<行動をしない後悔>

pressココロ上




山本七平氏の「空気の研究」という本は有名ですが、いつだったかも思い出せないくら大分前に挑戦したことがあります。「挑戦」という言葉を使うくらいですから「読みにくい」本だったことになりますが、案の定途中で投げ出したような記憶があります。読み終えたかどうかさえ曖昧なのですから、内容は全く覚えていないことになります。ただ、その頃の僕が「どうして戦争に突入するのを止められなかったのかなぁ」という素朴な疑問を持っていたことは確かです。
僕なりにいろいろな情報から想像しますと、当時「戦争反対」などという意見を言おうものなら世間という周りから袋叩きにされる雰囲気があったからです。正確には「雰囲気が作られていたから」ですが、そのような空気の中で「戦争反対」などと言えるわけがありません。今ふうな表現をするなら「地域全体からイジメ」を受けることになるからです。人間は空気を吸えないと生きてはいけません。
一時期若い人の間で「K Y(ケイ ワイ)」という言葉が流行りました。これは「空気を読めない奴」という「人をけなす」意味で使われていたようですが、最近では似たような意味で「忖度」という言葉が注目されました。「忖度」は批判的な意味というよりは「相手の気持ちを察する」という相手を重んじる目的で使う言葉です。「K Y」と「忖度」は正反対の意味ですが、直接の言葉ではなく「周りの雰囲気から想像する」という共通点があります。
そして、ここで注意が必要なことはあくまで行動する当人が「想像する」ことですので「行動する内容」が「正しい」のか「適切」なのかがわからないことです。また、想像を「求める人」もしくは「強制する人」には責任が及ばないことも問題です。
衆議院選挙も中盤に差し掛かり選挙運動も佳境に向かっています。当初自民党を追い落とすほどの勢いがあった小池さんの「希望の党」が一気に下火になっています。あれほど盛り上がりマスコミから注目されていただけにこの変化には驚かされます。きっかけは小池さんの記者会見での些細な言葉遣いでした。
「排除いたします」
この一言で流れが一気に変わってしまったように思います。本人も認めているようですが、民進党から移籍してくる人たちを選別することを「排除」という言葉で表しました。この言葉遣いは自ら使ったわけではなく、記者に「党の理念に合わない人は排除するのですか?」という質問に対して「排除いたします」と答えたものでした。
「上手の手から水が漏れる」という諺がありますが、マスコミ上手の小池さんが水を漏らしてしまったようです。おそらく質問した記者さんもこのような展開になることまでは想像していなかったと思いますが、結果的に選挙的エポックにもなりえる重い質問だったことになります。しかし、この質問した記者さんがその後の展開を予想していなかったとしても小池さんもしくは「希望の党」に対して好感していなかったことは想像できます。そうでなければ「排除」などという激しい言葉は使わないはずです。
経済学者のケインズさんは「株式投資は美人投票みたいなものだ」と表現していますが、この美人投票の意味は単に「美しいと思う人に投票する」のではなく、「多くの人から投票を集めそうな人を選ぶ」という意味です。まさしく株式市場ではどれだけの人が支持するかが株価を決めますので至言です。
その観点で僕なりに今回の衆議院選を考えてみたいと思います。当然ですが、普段からそれぞれの政党を支持している人は余程のことがない限りこれまで支持してきた政党もしくは候補者に投票するはずです。ですから、選挙結果を左右するのはいわゆる浮動票ということになります。取り立てて支持する政党がなく、そのときどきの状況によって投票先を決める有権者です。
先に書きましたように、解散当初は「希望の党」の勢いがすごかったのですが、小池さんの失言により勢いに陰りが見えています。その影響が反映して新聞各紙は自民党が盛り返しているように報じています。ですが、僕的にはこの予想に疑問を感じています。アメリカの大統領選でマスコミの予想が大きく外れたこともありますが、今の時代はマスコミと言えども正確に予想することは困難ではないでしょうか。
それはともかく、政策的には小池さんの「希望の党」と「自民党」に違いはほとんど見られません。ですから、小池さんは自民党との違いを訴えるべく抽象的な言葉を使っています。「安倍一強政治の打破」とか「しがらみを断つ」などという言葉を連呼しています。唯一違うのは「原発ゼロ」政策くらいでしょうか。経済政策で「ユリノミクス」などと訴えていますが、今一つ精細さに欠けます。
確かに「安倍一強政治」は問題です。今年に入ってからの国会運営に対する安倍首相の姿勢は傲慢という言葉が当てはまりすぎるほど強引でした。このような安倍首相にしたのは紛れもなく対抗できる野党が存在しなかったことです。そして、そのような政治状況にしたのは国民です。そのことを忘れてはいけません。
前にも書きましたが、民進党を希望の党にまるごと移行させる決断をした前原代表を僕は評価しています。あの時点で民進党が行動をなにも起こさなかったなら安倍首相の思うままに選挙戦が進んでいたと思えるからです。
また、小池さんの動きも評価できると思っています。やはり「希望の党」が設立されていなかったなら安倍首相の思うつぼにはまっていたはずです。言うまでもなく「思うつぼ」とは野党が弱体化していてまだ小池さんの政党が生まれていなかったのですから「選挙に勝てるタイミングは今しかない」と読んだことです。
その意味で言いますと、野党の再編を促したのは安倍首相ということになりますので野党に貢献したと考えることもできます。貢献という意味で言いますと、立憲民主党が誕生したことが最も大きいかもしれません。安倍首相に対抗すべく小池さんが動きそれに伴い民進党が分裂し、明確なリベラルな政党が誕生しています。
マスコミでは二極ではなく三極の戦いと伝えていますが、もしかすると新しい政治形態になるかもしれません。僕は期待しています。世界を見渡しますと「政権交代できる二大政党制」が理想のように言われていますが、三極があってもいいように思います。
小池さんは希望の党を設立していた当初「穏健な保守」という表現を使っていたように思いますが、ここにきて「保守」という言葉を意識的に避けているように感じられます。マスコミ対策に長けている小池さんですので「反応の悪さ」を感じたのかもしれません。ですが、僕には日本人の平均的な思想は「穏健な保守」にあるのではないか、と思っています。共産党では現実性ではありませんし、社会民主的な発想も日本人には合わないように感じています。ですから保守なのですが、安倍首相のあまりに強引なやり方には拒否反応を示してしまいます。
実は、僕が支持する考え方は立憲民主党が一番近いと思っています。その意味で枝野さんが設立してくれてうれしく思っています。枝野さんは「希望の党」が民進党の政治家を選別することに対して恨みがましいことを話していましたが、政党が根本的な思想が同じ人を選別するのは決して間違った行動ではないと思っていました。僕が自営業者として働いてきたことが影響しているのかもしれませんが、組織と考え方が違う時は自分で新しい組織を作るのが筋だと思っています。ですから、今回の枝野氏の行動には賛成です。
ここ数日、NHK社員の過労死がニュースになっていますが、過労死するくらい苦しく働かされるなら退職するという選択肢があることを忘れないでほしいと思っています。確かに、新しい道に進むことが必ず正しい選択になるとは限りませんが、なにもしないよりはいいと思います。
先日、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏は行動経済学に貢献したことが受賞した理由です。そして行動経済学の基本になっている考え方は「人間というものは必ずしも常に合理的な行動をするとは限らない」というものです。僕も初めてこの考え方を読んだとき「そうだよなぁ」と思ったものでした。
同じく「行動」に関して僕が印象に残っている箴言があります。これも「なるほど!」と思いました。
「行動をした後悔より、行動をしなかった後悔のほうが強い」
じゃ、また。




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