<新・神の見えざる手>

pressココロ上




あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

というわけで2021年もはじまったわけですが、昨年の最後のコラムはマルティン・ニーメラーさんの言葉で締めくくりました。「社会に対する無関心を戒める」言葉ですが、コロナの広がりが収まらない今の時代こそ、心にとどめておく必要があると思っています。

コロナが広がるにつれて少し気になるのは、権力者が権力を強めることを許容する風潮があることです。気がついたら「個人の自由が制限されていた」とならないように政治には常に関心を持っておくことが重要です。

三十代後半の頃だったと思いますが、吉田松陰に関する本を読んでいたときに「一君万民論」という思想を知りました。ウィキペディアから引用しますと「ただ一人の君主にのみ生来の権威・権限を認め、その他の臣下・人民の間には原則として一切の差別・身分差を認めないとする思想・主張」と説明してあります。

その頃は「大衆の無責任さ」に落胆していた頃ですので、「全知全能の神のような人間が社会を納めた」ほうが理想の世の中になるような気持ちにもなりました。しかし、人間はあくまで人間でしかなく、全知全能の人間など存在しませんのであくまで思想の域でしかありませんでした。

そうなりますと、やはり大衆の存在意義が否が応でも重要になりますが、米国のトランプ支持者を見ていますと不安に駆られます。常識人と書いていいのか難しいところですが、フェイク情報を垂れ流す政治家を信じて、その言動に従う大衆が国民の約半分もいるのです。発展途上国ではなく、先進国中の先進国である米国の話です。

4年前にトランプ氏が当選した際に、SNSによる情報で有権者をコントロールすることの問題点が指摘されました。4年前トランプ氏が当選したのは、それまで社会から取り残されてきた白人層の支持を受けたのが大きな勝因と言われています。確かに、こうした点も大きな勝因でしょうが、そのほかにも対立候補であるクリントン氏を貶めるフェイク情報を膨大に発していたことも大きな要因です。

当時問題となっていたのが、SNSなどネット情報を活用して有権者個人のプロファイリングを収集する方法でした。この情報を使ってクリントン氏に不安を持っていそうな人に集中的にSNSを発信していたのです。そうした方法を指南していたのはIT業界の専門家ですが、こうした手法を最初に使ったのはオバマ氏だったそうです。大分前から選挙においてネット活用は重要だったようです。

しかし、選挙はネットだけで決まるわけではありません。テレビなどで見かける討論会も重要な判断材料です。その意味で言いますと、僕は共和党の責任も大きいと思っています。マスコミでは「トランプに乗っ取られた共和党」などと揶揄されていますが、政治の素人であるトランプ氏に簡単に言い負かされている政治家は政治家の資格がありません。

今回、トランプ大統領の演説により支持者たちが議事堂に押し寄せたわけですが、こうした事態になってようやく共和党の政治家たちもトランプ氏離れを起こしはじめています。遅きに失した感はありますが、以前の共和党に戻ることを願っています。

議事堂内を我が物顔で歩き暴れているトランプ支持者を見ていて、驚かされるのは罪悪感がなさそうなことです。一種のお祭り騒ぎのようにも見えました。もしかしたなら本気というよりも面白半分にやっているようにも思えました。心の中まではわかりませんが、暴挙であることは間違いありません。

そんな暴挙を起こしたのは、トランプ氏に洗脳されているからです。繰り返しますが、トランプ氏はフェイクニュースを堂々とSNSで発信しています。支持者たちはそれを疑うこともなく、信じていることが大問題です。民主主義は有権者の意思が反映するシステムですが、その有権者が間違った判断をするなら政治は間違った方向に進みます。

ナチスのヒトラーは革命によって生まれたのはありません。選挙で選ばれていることを僕たちは忘れてはいけません。民主主義が常に正しい判断をするとは限りません。そのときの有権者の判断にゆだねられています。そして、正しい判断をするためには、常日頃から社会に関心を持っていることが大切です。

昨年後半、ネット上での「note」という会社の「cakes」というサイトが幾度か炎上していました。炎上の理由は不適切な記事が投稿されたからですが、炎上によって責任者が交代するなどが起きています。

「炎上」と聞きますと、マイナスなイメージがありますが、考えようによってはプラスの働きと考えることもできます。先ほどの「cakes」の最初の炎上理由は人生相談に対する回答だったのですが、その回答が相談者を傷つける内容だったからです。もし、「炎上」しなかったならその回答者は相手が傷ついたことに気づかないままやり過ごしていたでしょう。「傷つけた」認識はあったとしても、その「重大性」には気づかないままでいた可能性もあります。

政治の世界で言いますと、黒川検事長の定年延長問題がありました。この問題が炎上したのは、当時の安倍首相が自分を守ってくれそうな人物を検事総長にしようと企んだことが世間に知れ渡ったからです。そのきっかけは「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッター」でした。この炎上がなければ改正案は成立していたかもしれません。炎上の勝利と言えそうです。

こうした「炎上」の効果を狙って広告に利用する動きもあります。いわゆる「炎上狙い商法」ですが、今の時代はこうした「炎上狙い」さえも「炎上」することになります。こうして観ていきますと、「炎上」は全体的に見て落ち着くところに落ち着かせる、落としどころを自然に見つける、機能があるように思います。

アダム・スミスの「神の見えざる手」にならうなら「新・神の見えざる手」といったところでしょうか。なにかについて炎上したとしても、最後は正しいか正しくないかは別にして落ち着くべきところに収まる収まるのですから、人間にとって最もよい結果ということになります。

「正しいか正しくないかは別にして」と書きましたが、人間は常に正しい判断をするとは限りません。ですから、正しくないにしても「納得できる」結果になってほしいと思っています。その意味で言いますと、「炎上」には、納得できる結果に導く働きがあるように思います。

まだまだコロナの猛威が収まる気配はありません。緊急事態宣言も発令されましたが、そうしたことの関連で、様々な情報が錯そうすることが予想されます。情報の錯そうは「炎上」を招きやすい状況ですが、できるだけ多くの人が納得できる結果になることを願っています。

じゃ、また。




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