<脇を締めて>

pressココロ上




本日は「お相撲」のお話。僕は「お相撲」の大ファンというわけではないのですが、けっこう好きです。そのため、場所が始まっているときは毎日見ています。しかし、勝負に入る前の「仕切り」の時間がやたらと長く感じられ、少し間延びしている印象を受けます。そのため、リアルタイムで見ることはここ何十年もなく、いつもNHKプラスで夜に見ています。

NHKプラスは本当に便利というか、使い勝手がよく、多くの番組で活用しています。朝ドラの「あんぱん」もそうですし、「NHKスペシャル」や「20世紀の映像バタフライ」もNHKプラスで見ています。「NHKから国民を守る党」さんには申し訳ありませんが、僕はこれらの番組が見られるだけで、「受信料がもったいない」とはまったく思いません。こうした番組を制作するには相応の費用がかかるはずで、しかも広告に頼っていないのですから、「喜んで支払いたい」とさえ思っています。

それはさておき、お相撲です。お相撲に興味のない方には、よくわからないかもしれませんが、実は今のお相撲界は取り組みが充実しています。僕の年代で有名な横綱と言いますと、輪島と北の湖から始まり、千代の富士、若貴、朝青龍、白鵬と続き、現在は「大の里」です。「大の里」は今場所から横綱になったのですが、誰でも横綱としての初土俵は苦労するといわれています。今場所の「大の里」はまさにその状況にあり、久しぶりの日本人横綱ということで、期待している人も多いと思います。

実のところ、最近の相撲界はモンゴル勢に押されています。モンゴル出身の横綱を挙げますと、先ほど触れた朝青龍、白鵬のほかにも、日馬富士、鶴竜、照ノ富士、豊昇龍と多数います。近年は、横綱のほとんどがモンゴル出身と言っても過言ではありません。相撲は国技と呼ばれているだけに、その最高位が外国出身者ということに、日本人としてはどこかひっかかるものを感じるのも無理はありません。

そうした難しい話はさておき、今場所は本当に見応えのある取り組みが多いのです。僕がそう感じる一番の理由は、ベテラン勢の活躍です。具体的に挙げますと、霧島と高安です。両力士とも大関まで上り詰めた経験がありますが、そこから番付を下げ、現在はそれぞれ関脇と西前頭3枚目になっています。今場所は、その二人の取り口がとても冴えているのです。

昔から言われていることですが、「上に上がっていくとき」は気持ちが盛り上がりますが、一度「下り坂に陥って」しまいますと、気持ちを立て直すのは容易ではありません。大関まで上り詰めた人がそこから陥落すると、やはりどうしても気持ちがなえてしまうものです。不思議なもので、そうした気持ちの緩みは取り口にも表れてきます。

しかし、先場所あたりから両力士は活力がみなぎっているように見えました。高安は先場所、「大の里」と優勝決定戦まで争うほどの健闘を見せました。それほど、最近の両力士の動きには精彩があります。大関まで到達すれば、残るは横綱の座のみですが、そこに到達できるのはごく限られた力士だけです。中には大関のまま引退する力士もいますが、それはまだ良い方で、大関は2場所連続で負け越すと「陥落する」という決まりがあります。

霧島も高安も、その陥落を経験した力士です。もちろんそうした力士は少なくありませんが、その後の流れを追ってみますと、共通する傾向があります。それは、ずるずると番付を落としていくことです。大関から関脇、小結、前頭上位、中位、下位、さらには十両まで落ちるケースもあります。このように、一度下りの流れに入ってしまいますと、そこから抜け出すのは容易ではありません。名前は挙げませんが、現在もそうした流れの中にいる力士もいます。

僕は、そうした力士たちを責めるつもりはまったくありません。僕がもっと若かったなら、そうした状況の力士に対して叱咤激励の言葉を投げかけていたかもしれません。しかし、人生には人それぞれの生き方があります。勝ち続けることだけが人生のすべてではないでしょう。

とはいえ、下り坂の流れに抗おうとしている人には、やはり畏敬の念が湧きます。僕は霧島と高安に対して、そうした感情を抱いています。なえた気持ちを奮い立たせるのは並大抵のことではないはずです。しかも肉体を使う相撲です。年齢は嘘をつきません。ベテランになっても体を鍛え続けるのは大変なことです。だからこそ、応援したくなるのです。

少しばかり「知ったかぶり」で偉そうに書きますが、今場所の両力士は「脇が締まっている」のです。このように書きますと、まるで僕に相撲経験の一つや二つでもあるかのように思われそうですが、ただテレビで見ているだけで、経験はまったくありません。ですが、言うだけは誰にでもできますので、書かせていただきます。しかも偉そうに。

霧島は前まわしを取りにいくスピードが、かつて強かった頃の彼を思い出させるような取り口になっています。また、下手を取られてもおっつけで対抗し、相手に簡単には攻めさせません。その戦う姿勢に、僕は今場所とても感動しています。先ほど書きましたように、高安は先場所、当時まだ大関だった大の里と優勝を争い、優勝決定戦までもつれた末、惜しくも敗れました。新聞の見出しは「9度目の正直もかなわず」でした。

普通なら、そうした後には気持ちが切れてしまうものですが、今場所も気持ちを切らすことなく奮闘しています。もちろん、「脇を締めて」。両力士に共通しているのは、不利な体勢になってもあきらめないことです。「下降する流れ」に入ってしまった力士の多くには「あきらめの早さ」が共通しています。ちょっとでも不利な体勢になってしますと、すぐにあきらめるのです。そうした力士を何人も見てきました。しかし、霧島と高安は違います。なんとか形勢を逆転しようと奮闘するその姿に、自然と敬意を抱いています。

このように、最近の場所は頑張っている力士が多く、見ていてとても見応えがあります。ただ、相撲業界全体を見渡しますと、喜んでばかりもいられません。先日、白鵬さんが相撲界を引退しましたが、週刊誌などでは「業界のいじめ」が報じられていました。引退会見では、相撲界に対する不満がにじみ出るような発言もあり、報道もまったくのデタラメとは言えない印象を受けました。「におわせ」程度しかできない状況自体が、深刻さを物語っているようにも感じます。

マスコミなどでも指摘されているように、相撲界は閉鎖的です。外からは実態が見えにくく、それが相撲界の問題点を一層わかりにくくしています。覚えている方も多いと思いますが、“平成の大横綱”と称された貴乃花さんも協会と対立し、最終的には退職しています。相撲協会の特異性がここにも表れているように思います。横綱には「品格・人格・力量の三要素を兼ね備えること」が求められていますが、20代30代の若い力士にそれをすべて求めるのは、そもそも酷なのではないでしょうか。

いくら横綱が最高位といっても、「力量」はともかく、「品格」と「人格」まで同時に求められるとしたら、それはもはや人間離れしてしまいそうです。相撲の世界に入るのは若いを通り越してまだ子どもと言える年代の人もいます。そうした人たちはまだ社会についても知らないのですから、相撲界の問題点について考えることさえできません。だからこそ、相撲界こそ「品格・人格・力量の三要素を兼ね備えること」が必要です。相撲協会全体で若者を育てるくらいの意気込みを持ってほしいと思います。それこそ「脇を締めて」。

そういえば、先の参院選では「日本人ファースト」を掲げる政党が躍進しましたが、相撲協会の方々はどのような気持ちなのでしょう。

じゃ、また。

校正:ChatGPT




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする