<コーチの選び方>

pressココロ上




いやぁ、大谷選手はすごい! 本当にすごい! ワールドシリーズ第3戦では2本の本塁打のほか、他の打席でもすべて長打。18回までの延長戦だったのですが、なんと9打席すべて出塁です! しかも、そのうち5つの四球のうち4つが申告敬遠! これを大活躍と言わずして、なんと言いましょう!

それにしても昨年はホームラン王、そして今年も1本差の第2位でした。日本人がホームラン王の常連になるなんて、かつては考えられないことでした。あの「ゴジラ」こと松井秀喜選手は、日本では桁外れの飛距離を誇るホームランバッターと言われていました。しかし、その松井選手でさえメジャーリーグでは「ホームランバッター」ではなく「中距離ヒッター」と評されていました。大谷選手がどれほど素晴らしいバッターであるかが、これでよくわかります。

さらに素晴らしいのは、大谷選手がピッチャーとしても活躍していることです。もはや驚きを超えて、「神がかり」と言ってもいいのではないでしょうか。かつて巨人でエースとして活躍していた槙原寛己氏が、ある番組で「登板した翌日は体中が疲れていて、歩くのもままならないくらいになる」と話していました。それほどの疲労を感じるピッチャーが、登板以外の日にバッターとして活躍するのですから、メジャーリーガーたちがこぞって賞賛するのもうなずけます。

この大谷選手の活躍を見ていますと、日本ハム時代の栗山監督の功績を思わずにはいられません。こうした話を書いていきますと、これまでの日本球界の「監督の問題点」にも思いが及びます。栗山監督以外の監督であったなら、大谷選手に対して間違いなくピッチャーとバッターのどちらかを選ぶよう迫っていたでしょう。

仮に最初は二刀流を認めていたとしても、何かのきっかけでどちらかに専念するよう説得していたはずです。たとえば、打撃不振になったり、打たれることが多くなったりしたときに、「プロの世界はそんなに甘いもんじゃない!」と忠告していたかもしれません。しかし、栗山監督は最後まで二刀流を認め、むしろ推し続けました。入団時の約束があったにしても、それを最後まで守ったことに大きな意味があります。

このように栗山監督の功績は大きいのですが、大谷選手の側に立つなら、栗山監督を選んだという「人を見る目」があったことになります。誰の指図でもなく、自分自身で選んだのです。多くの名選手出身の監督がいる中で栗山監督を選んだ――その慧眼力こそが優れていたのです。また、松井選手は長嶋監督を技術面の師匠としましたが、大谷選手には監督はいても、技術面での「師匠」と呼べる存在はいませんでした。

これまでにも何度か書いていますが、「メジャーリーグ」を日本のマスコミがまだ「大リーグ」と呼んでいた頃、米国に渡ったのは野茂英雄投手でした。当時の野茂投手は、日本球界ではまさに四面楚歌の状態でした。選手の自主性を重んじていた仰木監督から、歴代2位の勝利数を誇る鈴木啓示監督に代わってから、選手への対応が変わってしまったからです。野茂投手の成績が落ち始めると、鈴木監督は練習方法に口を挟むようになりました。さらに球団とも契約方式で揉め、四面楚歌の状況に陥っていたのです。結果として、野茂投手は大リーグに渡り、大成功を収めました。先日のワールドシリーズで始球式を務めていましたが、とても感慨深い思いがしました。

メジャーで成功している大谷選手、イチロー選手、野茂選手には共通点があります。それは、「師匠」と言われる人がいないことです。もちろん、調子が出ないときに相談する人はいたでしょう。大谷選手はメジャー移籍当初、打撃不振に陥ったときイチロー選手に相談したそうです。イチロー選手も二軍時代に、自身の「振り子打法」を認めてくれた新井コーチと二人三脚で練習に励んでいたといいます。

このように、成功している人たちにはコーチという存在はいましたが、そのコーチを「自分で選ぶ」という意思がありました。ここが非常に重要です。コーチは強制的に与えられるものではなく、自ら選ぶことができる存在なのです。さらに言えば、コーチを選ぶ段階からすでに練習が始まっているとも言えます。先日、テニスの大坂なおみ選手が「コーチを変えた」という記事を読みました。テニス界ではコーチを変えることはごく普通のことです。つまり、コーチを選ぶことが練習の第一歩なのです。

僕は「note」という投稿サイトを毎日見ているのですが、投稿を読んでいて気になる言葉があります。それは「担当がつく」という言葉です。ここでいう「担当」とは出版社の編集者のことです。このサイトには漫画家の卵の方々が多く投稿していますが、そうした人たちは「担当がつく」ことを目標にしているように見受けられます。「担当がつけば雑誌掲載への道が開ける」と思っているのでしょうが、僕はその考えに違和感を覚えます。

「担当が何をするか」といえば、おそらくアドバイスです。もちろん作品の質を上げることが目的でしょうが、その先には「雑誌掲載」という最終目標があります。だから、卵の方々はそのアドバイスに従うことが掲載への近道だと思っているようです。しかし、門外漢の僕から見ると、そのアドバイスの正当性には疑問を感じてしまいます。

「note」には、「プロになる」という夢を実現できず漫画家を諦めた人の投稿も多くあります。そうした方々の投稿を読んでいますと、「担当がつく」ことへの疑問が強まります。そもそも、その「アドバイス」が正しいのかどうかが第一の疑問です。卵の方々は夢の実現をサポートしてくれる担当ですので「正解」と思っているかもしれません。ですが、実際には必ずしもそうとは限りません。

野茂投手は入団の際、「トルネード投法を変更させないこと」を条件にしたそうです。イチロー選手も「振り子打法」を認めてくれるコーチに出会うまで妥協しませんでした。大谷選手も「二刀流を認めてくれること」を条件にしていました。つまり、彼らは最初から「すべてのコーチが正しいアドバイスをするとは限らない」と理解していたのです。

中には、コーチのアドバイスが正しくなかったために成功できなかった選手もいたでしょう。昔は、コーチの言うことに従うのが当たり前でした。しかし、繰り返しになりますが、コーチの言うことが常に正しいとは限らないのです。一流の選手たちはそれをわかっていました。

卵の方々も、「担当がつく」ことを目標にする必要はないのではないでしょうか。「担当がついた」からといって連載が得られる、あるいは続くとは限りません。評判が悪ければすぐに打ち切られます。担当のアドバイスに従っていたにもかかわらずです。担当(編集)の方々は自らのヒット作を喧伝しますが、担当した作品すべてがヒットしているわけではありません。

ヒット曲を数多く生み出した作詞家・秋元康さんでさえ、「ヒットしなかった曲が山のようにある」と話していました。担当の方々は自分で描くわけではなく、編集をしているだけです。いくつもの作品を同時に抱えているのですから、ヒットすることもあれば、失敗する作品も多いはずです。そのような担当に振り回されるのは、あまりに理不尽だと思いませんか?

今の時代は自分の作品を販売する方法はいくらでもあります。雑誌掲載だけがプロの道ではありません。担当に縛られることなく、自分で努力と工夫を重ねて漫画を描き、生きていく道を探してもいいのではないでしょうか。どんなことでも、他人の言うままに行動していては、失敗したときに納得もできません。

じゃ、また。

校正:ChatGPT




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