<潔さ>

pressココロ上




年齢のせいか、朝目覚めるのが早くなっています。夜中にトイレに起きることも多いですが、今日はトイレとは関係なく朝5時頃に目が覚ました。しばらくどんよりしていましたが、何気にテレビをつけますと世界陸上をやっていました。ライブです。
そして、そこに映し出されていたのは、なんとあのボルト選手が負けた映像でした。信じられませんでしたが、はっきりとボルト選手が負けている映像が流れていました。英雄はいつまでも英雄でいられることはできないのですね。どんなに優れた選手でもいつかは負ける日がやってきます。ボルト選手の負ける映像を見ていましたらそんなことを思いました。
人間は、栄光の日々を過ごしているときは自分に余裕がありますので自分を作ることができます。しかし、失意のときは余裕などありませんので本当の自分の姿を晒すことになります。その意味で言いますと、ボルト選手の負け方は素晴らしいものでした。「潔い」という言葉がピッタリの走り方でした。
高校時代、クラブ活動には入っていないのですが、運動能力に優れたK君という人がいました。足も早く、サッカーもうまく、とにかく全体的にスポーツ万能と認められている存在でした。また、K君はギターもうまく休み時間などにはみんなの前で腕前を披露するなど音楽の面でも存在感がありました。しかし、どこの運動部にも音楽クラブにも入っていませんでした。
さらに、K君は手先も器用でコインを見事に操り手品を披露するなどしてみんなの憧れの存在でもありました。また、おしゃれに関しても精通していて着ている服は毎日変えていましたし、着こなしも芸能人に劣らないくらいの感性を持っていました。また立ち振る舞いもスマートでしたし、なによりそうした行為が似合うだけのイケメンでもありました。
このようにほぼ完璧に近い高校生でしたので、今でいうならスーパー高校生といったかんじでしょうか。このようなタイプの人でしたので、やはり目立つことは好きなようで文化祭では舞台の中央で一人ギターを弾いてたくさんの拍手を受けたりもしていました。彼は注目されることが好きなタイプの人でした。
その彼が、体育祭の100m競争に出場することになりました。足が速いのも自慢でしたので、それを披露するつもりがあったようです。中学時代に大会で優勝した経験もあるそうでしたのでかなり自信があったのだと思います。
さて、いよいよ彼の出場する100m走のプログラムになりました。K君以外のメンバーを見ますと、どうみても彼を負かせそうな人はいませんでした。そんな中、ひとり異彩を放っている人がいました。彼の名はS君です。異彩の理由は、超がつくほど真面目な堅物で、そしてガリ勉で、どう考えてもスポーツというか、そもそも「早く走る」というイメージが全く湧かない人でした。身長は平均より少し高いくらいですが、筋肉質な身体でもなくガッシリした体格でもありません。華奢でか細いといった表現が似合うような体格の持ち主でした。100m走に出場することさえ、不思議に思える存在でした。しかし、100m走は自主エントリーなのです。自分で応募しなければ出ることはありません。ということは、S君は自分から出場を希望したことになります。
そして、いよいよK君とS君の出場する組になりました。スタートラインに立ち、腰を屈めピストルの音が鳴るのを待っていました。一瞬の静まりのあと号砲とともに走り出したK君とS君です。やはり思った通りK君の走る姿勢はきれいでした。それに比べS君は、一言で言いますと「ダサい」。これに尽きるフォームでした。誰が見てもその走り方は「変」と思うようなフォームだったのです。例えるとしたなら、そうですねぇ…、あっ、忍者です。忍者が相手に悟られずに走る姿に似ていました。もちろん黒装束も黒い頭巾も身につけていませんが、「相手には悟られないだろうなぁ」という走り方でした。
僕はその走り方が面白かったので笑っていたのですが、50mを過ぎたあたりからレースの雰囲気が変わってきました。レースはスタート直後からK君とS君が飛び出す展開だったのですが、なんと次第にS君が段々と差をつけ始めたのです。そして、5~6メートルの差をつけてS君が一着でゴールしました。運動場全体から驚きの声が聞こえてきました。
「あの、ガリ勉が…」
そんな声がどこからともなく聞こえてきました。僕もS君に驚かされたのですが、もっと僕の気持ちを引き付けたのはS君と差がつき始めたあとのK君の「走り」でした。K君はかなわないと思った瞬間に走る力を弱めたのです。誰が見てもわかるように、余裕を持って走っているふうを装っていました。たぶん、負けたことが「恥ずかしかった」のと負けを「認めたくなかった」のでしょう。両方の気持ちが混じりあってあのような走り方をしたのだと思います。ですが、僕にはその姿が悲しいものに見えました。
実は、あのときのK君の走り方は僕に大きな影響を与えています。「負け」は認めてこそ意味があります。「負け」を自分で引き受け、受け入れてこそその経験が生きてきます。もし「負け」をごまかして認めず、引き受けずに逃げていてはまた同じ過ちを繰り返すことになります。さらに言うなら、「負けた姿」は無様であればあるほど意義があるとも思っています。
結局、世界選手権の100m走の優勝者はガトリン選手でした。ボルト選手は隣のコースを走っていたコールマン選手にも負け3位でした。ですが、ボルト選手はゴールまで必死に走っていました。僕はボルト選手が頭を突き出し少しでも早くゴールをしようと駆け抜ける姿を見たのは初めてでした。僕が見てきたボルト選手のゴールの姿はいつも流しているように見えるフォームでした。ですから、負けたときに最後まで力を抜かずに、しかも一秒でも早くゴールしようという姿勢に感激したのです。
しかも、レース後のインタビューでも潔さがありました。言い訳など全くせず、「負け」を受け入れていました。その対応にも感激しました。ガトリン選手の優勝について観客がブーイングをしたそうですが、ガトリン選手のドーピングの過去が影響していることは想像に難くありません。ボルト選手はそんなことにはまったく触れず、「負け」を認めました。その潔さが素晴らしいです。
今年5月のWBA世界ミドル級王座決定戦でダウンを奪いながら判定で負けた村田涼太選手は疑惑の判定だったにも関わらず「負け」を受け入れていました。また、先日元WBA世界スーパーフェザー級スーパー 王者内山高志選手が引退を表明しましたが、内山選手もまた「負け」を受け入れる姿が印象的でした。
人間は他人の前では自分を繕いますので、本当の姿を知るのは容易ではありません。秘書を怒鳴りつけ人間性を貶めるような振る舞いをしていた女性の国会議員がいましたが、あの女性議員も公の場所では「いい人ぶって」いました。そのような人が国会議員になっていたのです。本当の姿を知ることはとても大切です。
安倍首相が新しい内閣を発足させましたが、支持率が低下したことが原因です。支持率の低下を本気で認めて受け入れたかどうかは、今後の政権運営でわかります。
じゃ、また。




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