<絶対鈍感>

pressココロ上




先週、森元首相の発言がまた問題視されていましたが、“狙われている感”がなきにしもあらずです。本来ならば、女性蔑視発言で東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任したばかりですので、自らの発言には慎重を期すべきです。ですが、その経験が生かされていないようです。

問題の発言は「女性というにはあまりにお年」というものですが、おそらく本人はジョークのつもりだったと思います。前回の失言のときにも、本人は「女性蔑視の意図はなかった」と弁明していましたが、本人にしますと差別とか悪意というつもりは全くなく、率直な自分の気持ちを述べただけのはずです。そうでなければ、あれだけ批判された記憶が冷めやらぬ今の時期に同じ系統の発言をするはずはありません。

僕も昭和の人間ですが、昭和の人間からしますと森氏一連の失言は「スピーチジョーク」と思えなくもありません。しかし、今は平成を過ぎ令和の時代です。昭和の感覚で物事に対処するのはあまりにリスクが高すぎます。昔は許された発言や行動が、今はハラスメントになります。

BLM運動が盛り上がった頃、「13th 憲法修正第13条」というドキュメント映画を観ました。この映画の肝は「黒人差別が前提になって、社会が成り立っている現状」です。差別されることが当然という社会でいろいろなことが決まっているのですから、スタートラインを後方に置かれて競争をするようなものです。これほど不条理なことはありません。

今、ハラスメントの声がいろいろなところで上がっていますが、これは突然起きたことではありません。以前からあった状況が、ハラスメントと認識されていなかっただけです。女性蔑視・差別という感覚も同様です。昭和の時代には当たり前だった状況が、実はハラスメントだったということにすぎません。

例えば、社内で女性が男性から外見をからかわれる発言をされたとき、ある種のジョークと捉え、それをうまくかわせてこそビジネスウーマンと評価されると考えられていました。30年くらい前に読んだ経済誌の読者投稿が強く記憶に残っています。

投稿主は結婚しているバリバリのキャリアウーマンだったのですが、昇進して違う部署に異動する際にご主人(“ご主人”という言葉も今の時代は不適切かもしれませんが、お許しを)に相談したときのやりとりが書いてありました。ご主人曰く「その部署に昇進して行くのなら、スカートをはいていたほうが仕事がはかどるよ」というアドバイスを受けたそうです。

ご主人は、ビジネス社会が男性社会であり、異性と相対する際の微妙な男性心理をうまく奥さんに伝えていました。「いい、わるい」は別にして仕事現場での現実を表している投稿でした。30年前の仕事現場はそうした時代でした。

女性は不利な状況で仕事をするのが当然な時代だったのです。そして、そうした社会に異議を唱える発想が、もちろん一部ではありましたが、ほとんどなかった時代でした。そうした時代の発想が抜け切れていない森氏ですので、あのような発言が出てきたのでしょう。

今月は、あとひとつ差別発言が批判されました。新たに大会組織委員会クリエーティブディレクターに就任したばかりの佐々木宏氏の発言です。佐々木氏の場合は発言ではなくライン上でのやりとりでしたが、女性タレントの外見を侮蔑する差別的内容でした。

佐々木氏の場合は、“仲間内のやりとり”が外部に流出したことを問題視する意見もありましたが、差別的発想があったことは事実です。これも昭和的な時代遅れの発想であったことは疑いようもありません。

森氏と佐々木に共通するのは時代感覚に対する鈍感さです。しかし、森氏はともかく佐々木氏の本業はCMプランナーです。広告業界でたくさんの賞を獲得している人の時代感覚が鈍感とは思えませんが、アンテナを張りすぎていたために、逆に鈍感になったのでしょうか。

女子プロレスラーの方がお亡くなりになってもうすぐ1年が経ちますが、当時はSNSの問題点がいろいろと指摘されました。そのほかにもいろいろな問題が起き、現在は投稿者を特定できるようになりましたが、手続きが大変で簡単にできることではなさそうです。

そうした状況下でSNSを利用するには、それなりの覚悟が必要です。先日、女性お笑いタレントの方の記事を読みましたが、その方にもたくさんの嫌がらせのSNSが届くそうです。ときには、わざわざ面と向かって「死ねばよかったのに」などと言う人もいたそうですから、タレントという職業も大変です。

並大抵の精神力では生きていけないのが、タレントさんなど芸能人・有名人の方々です。繊細で敏感な神経では耐えきれなくなってしまいます。実は僕も20年くらい前ですが、HPを立ち上げたばかりの頃に、ネット上で傷ついた経験があります。当時はSNSがありませんでしたので掲示板でしたが、それでも心がざわついた記憶があります。

自分の記事に対して批判的な文章を見た時は、やはり落ち込みました。批判的とは言いましても有名人が受ける罵詈雑言に比べるとかわいいものです。おそらく有名人の方々は素人が考える何倍も心を傷つけられているはずです。そうした苦しさや辛さを乗り越えてSNSを発信していることを思いますと、尊敬の念を抱かずにはいられません。

SNSに限らず、人は生きていますと傷つくことが多々あります。生きていて全く傷ついた経験がない人などひとりもいないはずです。このように誰でもが傷つきながら生きているわけですが、そうしたときに役に立つのが鈍感です。鈍感には傷つきを和らげてくれる効果があります。

このように、鈍感は人を守ってくれるのですが、コラムの前半で書きましたように、鈍感が人を傷つけることもあります。ここに、人に煩悩が生まれる原因がありそうです。そもそも論になりますが、人は生まれながらにして鈍感な生き物です。生まれたての赤ちゃんは自分以外のことに対して気を使うことなどありません。自分の思うがままに行動しています。鈍感の極みが赤ちゃんと言っても過言ではありません。

その赤ちゃんが月日を重ねながら繊細さを身につけ、社会性を身につけ、鈍感を敏感に変えていきます。それでも大人になったからと言って、鈍感を完全になくすことができないのは昭和生まれの権力を持っている方々が証明しています。

このように考えていきますと、人がより良い人間になるためには、鈍感を常に意識しながら生きていくことが必要なように思います。もし、そうしたことがわからないなら、その人にはこう言ってやりましょう。

鈍感!

じゃ、また。




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