<あみんとKiroroとゆず>

pressココロ上




久方ぶりの「対比コラム」ですが、若い方の中には「あみん」さんも「Kiroro」さんも、「ゆず」さんもご存じない方もいるかもしれません。なにしろデビューしたのが、「あみん」さん1982年7月、「Kiroro」さん1998年1月、「ゆず」さん1998年2月となっています。1982年と言いますと今から40年前ですし、1998年でも25年前です。十代または二十代前半の年齢の方ですと生まれていないことになりますので知らなくて当然です。

そんな3組を今回取り上げようと思ったきっかけはたまたまyoutubeで「Kiroro」さんのビデオというか動画を観たからです。今回の3組の共通点は「二人組」ということです。漫才にも当てはまりそうですが、二人組と聞きますとどうしても「仲の良さ」が気になります。夫婦である妻と僕でさえも仲良く時間を過ごすのは難しいのですから、夫婦でない二人が一緒に活動する場合はなおさら「難しいはず」と思ってしまいます。

もちろんこの3組のほかにも二人組で歌っている方はたくさんいますが、今回この3組を取り上げたのは、たまたまこの3組が頭に思い浮かんだからにすぎません。また、今回書きますコラムはあくまで僕が勝手に思っている個人の感想といいますか、考えといいますか、気持ちです。

さらに最初にお断りしておきますが、僕は音楽業とか芸能界の中のことに精通しているわけではありません。というか、全く知りません。ガーシーさんのように知り合いがいるわけでもありませんし、芸能記者のように内情に詳しい人から情報を得ているわけでもありません。これまでに見聞きした紙媒体やネット情報から得た情報・知識で勝手に想像したものに過ぎません。そうしたことをご承知の上お読みいただきたく思います。

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この3組に共通しているのは「二人組」という以外に、3組ともアマチュアからプロの道に進んでいることが挙げられます。アマチュアとプロの違いで最も大きいのは「自分の思い通りにできない」ことです。アマチュアの場合は周りに対してなんのしがらみもありませんので、自分たちが好きなように思いどおりに活動しても、なんの問題もありません。しかし、プロとなりますと周りでサポート・動いている方々がいますのでそうした方々への配慮、厳しい言い方をするなら「縛り」がどうしでも出てきます。これはプロである以上仕方ないことです。

この3組で最も成功しているといいますか、売上げが多いのは「ゆず」さん(北川悠仁さんと岩沢厚治さん)です。アマチュア時代に路上演奏で7千人のファンを集めたと話題になっていました。路上で7千人が集まったのですから、どれだけ人気があったのかわかろうというものです。テレビのドキュメンタリーでその様子を見たことがありますが、ほとんど「ゆず」の二人が見えない場所にまで若い女性たちがビッシリと集まっていました。路上ですので、そうでもしない限り7千人は不可能です。

それほどの人気を既に持っていたのですから、レコード会社と言いますか芸能事務所からしますとのどから手が出るほど欲しかったはずです。そうした中でデビューし、現在の成功の階段を上っていったのですが、この二人の一番の成功の素はメジャーデビューに際しての「事務所の選択」だったと思っています。

二人がどのようにして選んだのかは知りませんが、その選択に間違いがなかったことを今の成功が示しています。そんな二人ですが、外から見ていて「二人の間に溝ができているな」と感じたのはデビュー10年を過ぎたあたりでしょうか。北川さんが俳優業をやった頃と重なりますが、二人の間になにかしら「心の壁」というか、考え方の違いを感じた頃だったと想像します。

ここから先も完全な僕の勝手な想像ですが、二人の心の仲たがいを解消したのは岩沢さん(僕は勝手に「ガンちゃん」と呼んでいます)のマイペースだったと思っています。悠仁さんが勝手に壁を作りぶつかって悩んでいた間も、ガンちゃんが変に反応するのではなく「マイペース」でいたことが二人の和解につながってように思えてなりません。

