<妻の頭の中>

pressココロ上




僕は週に1回は必ず妻とドライブを兼ねた遠出の買い物に行きます。近場だと20キロメートル、遠いところですと30キロを超えたところまで出かけるのですが、かれこれ10年以上は続いているでしょうか。体力とか寿命とか、最近は運転可能年齢も関係してきますので「今のうちに行っておこうか」という気持ちでハンドルを握っています。

車の中では二人きりですので、普段よりも心の中の本当の気持ちを話したりもできるような気がしています。というか、僕は意図的に、普段妻が「思っている」もしくは「考えている」であろう頭の中を知りたくて、または確かめるために話しかけている部分もあります。

ですので、多岐にわたった話題を振っていますが、その際は「おそらく妻がそれまであまり聞いたり見たりはしていないであろう時事」の話題も振ったりもしています。妻とは40くらい一緒に暮らしていますが、所詮は赤の他人ですので「頭や心の中までを共有することは不可能」と思っています。そういう意味でも週に1度か2度の二人きりの車の空間はとても大切です。ちなみに、2度目は車で10分ほどの近くの大きなスーパーに行っています。

もちろん齢を重ねた者同士ですので、普段の生活でも二人だけで過ごす時間がほとんどなのですが、妻もパートに出ていますので同じ空間で一緒に時間を過ごすのは意外に少ないのが現実です。日常の生活で空間を共有しながら一緒の時間を過ごしているのは、夕方のコーヒータイムとそのあとの晩ご飯の時間ですが、両方を合わせてもだいたい1時間~1時間半ほどです。

たまにコラムに書いていますが、僕と妻の両方が好んでいるテレビ番組があるときだけ二人でともに過ごす時間が延びることがあります。ですが、それ以外は違う空間で時を過ごしています。妻はバラエティ番組とかクイズ番組が好きですが、僕はもう少し堅めの時事などの情報番組やスポーツ関連のネット番組を見ることを好んでいます。このように好みが違いますので自ずと同じ空間にいる時間は限られてくることになります。

僕は大の大人でも「社会に関心を持っていない人が一定数いる」ことに不満を感じている人間ですが、「社会に関心を持っていない人が一定数いる」と思う根拠は選挙の「投票率の低さ」です。社会に関心があるなら最低でも90%とは言いませんが、80%はいくべきだと思っています。しかし、最近は60%にさえ届かない投票率が続いています。

このような投票率の低さですので「大人でもきちんとニュースにも触れていない人」が多いと推測しています。あと一つそのように推測する理由は、似たような事故や犯罪があとを絶たないからです。もし、ニュースをきちんと見ていたなら避けられたと思われる事故や犯罪がなんども報じられています。ここ最近注目を集めている「闇バイト」もその一つのように思います。

僕は定期的に「社会風刺動画」を投稿しているのですが、最近動画のタイトルを変更しました。それまでは単に「自分の名前に関連したチャンネルタイトル」にしていたのですが、「ニュースを見ていないと意味がわからない動画」に変えました。きっかけは、そろそろ中年の域に入りつつある娘に動画を見てもらったことです。

親の僕が言うのもなんですが、娘はごくごく普通に真面目に生きてきている女性です。その娘が「あまり意味がわからなかった」と感想を送ってきました。

「そうか…」

僕の動画は社会に関心を持って情報に接している人にしか意味がわからないことを実感しました。なので動画内容にふさわしいタイトルに変更した次第です。僕は宣伝の意味でツイッターにも動画を投稿していますが、表示回数が上がるのは芸能関係とかスポーツ関連がほとんどです。時事を扱った動画とは何倍も差が開いています。

最近の「社会における男女間差別」が注目されている風潮の中で、このように書くのは批判されそうですが、一般的に言ってやはり女性のほうが社会に対する関心は薄いように感じています。少なくとも僕の経験では、意識高い系のキャリアバリバリの女性ではない、普通にパートさんとして社会で働いている女性の方々は、僕の妻も含めて社会に関心はあまり高くありません。

その妻と二人きりの空間で時間を過ごし時事について話を振りますと、結構話は盛り上がります。妻が普段思っている、考えていることが口から発せられるのを聞いているのは充実といったら大げさですが、僕は結構楽しい時間になっています。

今僕は、「妻が普段思っている、考えている」と書きましたが、僕の本音を言いますと、おそらく妻は「普段」は「思ったり、考えたり」していないだろうと思っています。なにしろ妻はバラエティ番組など楽しげな番組を見ていますので、あまり堅苦しい時事に接する時間がないはずだからです。

ですが、妻は僕と二人きりの空間で僕が話題にする堅めの時事の話に嫌な顔をすることもなく興味を持って自分の考えを答えてくれます。もちろんときには妻の職場での人間関係について話すこともありますが、全体的には社会に関連した話題になっており、僕はそのことに満足しています。

そんな妻との二人きりのドライブですが、ある日のいつもの道のいつもの交差点で停まったときのことです。その交差点はまっすぐ進んでも左折しても目的としている合流地に到達するのですが、車の混み具合など条件により時間のかかり方が少しばかり違ってきます。要は「どちらの道を選んだ方が先に着くか」なのですが、僕はその交差点で停まったときにすることがあります。それは前に停まっている車のナンバーを覚えることです。最近ボケがはじまっている僕ですのですべてとはいきませんが、大きく表示されている4つの数字を覚えています。

「覚えている」と書きますと、強い意志のようなものが感じられますが、実際は無意識に近く「なんとなく」といった表現のほうが的確かもしれません。では、なぜ「なんとなく」覚えているかといいますと、自分の選択した道が「正解」だったかどうかを確認するためです。

「まっすぐ」か「左折」かはその日の気分とか車の流れなどを見て決めているのですが、その選択が「正しかったのかどうか」はやはり気になります。賢い読者の方はもうおわかりだと思いますが、合流した際に覚えたナンバーをつけた車が前にいるかうしろにいるかで選択の正しさを判定するわけです。

さて、その「ある日」僕はいつものように前の車のナンバーを覚え、信号が青になった際少しばかりスピードを上げて次の合流地点に向かいました。目的の合流地点に到着し、合流したとき妻が突然つぶやくように数字を口にしたのです。

「〇〇〇〇…」

驚き!です。僕が覚えた車のナンバーと同じ数字を口から発したのです。赤の他人だった妻の頭の中が少しかもしれませんが、いつの間にか一体になっていたことを実感した瞬間でした。

じゃ、また。




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