<地元じゃ負け知らず>

pressココロ上




僕はもう60代半ばになるのですが、僕が幼稚園の頃に住んでいた家の前は田んぼが広がっていました。田んぼは稲刈りが終わったあとは広大な広場になるのですが、僕はそこで父親とキャッチボールをするのが楽しみでした。田んぼの端から端まで遠投をしたことで自然と肩の力が鍛えられていたようで、小学3年生のドッヂボール遠投大会ではクラスで一番の記録を出しました。

その肩の強さは中学高校と学年が上がっていっても常に上位に入っており、「肩が強い」「速いボールが投げられる」と高評価を得ていました。生まれながらにして運動大好きな性格だったことも関係していると思いますが、中学高校ともに運動部に所属して一応それなりに厳しい練習に明け暮れた成果です。

僕は小学校から中学高校、そして大学と進学するに従い、世の中の広さを実感していったのですが、「広さ」を実感することは、「上には上がいるものだ」を痛感することでもありました。読者の中にも同じ思いをした人が多いと思いますが、小学時代は勉強ができる生徒だった人が中学に入ってからはクラスで真ん中の成績順位になったり、中学時代は学校で飛びぬけて走るのが早かった生徒が高校に入ると平凡な走力の選手になったり、など見聞きしてきたことと思います。

かなり古い話で恐縮ですが、20年ほど前ジャニーズの亀梨君と山ピー君がユニットを組んで歌った「青春アミーゴ」という歌が大ヒットをしました。人気がある二人が組んだユニットということもありますが、楽曲自体が若者の心を掴んだこともヒットした要因です。

その歌の中で印象に残っている歌詞があります。

「地元じゃ負け知らず」。

これほど一人の人間が年を重ねていく中で感じる心模様を表した言葉はありません。そうなのです。年を重ね世界が広がるということは「負け知らずだったのは、地元という狭い世界だったからなんだ」と自らに気づかせることでもあります。

作詞家の阿久悠さんは「大会では1チームを除いてみんな負けますね」という言葉を残していますが、オリンピックにしても将棋や囲碁にしてもその大会においては最終的には勝者は1チームもしくは一人です。このように、ほとんどの人はどこかの時点で負け組に入り、それは即ち平凡な人の範疇に振るい分けられることを意味します。

最近はネット記事などで、道半ばにして引退した元プロ野球選手の第二の人生などが報じられることがありますが、そうした人たちもプロの世界に入るまでは「負け知らず」だったはずです。ほとんどの人は世界が広がり、レベルが上がるに従い平凡の範疇に入っていくことを余儀なくされます。ですが、平凡の範疇に入ったとしても人生は続いていきます。もちろん平凡になったからといって、人生が終わるわけでもありません。なにせ、世の中のほとんどの人は平凡な範疇の人なのですから。

評論家であり作家でもある常見陽平さんは「社会は普通の人で動いている」と語っていますが、平凡な人がいてこその勝者の方々の生活です。平凡で普通の人がいるからこそ、競争に勝ち続けている人たちの大会が成り立ちます。Jリーグやプロ野球といったスポーツに限らず、将棋にしても囲碁にしてもファンやスポンサーの人たちがお金を落としてくれることで成り立っています。勝者だけが存在する社会が経済的に成り立たないのは言うまでもありません。

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先日、文藝春秋digitalに「前田会長よ、NHKを壊すな、紅白打ち切りも 職員有志一同」という記事が掲載されました。タイトルからしてわかりますように、前田会長を批判する記事ですが、僕の感想としては少々賛同しかねる部分がありました。今回はそれを書きたいと思います。

冒頭に書きましたように僕は60代半ばですが、この年齢で情報との接し方という観点で考えますと、今の時代に真っ先に思い浮かぶのはロシアの年配の方々です。ロシアの年配の方々はプロパガンダに毒された国営放送を信じているそうです。プロパガンダであることを認識しているかどうかまではわかりませんが、それでも「人は見たいものしか見ない」という特性を備えていますので、意図的に信じ込んでいる節も見られます。

その真偽はともかく、間違ったというよりも正反対の情報を受け入れているのが年配者というところが大事な要素です。若い人たちはインターネットでプロパガンダに毒されていない情報に接することもしているようですが、年配者の方々は「見たいものしか見ない」という特性も相まって真実に接しようとしていません。

よく言われることですが、NHKは国営放送ではなく公共放送です。国に予算や人事など承認を受ける義務は課されていますが、国家が経営をしているわけではありません。国営でないことにNHKの価値があると思っています。しかし、政治家に忖度することが必要な状況があることは容易に想像できます。社会はいろいろな力が作用しあって成り立っていますので、致し方ない内面もあるでしょう。

また、先ほどの記事に関しても、部外者である僕が記事の内容を精査することはできません。つまり、記事の内容が真実かどうかを判定することはできないのですが、そうした状況でありながら、僕が反論を書こうと思ったのは、記事全体から感じられる雰囲気に違和感を持ったからです。

僕はこの記事から、有志の方々が「変化を拒んでいる」ように感じました。端的に言いますと、「これまでのやり方を変えるのは、まかりならん」と訴えているように読めました。僕はそうした発想に納得できないのです。現在、東芝という会社が右往左往している姿が報じられていますが、その原因はそれまでの経営のやり方が間違っていたからです。

そして、ここからが肝心なところなのですが、東芝は民間企業ですので、経営のやり方を間違えてしまいますと倒産という結果が待っています。倒産という結果はその言葉の響きからネガティブなイメージがしますが、倒産とはある意味最悪とはいえそれまでの経営の評価が下されることです。そうした結果が出てくるのは民間企業だからです。

それに対してNHKという企業は倒産という結果が出てこない組織形態です。受信料という国民から強制的に徴収するシステムだからです。東芝のようにやり方が間違っているかどうかの判断が永久にできない組織形態です。だからこそ変化をしなければいけない、と思っています。

「今までのやり方を変えない」ということは「地元じゃ負け知らず」と同じ発想です。Jリーグのレベルが上がったのは海外から有名な選手を呼んだり、Jリーガーが欧州に出ていったからです。大谷選手がメジャーリーグであれほど活躍できているのも、日本のプロ野球界のレベルに甘んじていなかったからです。自ら変化を求めたからこその大成功です。もちろん、変化をしたからといってみんながみんな成功するわけではありません。ですが、失敗を恐れて変化を拒んでいるなら、そこで成長は止まり、そしていつしか消えてなくなる運命が待っています。

長い間慣れ親しんだやり方を変えるのに抵抗感があるのは理解できますが、変化を拒んでいては最後は消滅しかありません。プロパガンダに毒されるのなら反対する必要がありますが、変化に反対するのは違うと思います。NHKには倒産という結果が出ません。誤まったやり方が続いていても気がつかず、いつしか知らないうちに世界から置いて行かれる組織になっている可能性があります。

NHKは今こそガラガラポンで変化する必要があると思っています。有志の方々には不快な反論だと思いますが、何卒お許しいただきたく思います。

じゃ、また。




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