<イギリスと国葬>

pressココロ上




マスコミでは国葬関連で2つのニュースに注目が集まっています。安倍元首相とエリザベス女王の国葬ですが、国民からの支持率に関しては対照的な様相になっています。ほとんどの国民が国葬を支持しているエリザベス女王と、国民の半分もしくはそれ以上が反対している安倍元首相ですが、国民の素直な感情が表れた結果だろうと思います。

僕が子供の頃、僕の世界は小学校の区域内だけで、それ以上の広い世界を知りませんでした。そんな狭い世界しか知らなかった僕に、イギリスという国を教えてくれたのは小学5年生のときの担任・森山先生でした。なんの授業だったのか覚えていませんが、内容的に考えておそらく社会科の授業だったでしょう。森山先生は僕ら生徒に向かってこう言いました。

「イギリスという国は『ゆりかごから墓場まで』って言われてるんだよ」

『ゆりかごから墓場まで』とは「生まれてから死ぬまで、国家が面倒を見てくれる」という意味で、つまりは社会保障が充実していることを指しています。なぜかやけにこのときの森山先生の言葉が頭に残っているのですが、その後僕の耳にイギリスが聞こえてきたのは中学2年生のときです。

僕の世代では「技術・家庭」という授業があったのですが、その技術を教えていたのはヒエダ先生という講師、今でいうところの「非正規」の先生でした。その先生がなにかの折にこう言いました。

「イギリスって国は厳然とした階級社会なんだ」。

そのときの僕が記憶している感覚では、ヒエダ先生はその言葉に批判的な意味合いを込めていたように思います。子供ながらに、「階級」ということは身分が差別されていることで、生まれた時点で人生が決まってしまうことに反抗心を持ったような記憶があります。

その後僕がイギリスについて関心を持つのは大学生になってからですが、普通(?)の大学生は勉強しないものでしたので、僕もほとんど勉強などしていませんでした。そんな僕でしたので、僕の生活は大学とバイト先と麻雀店のトライアングルを行き来するだけで1日が終わっていました。ですので、イギリスについて考えることなどないはずですが、それがあるんですね。…漫画です。

小学校、中学校時代は少年マガジンや少年サンデーに夢中になっていましたが、高校では漫画を読む時間がないほど運動部に浸っており、全く読んでいませんでした。そして、大学生になってからまた漫画を読むようになったのですが、いろいろある大人用漫画の中で僕が毎週勝っていたのが「ビッグコミックオリジナル」という青年誌です。

僕が「ビッグコミックオリジナル」を読むようになったのはジョージ秋山さんの「浮浪雲」に惹かれたからです。仏教的といいますか哲学的といいますか、そういう「人生」とか「生き方」を考えさせられる内容に感銘していました。基本的に僕は、「浮浪雲」を目当てに「ビッグコミックオリジナル」を購入していましたが、そのほかには「三丁目の夕日」とか「釣りバカ日誌」などを読んでいました。そうした中、新しい漫画の連載が始まったのですが、それは日本と中国で活躍する夫婦を描いた「龍-RON-」という歴史漫画でした。

その「龍-RON-」の中にイギリスと中国の間で戦われた「アヘン戦争」なども描かれていました。久方ぶりに僕の頭の中に入ってきたイギリスでした。「アヘン戦争」などについて知るようになりますと、やはり個人的にはイギリスという国にあまりよい印象を持たなくなります。「パックス・ブリタニカ」という言葉を知るようになりますと、余計にその思いが強くなりました。

なにしろ世界のいろいろな国々を植民地支配していたのですから、僕がそう思うのも当然です。先日も「現在世界で起きている紛争の大元はイギリスの植民地化に少なからず責任がある」と解説している記事を読みました。一つだけ具体例を挙げるなら、インドとパキスタンは現在対立関係にありますが、その大元の原因は「植民地支配をしていたイギリスが、独立運動を弱体化するためにヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立をあおった」からだそうです。インドとパキスタンの不幸を思わずにはいられません。

このようにして少しずつイギリスに対して悪感情を持ち始めていた、社会人になったばかりの頃に耳に聞こえてきたのが「サッチャリズム」でした。「サッチャリズム」とはイギリスのサッチャー首相が唱えた経済政策ですが、この政策の向かうところは「『ゆりかごから墓場まで』の終焉」でした。森山先生が称賛していた「国民を幸せにする福祉政策」は行き詰まっていたのです。冷静になって考えてみればわかりますが、人生のほとんどを政府が面倒をみてくれる社会制度が長続きするはずがありません。

当時、社会人になり少しずつ経済の知識も身につけてきたときでしたので、新聞の経済面などにも関心を持つようになっていました。イギリスでは「サッチャリズム」、アメリカでは「レーガノミックス」がもてはやされ、西側陣営は結束していました。その最中にソ連ではゴルバチョフ書記長が誕生し、冷戦の終了に向かいます。この頃が世界が最も安定し、明るい兆しが見えていた時期かもしれません。

しかし、現実はそのように簡単に進むことはなく、冷戦という重石がとれたことで各地で民族紛争が起きるようになりました。「冷戦」という大きな対立があることで抑えられていた「民族間の紛争」が一挙に噴き出したのでした。際たる例が「ボスニア紛争」で、民族同士の争いは悲惨で熾烈なものでした。現在、ロシアによるウクライナ侵攻が西側諸国から非難されていますが、「ボスには紛争」では複数の民族間において同じような光景が繰り広げられていました。

その間、日本ではバブルが弾け、いわゆる「失われた」10年とも、20年とも、30年とも言われる低迷期が続くことになります。バブルが弾ける少し前に僕はラーメン店を開業するわけですが、当時、僕はパートさんやアルバイトさんに対して「お客さんがいないときは、なにもしなくてもいいですよ」というスタンスで臨んでいました。それが普通だと思っていたからです。せっかくお客さんが来ないのですから、「ゆっくりするのが当然」と考えていました。

ある日、小学生だった娘となにかで話をしているとき、お店での仕事の話になりました。娘はたまにお店に来ることもありましたので、アルバイトの学生さんなどの働きぶりも見ています。そうしたとき娘が見ていたのはホールの隅で立っているだけの学生さんの姿でした。

確か、当時の時給は800円くらいだったと思いますが、娘が「アルバイトのお給料ってどれくらいもらえるの?」と尋ねてきました。僕が「時給800円だよ」と答えると、「え、1時間に800円ってこと?」。僕が「うん」と答えると、娘はとても驚いたように目を丸くして叫びました。

「立ってるだけで800円ももらえるの!?」

なぜ娘がこれほど驚いたかと言いますと、娘の1ヶ月のお小遣いが500円だったからです。娘からしますと、「1時間立っているだけで、お小遣い以上のお金がもらえる」ことがとても驚きだったのでした。自分の世界が狭いと世の中の感覚とずれてしまうことはよくあることです。

岸田首相は、世の中の感覚とずれていることを自覚しているのでしょうか。

わかっていても、引き返せないということもありそうです…。

じゃ、また。




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