今、秋場所が開催されていますが、このコラムを書いている時点では両横綱と安青錦の3人が3敗で並んでいます。14日目は両横綱が負けるという波乱だったわけですが、横綱・大の里が負けた相手は大関・琴桜でしたので可能性もあるとは思っていました。しかし、関脇・安青錦が横綱・豊昇龍に勝ったのは予想外でした。
前にも書いたことがありますが、僕は大相撲をリアルタイムで見る気にはなりません。理由は立ち合い前の仕切りの時間が長いからです。力士からすると精神集中に必要なのでしょうが、見ている僕としては、力士のみなさんには申し訳ないのですが「時間の無駄」と思ってしまいます。なので、僕はいつも「NHKプラス」で夜にダイジェスト版を見ています。
その「NHKプラス」が10月からリニューアルしたのですが、その関係で大相撲のダイジェスト版の見方がわかりにくくなってしまいました。今は大分慣れましたが、当初はどうやってその日のダイジェスト版にたどり着けばいいのかわからず、右往左往していました。NHKには、もっと視聴者にわかりやすいよう改善してほしいものです。
話を大相撲に戻します。14日の豊昇龍と安青錦の取り組みは、安青錦が押し出しで勝ったのですが、押し出された際の豊昇龍の振る舞いに僕は憤っています。土俵から落ちるときに、豊昇龍は安青錦を引き込んだからです。身体がすでに土俵の外に出て負けが確定しているにもかかわらず、安青錦の腕を引っ張り込んで一緒に土俵下まで転げ落ちるようにしたのです。僕の見た感じでは意図的でした。豊昇龍には横綱としての品格を見せてほしいものです。
安青錦の取り組みを見ていていつも感心するのは、常に頭が下がっていることです。「頭を下げている」というよりも「顎を引いている」と言ったほうがいいのかもしれません。常に前傾姿勢で相手にぶつかっていっています。以前どこかの記事で「顎を上げて力を発揮できる競技はない」と読んだことがあります。身体を動かす競技では「顎を引く」のが基本中の基本のようです。
しかし、それが意外に難しいのでしょう。だからこそ、ほかの力士はなかなかできないのだと思います。これこそ練習の賜物です。僕は基本的に、相撲も含めスポーツは「生まれ持った才能で決まる」と思っています。努力だけではどうしようもない部分が必ずあります。
こういうときに僕が真っ先に思い浮かぶのは、東京2020オリンピックで代表の座を争った柔道の阿部一二三選手と丸山城志郎選手です。阿部選手が激しい練習をしていたのは容易に想像がつきますが、丸山選手もそれに劣らぬ練習をしていたはずです。いや、もしかしたら阿部選手以上だったかもしれません。ですが、代表を決める試合では阿部選手が勝利しました。丸山選手の敗戦を見て「練習量が足りない」と思う人はいないでしょう。最後は才能です。
もう一つわかりやすい例を挙げますと、メジャーリーグの大谷翔平選手と鈴木誠也選手です。2人は同年齢ですが、幾つもの賞を取っている大谷選手に対し、鈴木選手は一つも賞も取っていません。だからといって、鈴木選手が大谷選手より「練習していない」とは誰も思わないはずです。野球は小さなボールを細いバットで打つ競技ですので、肉体的な練習だけではカバーしきれない要素があるはずです。その意味でも、最後は「才能」です。
とはいえ、才能がなくてもある程度までは努力でなんとかなるのも事実です。以前「努力する才能がほしい」と言っていた人がいましたが、「努力すること」も才能というなら、すべてが「才能で決まる」になってしまいます。安青錦には努力の才能と相撲の才能の両方があったのでしょう。とんとん拍子で出世しています。
安青錦はウクライナの方ですが、ロシアのウクライナ侵攻を機に日本にやってきたそうです。慣れない環境の中で順調に出世しているのですから、努力と相撲の才能のほかに、環境への適応力という才能もあったのでしょう。しかし、それらの中で一番大きかったのは、間違いなく「努力する才能」だと思います。
そのウクライナが今、苦境に追い込まれています。報道によりますと、トランプ大統領が和平案をウクライナに提示しているそうですが、僕からするとその中身があまりにロシア寄りです。トランプ大統領は和平案の受け入れ期限を27日と設定しているようですが、現実問題としてかなり厳しい状況です。
朝のラジオ番組でキャスターの森本毅郎さんは、この和平案を「ウクライナの降伏案」と評していました。トランプ大統領はガザでもイスラエル寄りの対応を取っていましたが、基本的に「強いほうに味方する」のが理念のようです。ハリウッド映画では正義のヒーローが登場して悪者をやっつけるストーリーが多いですが、トランプ政権は正義のヒーローを好まないように見えます。
ウクライナを見ていて本当に不思議なのが、ロシアからの侵攻を受け、国家の危急存亡のこの時期に「汚職をしている人」がいることです。不思議というより憤りに近いのですが、先日は「実業家や現役閣僚らが汚職で摘発された」というニュースがありました。驚くべきなのは、その実業家がゼレンスキー大統領の盟友だったことです。これではゼレンスキー大統領も大変です。
ウクライナでは以前から汚職がはびこっていました。コメディアンだったゼレンスキー氏が大統領に当選したのも、政治家の汚職に国民が嫌気をさした結果だそうです。ウクライナでは今の国家危急のときでも国から逃げようとする若者がいるそうですが、理由は言うまでもなく戦争が嫌だからです。誰も殺し合いはしたくありません。
そんな中、日本では高市首相が国会で答えた「台湾有事は“存立危機事態”になり得る」という発言が、いろいろな方面に影響を及ぼしています。僕は、この発言の一番の問題点は「戦争を避ける」ことを考えた発言ではないことだと思っています。戦争を軽々しく考えているようで不安です。政治家の一番の仕事は「戦争をしない国」にすることです。
以前どこかで読みましたが、「勇ましい言葉には注意しろ!」。勇ましい言葉は格好がいいですし、ヒーローになれる言葉です。しかし、勇ましい言葉を発する人は実際に戦地に行く人ではありません。戦地に行って戦うのは若者です。それを忘れないでほしいのです。勇ましい言葉を発する人たちは、自分の身内、子どもや親せきや親しい若者たちが戦地で戦うことを想像してください。
戦争をしないためには、あらゆる外交手段を使って「戦争に突入しない方法」を探ってほしいのです。間違っても武力行使を軽々しく口にしないでほしいのです。と、こんな偉そうなことを書いている僕ですが、20代の頃は政治にほとんど興味がありませんでした。正直なところ、誰が政治家になっても世の中は変わらないとさえ思っていました。おそらく今の若い人も同じではないでしょうか。選挙の際も、ただなんとなく雰囲気で投票しているでしょう。それが実際のところです。
しかし、よく考えてください。経済は難しい言葉や知識がたくさんありますので、選挙で選択の要因にするのは簡単ではありません。しかし、戦争に向かうかどうかには難しい用語も知識も必要ありません。ただシンプルに「戦争しないこと」を基準に投票すればいいだけです。
若い皆さん、勇ましい言葉の先には「徴兵制」が待っています。
じゃ、また。