実は「ゆず」の成り立ちも、最初一人でガンちゃんがストリート活動をしていたところに、あとから悠仁さんが「一緒にやらせて」とお願いしたのがはじまりです。そんな経緯もあって、僕は勝手にガンちゃんを尊敬しています。どんなに売れても有名になってもお金持ちになってもマイペースが変わらないからです。

こんな理想的な「ゆず」さんに比べて、「あみん」さんも「Kiroro」さんも一度は袂を分かちています。特に「あみん」さん(岡村孝子さんと加藤晴子さん)はその分かち方には芸能界特有の思惑があったように思っています。当然ですが、その思惑の背景には事務所の意図も関係しているように思います。「あみん」さんは素人が参加するコンテストで優勝したことがプロになるきっかけですが、そうした経緯もありプロとして活動してくに際しては、その主催者による意向が強く働いていたことは想像に難くありません。

おそらく事務所は当初から「あみん」さんのうち岡村さんだけを売り出すつもりだったと思います。作詞作曲をしボーカルも務めていたのは岡村さんでしたし、芸能界特有のルッキズム的発想からいってもそう考えていて不思議ではありません。その証拠にわずか2年で解散しています。解散後、岡村さんはソロ活動をするのですが、加藤さんは引退しています。その後、あるラジオ番組で「お仕事ください」などと冗談ぽく話している声を聴いたことがあります。

二人が再活動をするのは2007年と20年以上経ってからですが、お互いにいろいろな人生経験を経たことで、ようやっとわだかまりも消えたのが再開のきっかけになったように思います。時間が経ったことが再開のきっかけですが、それ以前に一番の要因は岡村さんがソロで活動を続けていたことです。もし岡村さんも引退していてなら、再活動も不可能だったでしょう。そもそも、二人が仲たがいしたのもどちらが悪いというわけではなく、時代の流れがあったからです。まだ20代の女性が自分の置かれた状況をきちんと理解することは不可能です。そうしたことも含めて「時」が必要だったのでしょう。

「Kiroro」さん(玉城千春さんと金城綾乃さん)は沖縄で高校時代からの仲良しがそのままインディーズデビューをして、それが人気になりプロになっています。作詞作曲するのは玉城さんですが、ピアノも弾けず譜面も書けないそうで、そうしたものを金城さんが音楽の形にしていたようです。こうした関係性を知って僕はとても興味を持ちました。

それは地元で有名になり、上京して業界に入っていきますと玉城さんをサポートしていた金城さんの立場が失われていくのが容易に想像できたからです。地元にいたときは楽譜が書けてピアノが弾けることで存在意義がありましたが、上京した業界ではいくらでも替わりの人がいます。おそらく金城さんはそうした自分に悩んでいたはずです。

「あみん」さん同様、事務所も玉城さんだけでも十分やっていけると思っていたはずで、そうした状態は知らず知らずのうちに二人の心に溝を生み出します。10枚目のシングルは「Best Friend」というタイトルですが、これは玉城さんが金城さんに贈った歌のように思えてなりません。

レコード会社もしくは事務所から二人の関係性についていろいろ考えさせられることがあり、そうした状況を経たあとに玉城さんが「やっぱりあなたが一番の親友よ」と歌い上げた楽曲のように感じていました。岡村さんと玉城さんの違いは、パートナー、漫才風にいうなら相方、との親友度合いにあるように思います。岡村さんは大学に入ってからの親友であるのに対して玉城さんは沖縄という地元感が強い場所での高校時代からの親友です。親友度合いが強いのです。

ですので、玉城さんはソロで活動することなど微塵も考えていなかったはずです。いくらソロで成功しても、それでは自分のこれまでの人生を否定することになると思っていたのではないでしょうか。玉城さんが歌う「Best Friend」からは、そんな強い信念を感じます。現在、二人はマイペースで活動していますが、なにも大きなホールでたくさんの人が集まる活動だけが成功ではありません。マイペースで自分の思い通りに歌を作り歌う人生があってもいいはずです。「Kiroro」さんを見ていますと、そんな思いが沸き上がってきます。

「成功だけが、成功ではない」

じゃ、また。




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