<勝者の責任>

pressココロ上




衆議院選挙は結局、最初に安倍首相が目論んだとおりの結果になりました。そもそも論になりますが、安倍首相が今回解散に打って出たのは、野党が混乱している「今のタイミングしかない」と思ったからです。民進党はバタバタしていましたし、都民ファーストで勢いに乗っている小池さんがは国政に乗り出すにはまだ準備が整っていませんでした。
ですが、「機を見るに敏」な小池さんは希望の党を設立しました。この小池さんの決断は安倍首相にとって想定外だったはずで、この時点では確かに風は小池さんに吹いていました。ですが、「排除します」発言で一気に風向きが変わってしまったのです。いろいろなメディアが書いていますが、もし、小池さんの失言がなかったなら結果は全く違ったものになっていた可能性もあります。
しかし、考えようによっては小池さんのこの失言も安倍首相が考えた「今のタイミング」の賜物と言えなくもありません。小池さんに余裕がなかったからこその失言と考えることもできるからです。小池さんから「排除します」発言を引き出したジャーナリストのコメントを読みますと、元々小池さんはこのジャーナリストを好ましく思っておらず、ずっと質問者に指名していなかったそうです。それがたまたまあのときだけ指名したのですから、油断したとしか言いようがありません。このジャーナリストによりますと指名されたのは半年ぶりだったそうです。それがよりによってあのときだったのが小池さんにしてみますと悔やまれるところでしょう。
先週、僕は小池さんの失言を「上手の手から水が漏る」と表現しましたが、その原因は油断です。そして、その油断は「短時間で政党を作らざるをえなかったこと」と無縁ではありません。急ごしらえで政党を作ったのですから精神的な余裕があったはずがありません。そのようなときに批判的なジャーナリストを指名したのですから「魔が差した」としか言いようがありません。心に隙ができていたようです。
小池さんの失言に追い打ちをかけたのが小泉進次郎さんの「小池さんは必ず出てきますよ」および「小池さん出てきてください」発言です。この挑発発言によって小池さんは身動きが取れなくなってしまいました。進次郎さんの状況を見極める才能が小池さんを追いつめたとも言えそうです。
これで一応ひと段落はしましたが、政治はまだまだずっと続きます。なにかきっかけがあるといくらでも変わるのが政界です。野党の方々はあきらめずに頑張ってほしいと思っています。僕が最も心配しているのは「意見が異なる人の自由が制限される」世の中になることです。民主主義なのですから、面倒な手続きが必要な状況になっていることが大切です。
…なんてことを思いながら世界を見渡していますと、あちこちで独立運動が起きていることが気になります。国家の一部が独立を求めて投票を行ったり運動をしていますが、これらには共通点があります。それは独立を求めている自治区が経済的に自立できる状況にあることです。これはちょっと考えればわかることですが、自分だけでは食っていけない状況でわざわざ独立を言い出すことはありません。経済的な裏付けがあるからこその独立です。経済基盤がしっかりしていることが独立の大前提です。
ですが、これは裏を返せば他の地域にとっては損失につながります。突然、国家の稼ぎ頭がいなくなることですから、国家として簡単に認めることができないのは当然です。独立を目指している自治区の人たちからしますと、自分たちが一生懸命稼いだお金がほかのところに回されるのが「納得できない」ということになります。
もちろん独立を願っている人たちの中には経済的負担を強いられることだけではなく民族としての意識もあるでしょう。まさに「イデオロギー100年。宗教1000年。民族永遠。」という言葉を証明していることになりますが、感情的な側面も大きな要因となっています。
このような動きを見ていますと、結局、人間というのは「自分が一番かわいくて、自分のことしか考えられない」生き物なのかもしれません。
スーパーで買い物をしているときの光景です。家族連れのお父さんらしき人が買い物途中のカゴの中に入っているジュースの蓋を開けて飲み始めました。まだレジでお金を払う前であるにも関わらずです。おそらく「これからお金を払うんだから問題ない」という考えなのでしょうが、これはルール違反です。もし「そんなルールはない」というならマナー違反です。
スーパーに限らずお店を運営している側は、万引きが大きな問題になっています。以前あるリサイクル店が万引き犯の顔写真を公開したことが話題になったことがありますが、ほとんどのお店は万引きに対する対応に苦慮しています。お店という場所は商品が並んでいますのでその中で「万引き」かどうかを見極めるのが困難なことです。
そのような状況がある中でお客様に「精算前のジュースを飲まれてしまう」と「万引き」との境目がわかりにくくなります。お店側の負担や苦労をできるだけ少なくしようと思うなら精算前の商品を開けることはやってはいけないことです。
ネットを見ていましたら、“ アイコスの吸い殻をテーブルに置いて帰った! 飲食店は「全面禁煙」に ネットで賛否激論”という記事が目に留まりました。加熱式タバコの吸い殻をなにも言わずにテーブルに置いて帰ったお客に怒っている店主のツイッター写真が物議を醸しているそうです。
この激論の核心は「お客の行動の許容範囲」に尽きると思います。許容範囲は「人によって」または「地域によって」違うことがありますが、先に紹介しました「精算前のジュースを飲む行為」も、ある関西の芸人さんは「どうしてダメなのかがわからない」と話していました。もしかしたらな地域によっても感覚が違うことがあるかもしれません。
ですが、僕は地域によって差があるから「仕方ない」と認めることはできません。地域性によって認めてしまっては世の中はいつまでたっても不平等な世界になってしまいます。今、米国は人種差別が問題になっていますが、米国では地域によってはまだ人種差別が残っているそうです。もし地域による考え方の違いを認めてしまっては差別は永遠に続くことになってしまいます。
「いいか、悪いか」の判断の境目は相手を思いやる気持ちがあるかないかに尽きると思っています。「精算前のジュースを開けてしまうとお店の人が万引きとの区別ができずに困る」とか、「アイコスの吸い殻を置きっぱなしにしてはお店の人が困る」といったふうに相手を思いやる気持ちがあるならわかることです。
いつごろからでしょうか。日本でも「公共心の欠如」が指摘されるようになってきました。「自分だけよければそれでよし」とする風潮が少しずつ強くなってきているように思います。
スーパーのトイレの個室に使用済みの赤ちゃんのおむつが捨てられていることがあります。最近は話題に上がりませんがコンビニのゴミ箱に家庭ごみを捨てる人が問題になったこともあります。これらはみんな「自分だけよければよい」という発想が根本にあります。
実は、僕もまだ答えがわからないのですが、みんなが自分のことだけしか考えない社会が平和で暮らしやすい世の中にはなるはずがありません。米国だけではなく欧米においても難民排除を主張する政党が一定の支持を得ています。こうした風潮が戦争を招いているようで不安な気持ちになっている最近の僕でした。
選挙のさなかに世界チャンピオンになった村田諒太選手には哲学者というニックネームもあるそうです。その村田選手が試合後のインタビューで恩師が話していた言葉として印象に残る言葉を紹介していました。
「試合に勝つことは相手を踏みにじり、その上に立つということ。勝った人間は(相手に対し)責任が伴う」
政治家の責任は国民を「幸せにする」ことです。安倍首相が責任を果たしてくれることを願っています。
一応言っておきますが、「幸せにする」のは一部の国民ではなく国民全員ですから。
じゃ、また。




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