<「たまむすび」から「こねくと」>

pressココロ上




僕が好きだったラジオ番組「たまむすび」が終わって早1ヶ月が過ぎました。あとを継いで始まったのは「こねくと」という番組ですが、この番組は石川蓮華さんとう方をメインパーソナリティーに、月曜から木曜までパートナーを各曜日ごとに変えています。この方式は「たまむすび」を倣った形ですが、正直な感想を述べますと、今のところあまり気に入ってはいません。

妻も同じ気持ちのようで、パートがお休みの日はいつもラジオを聴いていたのですが、今では全く聴いていないそうです。「なんか、つまんない」と話していました。僕は石川蓮華さんとう方を知らなかったのですが、妻は「タモリ倶楽部」に出演していたのを知っていました。調べてみますと肩書が「俳優・文筆家・電線愛好家」となっており、目を引いたのは「電線愛好家」です。

あまり聞きなれない名称ですが、電線が好きなことは伝わってきます。「電線が好きな女性」というだけで「少しばかり変わった人」というイメージを持ちますが、当人の写真を拝見しますと、一見「アイドルふう」の感じがしないでもありません。実は、僕も最近はこの番組をあまり聴いていないのですが、それは番組が始まった当初の印象が「今ひとつ」だったからです。

これは仕方のないことですが、前の番組があまりに人気が高かったので、そのイメージをどうしても引きずってしまい、見劣りならぬ聴き劣りを感じてしまいます。また、これも仕方のないことですが、始まったばかりですので、各曜日のパートナーさんとのやりとりがとてもぎこちなく感じてしまい、それがどうしても気になってしまいます。

そのことを一番感じたのが、火曜日の「アメリカ流れ者」のコーナーに出演した町山智浩さんとのやりとりでした。町山さんは「たまむすび」から続いての出演でしたが、番組が変わる前から、赤江さんに「年齢差があること」を心配していました。そうした思い込みがあったからでしょうか、初回の放送時にそうした気持ちが、悪い意味でモロに出ていたように感じます。実は、そのときのやりとりがなんとなく「面白くない」と感じるきっかけになり、段々と聴かなくなっていき現在に至ります。

町山さんとのやりとりにあまりよい感じを持たなかったことのほかに、各曜日のパートナーさんとの関係性と言いますか、うまく言えませんが、「どちらが仕切っているのか」という不安定さを感じていました。赤江さんの番組では、赤江さんがメインで仕切り、それに対して各曜日のパートナーさんが相対するとか、応えるという全体の構図がありました。そうした構図が決まっていたからこそ、各曜日のパートナーさんとのやりとりも面白く感じられていたように思います。

それに対して、「こねくと」では仕切っているのが石山さんではなくパートナーの方のように感じてしまう場面が多々あります。そうした構図、流れが違和感を感じる原因ではないか、と勝手に分析しています。こうした状況を見ていますと、「たまむすび」の赤江さんの存在の大きさを思わずにはいられません。

僕はラジオ業界に詳しいわけではありませんが、いろいろな情報から推測しますと番組の成功の可否を決めるのはプロデューサーだと思っています。そして、プロデューサーが番組を立ち上げる際に最も重要なことは人事権です。簡単に言いますと、出演者を決めることですが、数多いる女性アナウンサーの中から赤江さんを抜擢した当時のプロデューサーの目利きの素晴らしさに感動しています。

赤江さんは当時朝の情報テレビ番組にも出演しており、掛け持ちの時期もあったそうですが、その赤江さんをラジオに出演させることを考えた発想が一番の成功の肝だったと思います。同時に、テレビに出演していた赤江さんがラジオ出演を受けたのも大きな決断だったはずです。想像ですが、テレビの人がラジオに出るのはある意味「都落ち」のイメージがあっても不思議ではないように思うからです。

「たまむすび」が終了する最後の週に出演したときの落語家・春風亭一之輔さんと赤江さんと博多大吉さんの3人のやりとりはとても興味深いものがありました。一之輔さんは毎週火曜日に「一之輔の、マクラだけ話します」というコーナーに出演していたのですが、僕がずっと気になっていた(番組ふうにいいますとモヤモヤしていた)のは「一之輔さんと大吉さんの関係性」でした。

