<2025年、夏>

pressココロ上




♪夏がく~れば 思い出す
♪はるかな尾瀬 遠い空

というわけで、僕は夏になると思い出す光景があります。「光景」と言っても、僕の場合はテレビの「画面」です。いえ、正確には「画面」というより「場面」かもしれません。思い出すのは、ミュンヘンオリンピック男子バレーボール準決勝ブルガリア戦。2セットを先取され、あと1セット取られれば敗退という絶体絶命の第3セット。「0:2」と相手チームに先行され窮地に陥ったとき、途中交代で出場してきた南将之選手が走り回っている場面です。

実は、この準決勝についてはこのコラムで何度か書いています。なのに、なぜまた今回書くのかといいますと、話は先週、妻とマックでハンバーガーを食べていたときに遡ります。余談ですが、マクドナルドを僕の住む関東では「マック」と呼びますが、関西では「マクド」と言うそうです。地域によって略し方まで違うのは不思議です。

さて、僕はマックに行くと「フィレオフィッシュ」と「てりやき」を交互に食べているのですが、その日は「フィレオフィッシュ」を頼んでいました。毎回、亭主関白の僕は妻に買いに行かせ、自分はテーブルに座ってただ待っているだけです。その「ただ待っているだけ」のときに、なぜかふいにブルガリア戦で奮闘している南選手の姿が頭に浮かんできたのです。

突然頭に思い浮かんだだけでも不思議なのですが、なんと、それだけではなく、妻がフィレオフィッシュを持って戻ってきてから、妻に南選手のことを話しているうちに、胸に込み上げるものがあり涙が出てきたのです。自分でも驚きました。何度も見ていますし、書いているのに、まだ涙が出るのかと。実は、こうして書きながら今も少し涙ぐんでいます (^_^;)。

南選手の何が「すごい!」って、そりゃあなた、「あきらめずに周りを鼓舞する力」でっせ! 当時日本とブルガリアの実力を比べれば、日本のほうが格上でした。日本の実力は世界的にも認められていて、優勝候補にも挙げられるほどでした。実際、中継のアナウンサーは試合が始まったばかりのときに「日本がブルガリアに負けることはないでしょう」とまでのたまっていたほどです。スポーツをやったことがある人間からしますと、こうした楽観的な言葉がこの試合を苦しくしたのではないか、と思ってしまうのですが…。

ところが、試合が進むにつれて日本チームはなぜか調子が出ませんでした。以前のコラムでは「歯車が合わない」と表現していましたが、どうにも「リズムに乗れない」のです。誰にでもありますよね。「理由はわからないけど調子が出ない」ってこと。まさに日本チームはそんな状況に陥っていました。「あれ?あれ?、、おかしいな…おかしいな」と思っているうちにズルズルと2セットを連取されてしまったのです。

5セットマッチで2セットを取られたのですから、あと1セット取られれば敗戦です。あれほど苦しんで積み重ねた努力がすべて水泡に帰してしまうのです。それでも、ズルズルと敗けのスパイラルから抜け出すことができない、そんな状況でした。このようなときに指揮官がすることはただ一つ。敗けスパイラルから抜け出すきっかけを作ることです。そこで、松平監督は…。

松平監督について書きましょう。一言でいうと松平監督は「策士」です。いい意味での「策士」です。女子に比べて人気の低かった男子バレーの知名度を高めたのも松平監督ですし、弱かったチームを世界に通用するレベルに引き上げたのも松平監督でした。そうした強い意志がなければ、170センチにも満たないであろう監督が、190センチを超える大男たちをまとめられるはずがありません。

僕が松平監督を知ったのは、テレビの「ミュンヘンオリンピックへの道」というアニメ番組でした。ドキュメンタリーとアニメを組み合わせたような内容でしたが、これも松平監督がテレビ局に掛け合って生まれた番組だそうです。僕が南選手に感動したのは、この番組の影響もあります。番組では各選手を順に取り上げていましたが、その中で南選手のエピソードが特に心に残りました。

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*注:これから書く内容は、僕の記憶に残っている内容ですので、正確性に欠けているかもしれません。実際、前に「ミュンヘンオリンピックへの道」と題してコラムを書いた際は、人名や対戦チームの間違いなど幾つかあり、指摘メールをいただいたほどです。ただその指摘は好意的な内容で今の時代のクレームとは程遠いものでした。いずれにせよ、僕の記憶に基づいた内容であることをご理解のうえお読みください。
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僕が忘れらない場面は、南選手がコート上で練習中に包帯をあちこちに巻いた姿で大声で「わーん、わーん」と大泣きしていた姿です。なぜ2メートル近い大男が泣いていたのか。それは「逆立ち歩き」ができなかったからです。松平監督は2メートル近い大男たちにサーカス団のような機敏な動きを求め、その一環として「逆立ち歩き」を課しました。おそらく大きな体の人たちは、それまで逆立ちなどしたことがなかったのでしょう。何度も倒れながら練習しているうちに、できない自分、不甲斐ない自分に我慢できず、南選手はとうとう大声で泣き出したのです。チーム最年長の南選手が、年下の後輩の前で泣いてしまう。その姿に僕は胸を打たれました。

その南選手が、チームが苦境に立たされたとき、狂った歯車を立て直そうと必死に走り回っていたのです。僕の記憶では、南選手は途中出場するその試合まで、その大会では出場機会がなかったはずです。その南選手がチーム内の沈んだ空気を盛り上げるために、ほかの選手を鼓舞するために走り回っていたのです。その姿に僕は泣けて泣けて仕方ありませんでした。今でもYouTubeで見ることができます。途中出場する場面での南選手の表情。普段と変わらぬ表情です。敗色濃厚な、崖っぷちの状況で、不安や焦りが顔に出てもおかしくない場面です。それなのに…。

得てして、こういうときに胆力がない人は心の余裕のなさから、無理に仲間を叱咤激励したりするものです。しかし南選手は闘志を内に秘めながら普段と変わらぬ落ち着いた表情でコートに入りました。けれども、ひとたび試合が始まると走り回る、走り回る。その姿にただただ感動しました。

なかでも印象に残っているのは、南選手が後衛センターにいたときです。相手のスパイクがブロックに当たり、大きく後方へ跳ねていきました。(以下「ミュンヘンへの道」のコラムより引用)誰が見ても間に合うはずがない、届くはずがないボールの行方を追い、そしてその落ちた方向へヘッドスライディングしたのです。その姿は白々しいパフォーマンスではなく、真摯で誠実で諦めない意志を示すスライディングでした。ドイツの観客は南選手が出場したときから、南選手の頑張る姿を見ていました。その姿が観客の心を掴んでいたのでしょう。南選手がスライディングをしたあと、観客の多くの人が南選手に対して拍手を送ったのです。もし、単に上辺だけのスライディングであったなら、拍手など起きなかったでしょう。南選手の誠実さが見ている人に伝わっていたからこそ起きた拍手でした。

その南選手について妻に語りながら涙ぐんだ僕でした。2025年、夏。

「巧詐は拙誠に如かず」韓非子

じゃ、また。

校正:chatGPT




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