<事実と平和>

pressココロ上




オリンピックも本日で終了ですが、テレビはここ2週間、北京オリンピック一色という感じで、その間僕が見たい番組がこぞって中止になっていました。笑福亭鶴瓶さんの「家族に乾杯」や「ブラタモリ」などですが、このように書いていて気がつきました。今の僕はほぼNHKの番組しか見ていないことになります。受信料金を払っている甲斐があるというものです。

昔は歌番組やドラマ、ドキュメンタリー番組なども見ていましたが、いつの間にかそうした番組を見なくなっていきました。いつからか、自分でもはっきりとは覚えていませんが、気がついたらNHKのニュース番組を中心に見るようになっていました。

若い頃と年をとってからで、テレビに対する思いで一番変わったのは「ドキュメンタリー番組」に対する評価でしょうか。若い頃は「ドキュメンタリー番組」がとても好きで、それこそ「情熱大陸」や「FNNドキュメント」などは時間があるときは必ず見ていました。しかし、現在はほとんど「ドキュメンタリー番組」を見なくなっています。

「ドキュメンタリー番組」が好きだった僕が見なくなったのはあるきっかけがあります。僕の記憶では東京12チャンネルの2時間ものの特番だったと思いますが、ドキュメンタリー監督の森達也さんが学生にドキュメンタリー番組の作り方について教えていました。ある人をずっと密着してドキュメンタリー番組を製作する内容でしたが、その番組の最後の最後に、そのドキュメンタリー番組を作っている側を密着ドキュメントしているというオチだったように記憶しています。

森監督はオウム事件を内側から撮影したことで“物議を醸した”といいますか、有名になった方ですが、その番組が僕にはとても説得力がありました。よくよく考えてみますと、ドキュメンタリー番組といいましても、事実だけを撮っているわけではありません。なぜなら、実に簡単なことですが、撮影は24時間つきっきりで行われているわけではないからです。そこには制作者である監督の意図があるはずですし、その意図を伝えるために「演出」も行われているはずです。現実問題として、そのようにしなければドキュメンタリー作品を作ることはできません。また、違うドキュメンタリー監督が「演出」があることを前提にして、「純粋で完璧なドキュメンタリーなどあり得ない」と語っていたことも関係しています。

僕はその番組を境にドキュメンタリー番組の見方が180度変わりました。視聴者としての視線ではなく、撮影をしている場面を想像しながら見るようになってしまったのです。そのような視点でドキュメンタリー番組を見てしまいますと、没頭することができなくなり、白けた気分になってしまいます。

ここ最近バラエティ番組などで、過剰な「やらせ」が問題視されることが多くなってきましたが、その背景にはドキュメンタリー作品の抱える問題点と同じものがあるように感じます。それは、「事実ではなく見せたいものを制作する」という問題点です。

本来、事実というのはすべてが視聴者を満足させる内容ではありません。言わずもがなですが、人生で起きることのほとんどはどこにでもある凡庸な事象です。しかし、視聴者から支持を受けるには「すべてが興味を抱かせる内容」でなければいけません。そうなりますと自ずと、「やらせ」が入り込んでくることになります。

このように「やらせ」と「演出」の共通点は「事実ではない」ことです。例えば、映画やドラマに「演出」があってもなんの問題もありません。なぜなら映画やドラマは最初から「作り物」とわかっているからです。「作り物」を前提として見ているのですから、「騙し」でもなんでもありません。

このことからわかるように、「やらせ」や「演出」が問題視されるのは、事実と思っていることが実際は違っているからです。つまり見ている人が「騙される」ことになるからです。もっと簡単に言うなら「嘘をつかれた」からですが、嘘がまかり通ってしまいますと、社会が混乱します。

最近で最も注目されたドキュメンタリーは「なぜ君は総理大臣になれないのか」だと思いますが、この映画もドキュメンタリーとはいえ、監督が四六時中つきっきりで撮影していたわけではありません。監督がこの映画で伝えたい場面だけカメラを回しています。

例えば、評論家の田崎さんと会合する場面なども事前にその場面を撮影することを決めています。さらに、カメラが回っている状況で人は本性を現すことはなかなか難しいものがあります。自分に置き換えてみるとわかりますが、誰でもカメラを向けられますと、自然に振る舞うのはむずかしく、どうしても構えてしまいます。人はそのようにできています。本当にドキュメンタリーを撮りたいなら隠しカメラで撮るしか術はないでしょう。

このように事実を知ることはなかなか簡単なことではないのですが、そんな僕が最近気になっているのがウクライナ問題です。なぜなら、報道するメディアによって事実が異なるからです。もちろん解説する人によっても現地の状況がことなっているのですが、どれを信頼してよいのか困っています。

今回のウクライナ危機について、素人の僕がわかる範囲で読者の方に解説したいと思います。なお、僕の解説によって読者の方が損害を受けることがあっても、責任は負いませんのであしからず!

さて、ウクライナ危機が伝えられるようになったきっかけは、ロシアがウクライナとの国境に兵力を集めたことです。これが発端です。ロシアのこの動きに対して危機感を持ったのがウクライナです。突然、隣の国が国境に兵力を集中させたのですから危機感を持って当然です。

ではなぜロシアはそのような行動をとったかといいますと、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟しそうだからです。ロシアの言い分は「隣の国に敵対国」が誕生するのがリスクと感じるからです。ちなみに、ウクライナはロシアがソ連だったときの弟分の国でした。ロシアから見ますと、ウクライナは西側諸国(敵対国)とのバッファー・ゾーン(緩衝地帯)の役割を果たしていました。

僕が接してきた情報からしますと、基本的には「ロシアはウクライナに侵攻しない」という意見が多いのですが、その理由は「ロシアが侵攻しても、それを続けることが困難であり、なによりもメリットが少ない」ということです。

ですが、戦争というのは“ちょっとしたはずみ”や“きっかけ”で偶発的にはじまることもあるそうなので油断は禁物です。そんな中ウクライナ政府は16日にロシアが侵攻するという情報を発信しましたが、その16日も無事に過ぎています。また、ロシアが「撤退している」と発信していますが、それに対して米国は「そうした兆候は見られない」としきりに情報発信しています。

なおかつ、僕が不思議なのはバイデン大統領が「ロシアが侵攻を決定した」とやけに声高に訴えていることです。これに対しては、ロシアの動きを抑えるために、意識的に過度に情報を発信している、という意見もありました。

いわゆる情報合戦が起きていますが、昔にくらべて今の時代は情報発信が容易にできます。そうであるからこそ事実が見えなくなってきています。事実が見えないことほど不安なことはありません。事実を見つける、見抜く努力を続けることが社会を平和にするには必要です。

というわけで今週はかためのコラムでした。…平和って難しいなぁ。

じゃ、また。




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