年齢的にも芸歴的にも大吉さんのほうが上ですが、一之輔さんは大吉さんと対等に話していました。落語と漫才では畑が違いますが、芸事という意味では同じ土俵です。ですので、僕の中では「先輩後輩・上下関係はきっちり守るべきもの」という思いがしないでもありませんでした。にもかかわらず、一之輔さんは大吉さんと「先輩後輩・上下関係」を気にするふうでもなく対等に話していました。

このことについて、最後の回に一之輔さんが本心を吐露していました。一之輔さんさんは出演の依頼を受けたとき、「フリートークで大吉さんと一緒に出るのは地獄です」と断ったそうです。やはり大吉さんを敬っていたのです。この言葉には「フリートークでは大吉さんにかなわない」という意味が込められていますが、一之輔さんは「番組内では、平常を装いながら実はかなり緊張していた」と話していました。

さらに、番組出演が決まったあと3人で飲みに行ったときの話もしていたのですが、大吉さんから「一之輔さんのやりやすいようにしますから、気楽にやってください」と言ってもらったそうです。続けて「どこを突っ込んだりとか、話を広げたりの間合いもありますので、少しずつ調整していきましょう」とまで話していたそうです。一之輔さんは大吉さんのその言葉で「とても気持ちが楽になった」と感謝の弁を述べていました。

僕はその話を聞いて、元々大吉さんの大ファンなのですが、さらにさらに「好きさ」が倍増しました。大吉さんは単に面白いツッコミをするだけではなく、全体の流れも考えながら番組を進行していることがわかり、そのプロの実力に感嘆した次第です。

このように素晴らしかった「たまむすび」と比較される「こねくと」および石川蓮華さんは気の毒ですが、先日「もしかしたら、時間が経てば、石川さんの魅力が聴取者に伝われば」と思うような対談を聴く機会がありました。

僕は武田砂鉄さんのラジオ番組を聴くのも楽しみにしているのですが、先日は石川蓮華さんがゲストで出演していました。僕の推測ではTBSラジオが「こねくと」の宣伝のために石川さんをいろいろな番組に出演させているようです。その一環としての番組出演だったと思うのですが、対談のはじめのほうは石川さんの話し方も硬くあまりトークがはずんでいる感じを受けませんでした。

ところが、対談がはじまって少し経った頃、砂鉄さんが「リポーター時代のことを綴ったエッセイについて質問した瞬間、石川さんの表情が曇りましたね」と言ったあたりから、石川さんの口ぶりが一気に盛り上がっていったのがわかりました。そのエッセイには「リポーター時代のマンネリと欺瞞についての本音」が書いたあるらしいのですが、砂鉄さんが「表情が暗くなった」と話したのを号砲にしたかのように一気に饒舌になりました。

石川さんはかつて朝の情報番組で街頭インタビューをしていたそうですが、テレビの街頭インタビューは「まるで誘導尋問のようなもの」であり、「自分たちの求めている答えをしてくれるように質問の仕方や話し方を変えていた」そうです。そうしたことに抵抗を覚えるようになったことが綴られているらしいのですが、僕が感心したのは、砂鉄さんの「石川さんの本音を引き出した」テクニックです。

これがありきたりな質問であったなら、おそらく石川さんは硬い対談で終わっていたと思います。それではまさしく「リポーター時代の街頭インタビュー」と同じになってしまいます。それでは対談の意味がありません。石川さんは砂鉄さんのおかげで「電線愛好家」の片りんを見せることができたのではないでしょうか。その饒舌な内容が、僕的には好感でした。

「こねくと」がこの後成功するかどうは石川さんの魅力をどれだけ聴取者に伝えられるかにかかっているように思います。なにかきっかけ、例えば大きな出来事だったり、なにかしらのタイミングさえ合えば「こねくと」も爆発するでしょう。

この対談を聴いて、僕は番組のプロデューサーが石川蓮華さんを抜擢した理由も少しわかったような気がしました。問題は、爆発するまで持ちこたえられるか…、です。

じゃ、また。




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