく大方の人が「すぐに消える」と思っていたのではないでしょうか。誰もが共和党の指名候補になることさえ想像していなかったはずです。さらに選挙戦終盤では共和党の主流派や大手新聞などマスコミまでもがトランプ氏を支持しないと表明していました。しかし、あれよあれよという間に大統領にまで上りつめてしまいました。
 日本では一時期選挙などの際にマスコミで「民度」という言葉が使われていました。ウィキペディアには「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる[誰によって?]。明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である。テレビ番組の内容が時代、地域の民度と連動しているとの考えも存在する」と書かれています。
 選挙のときに使われるときの民度とは「社会のためになる判断ができる知的水準」という意味合いが強かったように思います。その意味で言いますと、トランプ氏が大統領に上りつめたということは米国民は民度が低いことを示しているのかもしれません。なにしろ人種差別発言や外交知識の欠如が大統領どころか政治家としてふさわしくないことが明白だったからです。そうした人物を選ぶ国民が民度が高いとは思えません。
 しかし、トランプ氏を支持する人のインタビューを聞いていますと、これまでの政治とは違うやり方を期待しているようで一概に民度が低いとも思えませんでした。米国民の民度が低いのかどうかは今後のトランプ氏の大統領としての手腕にかかっています。
 トランプ氏の勝利が確定してから米国では各地で反対デモが起きているそうです。この動きが今後どのように展開するのかはわかりませんが、米国の分断がさらに大きく表面化するのは避けられないように思います。
 「それにしても」と僕は思います。もし民主党の指名候補がクリントン氏でなかったなら選挙動向は違った展開になったはずです。僕はトランプ氏が大統領になれたのは民主党の候補がクリントン氏だったからだと思っています。クリントン氏の敗戦の弁を新聞で読みましたが、潔さと政治に対する真摯な思いが伝わってきました。それだけにクリントン氏は立候補すべきではありませんでした。
 民主党が2期連続で勝利していたこともトランプ氏を勝利に導いた要因のように思いますし、クリントン氏が政権に関与している期間が長すぎることもそうです。もしサンダース氏が民主党の候補だったなら変化を求めている人を引き入れたように想像します。クリントン氏よりは「まし」と思った人がトランプ氏に投票したのですからそうした人がトランプ氏に票をいれなかった可能性があります。しかし、歴史に「もし」は禁句です。
 世界を見渡しますと、EUにおいても極右と言われる政党が各国で伸長しています。これは世界的に経済の面だけではない保護主義が台頭していることを表しています。各国が自国のことだけを考えて行動するならそのあとに待っているのは戦争でしかありません。世界は第二次世界大戦の反省としてそれぞれの国が自国の利益だけを考えるのではなく協調することで平和を実現することを目指しました。EUが誕生した根源的な理由にも「経済で密接に結びつくことが平和につながる」という概念があったはずです。しかし、現在の世界は反対の方向に向かっているように映ります。
 確かにトランプ氏の主張するようにアメリカが世界の警察官を続けることは現実的ではなくなっています。マスコミふうな言葉で言うなら「パックス・アメリカーナの終わりの始まり」です。1991年ソ連が崩壊してアメリカ一強時代に入ったと言われ、共産主義に対して資本主義が勝利をしたと言われました。しかし、そのアメリカも数年前から衰退の道を歩んでいます。保護主義の台頭はそのことと無関係ではありません。諸行無常は世の常ですが、これから世界はどこに向かって進んで行くのでしょう。
 このような混沌とした時代に僕たちのような普通の人が心がけておくべきことは自分のことだけを考えるのではなく社会に関心を持ち、他人の境遇にも心配りをすることです。そして、政治に投票という形で参加することです。そのために必要なことは日ごろから世の中について勉強することです。
 例えば、「TPPとPPAPの違い」はわかっていなければいけません。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする