<岸田さんが今現在、首相でいることの意義>

pressココロ上




やっぱり今週もウクライナのことから書きます。ロシアの侵攻から早3週間が過ぎようとしていますが、専門家の方々が分析しているように「ロシアは、ここまで時間をかかるとは考えていなかった」というのは本当のような気がします。しかし、先日見たクリミア半島併合8周年を記念するイベントでのプーチン大統領の演説の様子は、現在の戦況を想定内と考えているようにも映りました。

堂々とした話しぶりは自信に満ち溢れていましたし、熱狂的な支持者たちと相まって、まるでロシアが正しい側のような錯覚にさえ陥ってしまいそうな会場の雰囲気でした。それほど盛り上がっていたイベントでしたが、その光景を見ていて僕はトランプ元大統領の集会を思い出しました。

プーチン大統領とトランプ元大統領の共通点は事実を伝えないことです。トランプ氏が大統領に就任していた時に最も印象に残っているのは「もう一つの真実」という言葉です。正しくはトランプ氏が放ったのではなく側近の報道官が記者会見で発した言葉ですが、詭弁の極致でした。「真実」は誰がなんと言おうと「一つ」のはずですが、堂々と「真実は複数ある」と言ってのけていました。これでは人間同士としての会話が成り立つはずもありません。

プーチン大統領の放つ言葉もまさに詭弁です。いえいえ、詭弁を通り越して「真っ赤な嘘」です。自らがウクライナという「他国の領土に侵攻しておきながら、その国を守る」という論理を展開しています。その国の大統領から「早く出ていってくれ!」と非難されているにもかかわらず、ぬけぬけと「守る」と言ってのけています。

この論理が通用しないのは誰が考えても明らかです。また、プーチン大統領がたびたび発する言葉に「ウクライナのナチ化」と台詞があります。「ウクライナのナチ化を防ぐために軍隊を投入した」という論理ですが、ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系の人です。どうして「ナチ化」することがあるでしょう。

このようにプーチン大統領は嘘の情報ばかりを発信していますが、その情報を伝えている国営テレビで先週異変がありました。その国営テレビの放送中にそのテレビ局に勤める女性編集者が「戦争反対」「プロパガンダに騙されないで」というプラカードを掲げて、ニュースキャスターのうしろに映り込んだのです。ニュースなどで報道されていましたので、ご存じの方も多いでしょう。

この映像は6秒後に切り替えられ、その女性はすぐに拘束されたそうです。これだけ情報統制が徹底されているロシアで、堂々と政府に抗議する行動をとったのですから、西側ではその勇気を称賛する声が上がりましたが、心配なのはその後の処遇です。下手をすれば命の危険さえありえそうに思えましたが、14時間の取り調べと数万円の罰金で釈放されたそうです。

実は、僕にはこの処分がとても不思議で仕方ありません。プーチン大統領は事実とは正反対の状況を国民に伝えるために情報を統制しています。事実を伝えてしまいますと多くの国民が離反すると考えているからにほかなりません。言うまでもありませんが、マスコミ・テレビほど国民を思いのままに操れるツールはありません。それほど重要なツールである国営テレビで「伝えている情報はプロパガンダ」と堂々と抗議している人をこれほど軽い処分で済ませているのが不思議でならないのです。本来なら銃殺されてもでもおかしくほどの反体制行為です。それにもかかわらず軽い処分で釈放というのは今一つしっくりこないものがあります。

無理やりに理由を考えるなら、国営テレビ局といえども内部の人全員が政府なり当局に従順になっているわけでない可能性です。そう思う一つの要因は、抗議のプラカードを掲げている女性が現れていたときに、そのすぐ前に座っていた女性キャスターが全く反応していなかったことです。その映像が日本で報じられたとき、たまたま日本テレビの有働さんのニュース番組を見ていたのですが、開口一番、「ニュースキャスターが無反応であることに違和感を持った」と話していました。

有働さんの経験上、自分がアナウンスをしている最中に、自分のうしろに第三者が乱入してきてなにかしらの行動をとったなら、「絶対に、反応・対応をする」と話していました。有働さんは、周りのスタッフの人たちが「事前に、了解していた可能性」に触れていました。つまり表立った堂々とではないにしろ、現在の国営テレビの報道姿勢に納得していない意志の表れということです。抗議をした方はその後退職しているそうですが、この方に続いて退職した方が複数人いるそうですから、「さもありなん」と思った次第です。

さて、目を国内に向けてみましょう。

今回のロシアの蛮行に対して国内ではいろいろな反応がありますが、最も大きな反応は「核のシェアリング論争」ではないでしょうか。辞書によりますと「非核保有国が米国の核兵器を配備し、運搬などを担うことで核抑止力を“共有”する政策」と説明してありますが、要は核のボタンを持つことです。

先日お亡くなりになりました作家の半藤一利さんは反戦を最後まで訴えていた方ですが、「社会が不安になっているときに、勇ましいことを言う人には気をつけろ」と常に話していました。勇ましいことを言う人は、一見するとかっこよかったり頼りがいがあるように見えますが、そういう人は「国家を戦争へ導く人」と喝破しています。

つい今しがた見たニュースで、首都キエフから西部リビウ近郊へ移動していたウクライナ男性の元へ召集令状が届いた記事が報じられていました。現在ウクライナでは総動員令が敷かれており、18才~60才までの男性は出国ができない状況になっているそうです。しかし、中には愛国心と戦いたくない心のはざまで葛藤している人もいるはずです。その記事には、「戦闘地から逃がれてきた男性を密告する地元の人もいる」と書かれていましたが、危急の状況で社会に分断が起きるのは容易に想像できます。

いろいろな考えの人が暮らしている社会において、世情が不安なときには正常な判断ができないのが普通です。そうした心が落ち着かず不安な気持ちになっている隙間を狙って「軍備」とか「核」について提議をする、という行動自体が、僕は批判されるべきことだと思っています。

ずるい!卑怯者! と思ってしまいます。

真に「軍備」や「核」の重要性・必要性を考えているなら、危急のときではなく社会が安定していて正常な判断ができる状況のときに提議するのが筋というものです。その意味において、岸田総理が国会で「核シェアリング」について即座に否定した姿は大きな意義があります。

翻って考えてみますと、現在のような地球規模で戦争への不安が広がっているときに岸田さんが総理大臣になっていることに大きな意義があります。総理の最長期間の記録を持っている安倍元首相はタカ派と言われる派閥でしたが、岸田首相は自民党内でいわゆるハト派といわれる派閥の領袖です。岸田さんは一昨年の総裁選では破れてしまいましたが、あのときに当選していたなら今ほどの覚悟はなかったかもしれません。歴史に「たら」「れば」は意味がありませんが、一昨年の時点では安倍氏との関係は今ほど対等ではなく、主従の関係性が強かったように思います。

覚悟を持って臨んだ昨年だからこそ当選することができ、そして、たからこそ安倍元首相が提議をした「核シェアリング」を即座に否定できたと思えてなりません。神さまはきちんと順番をわかっていたんだなぁ、と思っている今日日の僕です。

神さまがいるか、知らんけど。

じゃ、また。




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