<公平な社会に>

pressココロ上




いつだったか忘れてしまいましたが、それほど遠くない先日、求人広告の問題点を書きました。求人広告メディアでありながら「従業員募集」ではなく「フランチャイズ(FC)加盟店の募集」が掲載されていたことについてです。さらに一歩進んで、FC本部に加盟するよりも業務委託で契約したほうが働く側からしますとずっと有利な状況になることも書きました。

繰り返しになりますが、FC契約と業務委託はどちらも独立している点では同じです。しかし、FC契約では「働く側が加盟金とかロイヤリティといったお金を本部に支払う」義務があるのに対して、業務委託ではそうした「働く側が発注元に支払うお金」はありません。だれが考えても働く側にとってはFC契約のほうが断然に不利な契約ですが、そうした情報を知らずに判断してしまう人がいます。

どれだけ多くの情報に接しているか否かが損得の分かれ目ですが、同じことは普通に買い物をするときにも起きます。先月コラムで紹介しました「防犯カメラ」もそうですが、同じ商品がサイトにより倍以上の価格になっていました。3千円で買うのと6千円で買うのではあまりに違いがあり過ぎます。

実は先月、わが家の換気扇の交換を行いました。40年以上使っていた時代物ですが、さすがに限界かと思い交換することにしました。実は10年くらい前に機能の一部が故障していたのですが、自分で修理をして使っていた時代物です。故障とは換気扇の回転数の「強・弱」が使えなくなったことですが、自分で配線を修理しました。

ですので、使えないことはなかったのですが、モーター音が大きくなってきたことと外観があまりに古くなっていましたので交換することにしました。いつものことですが、僕はなんでも「自分でやってみたくなる」性分です。ですので、この換気扇交換も「自分でできないか」とYouTubeで動画を探してみました。

すると、やはりちゃんとあるんですよねぇ、プロが換気扇交換をしている動画が。素人が換気扇交換をする際に一番難しいのは「取り付け」です。僕が求めているのはシンプルな機能の換気扇でしたが、製品自体はamazonやYofooショッピングなどで販売されていました。しかも機能から考えて納得できる価格でした。

ですので「取り付け」さえ自分でできるなら、かなりお得に換気扇交換をできます。いろいろな動画を見たのですが、取り付けている換気扇が僕が想定している型とは違っていたりもして、今ひとつ自分で作業をする際の確実性に自信が持てないでいました。そこで専門業者に依頼した場合の費用を検索したところ、ある業者が見積もりのために我が家を訪問してくれることになりました。

当日来訪した業者の方は若い男性でとても感じがよかったのですが、帰り際に「結構かかりますよ」と話していたのが気になりました。翌日、メールにて届いた見積書を見ますと、業者の方が話していたように、予想以上の金額が提示されていました。

見積書の内容を見ますと、「出張費」とか「作業代」などプロが作業をする際に当然かかるであろう項目があり、それ自体は価格も含めて納得できたのですが、ただ一つ納得できない項目がありました。商品代金です。わが家の台所の状況では設置できる換気扇の型がある程度限られてきます。築年数がかなり経っていますので、換気扇が設置されている場所も狭いうえに高さもありません。

そうした状況ですので、自ずと設置できる型も限られてきます。見積書に記載されていた製品は、僕が事前にネットで調べていた型と同じものでした。しかし、倍以上の価格が記載されていました。その見積書を見てしまいますと、やはり「自分で取り付けたくなる」気持ちが沸々と沸き上がってきます。

ですが、そのような思いがあったとしても、動画を見ただけではどうしても取り付け作業に自信が持てません。そこで考えたのが「取り付け作業だけをしてくれる業者」への依頼です。今の時代は本当に便利で選択の幅が広がっています。そうした専門業者がちゃんといるのです。結局、納得のいく価格を提示してくれた業者に依頼し、換気扇交換は無事に満足のいく形で完了することができました

このようにして僕が満足のいく換気扇交換ができたのは、たくさんの情報に接することができ、選択する自由があったからです。しかし、世の中には接することができる情報を限られ、選択する自由も奪われている人たちがいます。このような不条理はなんとしても改善されなければいけません。

先週、袴田事件の再審決定が報じられました。死刑が確定してから40年以上経っての再審決定です。もし、今回の決定までに死刑が実行されていたらと思うとき、「恐ろしい」としか言いようがありません。それにしても不思議なのはあまりに警察・検察側に有利になっている司法制度が変わっていないことです。

大分前ですが、周防監督の「それでも僕はやってない」という映画についてこのコラムで書いたことがあります。痴漢で逮捕された会社員の裁判を描いた作品ですが、それをきっかけに周防監督は冤罪について意見を発信するようになっていきました。

記憶が定かではありませんので時期が前後するかもしれませんが、当時は「郵便局・不正事件」での冤罪などもあり、「刑事司法改革」の機運が盛り上がっていたように思います。周防監督も審議会に呼ばれて意見を述べたことなどがいろいろな記事で取り上げられていました。

周防監督の記事で僕が印象に残っているのは「審議会などでいろいろ議論をして改革が提言されたが、最終的には検察側の武器が増えた形で終わったように思う」という感想でした。この「刑事司法改革」で取り調べの可視化が導入されたのですが、僕はそれまでにいろいろな事件の記事を読み、「取り調べの可視化」は絶対に必要と思っていましたので、それ自体はとても喜ばしいことでした。ですが、残念なことにすべての取り調べではなく一部に限られていることや、検察が求めていた「司法取引」が導入されたことは、周防監督が言うところの「検察が武器を増やした」という結果にあたります。

こうした出来事に接するたびに僕は不思議でならないことがあります。それは警察や検察の方々の心の中です。警察にしろ検察にしろ、悪人を取り締まることを目的としている仕事に従事しているにもかかわらず正反対の方向に向かっていることに対してなんの問題意識も感じないのでしょうか。それが不思議でなりません。

今回袴田事件の再審が決まるまでに当時の取り調べの強引さ、さらに言うなら「証拠の捏造」までが行われていたようですが、そうした過ちを二度と起こさないための工夫を自らが行おうとしていないのが不思議でなりません。間違った方向へ進みそうなときは、方向転換するのが筋です。正義を体現するのが目的であるならなおさらです。それにもかかわらず改革にうしろ向きな考えが全く改まっていないのが不思議でないどころか、憤りさえ感じています。

先日のラジオでは「証拠開示」について報じていました。普通の常識で考えるならあり得ないことですが、検察は「自分たちに都合の悪い証拠は開示しなくてよい」そうです。言うまでもありませんが、捜査をしているのは警察であり検察です。ですので、証拠を持っているのは警察・検察だけです。その状況で「証拠の開示を選択できる」など、これほど不公平なことはありません。

こうした状況で公平な裁判が行われるはずはありません。そんなことは小学生でもわかりそうなものです。このような不公平な状況で裁判が行われていることに検察の方々はなにも感じないのでしょうか。それで公平な裁判が行われると思っているのでしょうか!

検察の方々の役割は悪い人に罰則を与えることだと思いますが、罰則が決まるまでの過程は公平でなければなりません。警察の方々の取り調べの方法も同様で強引な取り調べでは真実が出てくるとは思えません。拷問などあってはならない取り調べ方法です。警察・検察の方々は自分たちに都合がよくなることを考えるのではなく、正義が体現できる司法になることを考えていただきたく思います。

じゃ、また。




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