日本人選手が連日メダルを獲得しているオリンピックも本日で終わりです。過去の成績と比べても今回のオリンピックは上出来なのではないでしょうか。きちんと調べたわけではありませんが、テレビで報じているメダル情報を見ていますと、そんな感じがします。
阿部詩選手の号泣からはじまったオリンピックでしたので、どうなることかと思いましたが、終盤のレスリングでは男女ともにメダル獲得が続出しています。特に記憶に残ったのがレスリング女子で金メダルを獲得した藤波朱理選手です。決勝戦での「10対0」という圧勝は、如何に実力の差があるかを表しています。試合が終わった瞬間の対戦相手のあきらた表情からも、実力の違いを感じさせました。
藤波選手は「霊長類最強女子」とまで言われた吉田沙保里さんの連勝記録をとうに追い抜いていますが、どこまで伸ばすのか楽しみです。勝利を決めたあと、コーチでもあるお父様に飛びついた光景は好印象でしたが、僕としては少しばかり不安も感じました。親子でありながら師弟関係でもあるからです。
先週、僕はオリンピックに絡めてスポーツ界における師弟関係について書きました。すべてを指導者に管理されている選手の実力は、その選手の「本当の実力なのか?」という趣旨でしたが、指導者と選手が親子関係の場合は、特に難しさがあります。他人の場合は師弟関係を解消すれば指導者と選手の関係は終わりますが、親子であればそうはいきません。
親子関係であろうも、先週書きましたように、選手は指導者のロボットになる可能性はあります。厳しい親であるならなおさらです。普通の親子関係でも、子どもは親のマインドコントロールを受けています。これは「いい悪い」の問題ではなく、生活をしている中で自然に「マインドコントロール」がなされていきます。こればかりは逃れることはできません。なにしろ子どもはまったくの白紙なのですから。
数年前、ある知り合いが「息子が医学部に入った」とうれしそうに話してきました。知り合って20年くらいの方ですが、これまでその方からお医者さんに関する話を聞いたことはありませんでしたので、少しばかり不思議に思いました。一般的に聞くのは、医者である親の子どもが医者を目指すパターンです。医者が周りにいる環境で暮らしている子どもが医者を目指すのは不思議でもなんでもありません。ですが、その方は医者や医療関係者とは無縁の仕事に従事しています。
そこで尋ねますと、その方は東北が実家で大学進学時に上京したのですが、地元でお父様がお医者様だったそうです。ここから先は僕の推測ですが、その方は超一流の大学に進学していますが、本当は医者になりたかったのかもしれません。そうした環境にいたなら医者の道に進むのが普通だと思いますが、なにかしらの理由で医者の道を諦めたのでしょう。その気持ちが「自分の息子を医者の道へ進ませよう」思ったように想像します。その証拠に、「子どもが小さい頃から医者になるように仕向けていた」と照れ笑いをしながら話していました。十分なマインドコントロールです。
藤波朱理選手のお父様は元レスリングの選手だそうで、オリンピック出場の一歩手前まで行っていたそうです。その悔しさが娘さんをレスリング選手にした理由であるのは想像にがたくありません。ですが、そう思うがゆえに今後が心配です。今までは金メダルを目標にして、藤波選手によれば、ケンカや反発をしながらも一緒に励んできたそうです。ですが、これからは今までの朱理さんと指導者・父親の関係ではいられなくなります。誰でもそうなります。目標を達成したこともありますが、年齢的にマインドコントロールが解けてくるからです。
男子100m、200mの平泳ぎでオリンピック2連覇を達成した北島康介さんは1度目の金メダルのあと、それまでの師匠であった平井伯昌コーチとの関係が変化したそうです。当時、「燃え尽き症候群」という言葉が流行っていましたが、北島さんもその沼に陥ってしまったようで、しばらくは思うような成績を残せない状況になっていました。そこから気持ちを切り替えて2連覇を果たしたわけですが、その過程には、平井コーチの言葉を借りるなら「指導者から理解者・パートナー」への変化があったそうです。こうした話を聞きますと、藤波選手も指導者でもあるお父様との関係も変わってくる必要があるように思います。
スポーツの世界に限らず、マインドコントロールはとても重要な意味を持っています。僕はこれまでに幾度も書いていますが、ヒトラーは民主主義から生まれています。ヒトラーが実権を握る際に用いたのは、まさに大衆のマインドコントロールでした。ヒトラーにマインドコントロールされた大衆はヒトラーの思うがままに扇動されていきました。
そのような状況になっているときにヒトラーを非難・批判することはほとんど不可能だったはずです。そして、ドイツに限らずどの国においても戦争がはじまってしまったときは同様のことが起こります。戦争がはじまった段階でいくら「戦争反対」とさけんだところで、非国民とののしられるのが関の山です。すでにマインドコントロールされた人で世の中があふれかえっているからです。大切なのは、戦争がはじまる前の段階です。
僕は今の時期になりますと、必ず明石家さんまさん主演の「さとうきび畑の唄」について書いています。さんまさん演じる平山幸一が「ケガをしているアメリカ兵を殺すように」上官から命令をされた際に発した言葉
「私は人を殺すために生まれてきたんじゃないんですよ!こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよー!」
という叫び声が忘れられません。戦争がはじまってしまいますと、上官の命令がすべてになります。「人を殺せ」と言われたなら、それに逆らうことが許されません。そのような社会にしてはいけません。そのためには国民一人一人がマインドコントロールされないように冷静に世の中を見つめている必要があります。
ときとして、人は「勇ましい言動」に影響を受けることがあります。「勇ましい言動」は一見すると正義の味方、ヒーローのように映りますが、「勇ましい言動」には責任感が欠如しています。「勇ましい言動」のあとには現実が待ち受けています。米国は9.11のあと報復をしましたが、解決したとはいえません。どれほど「勇ましい言動」であろうとも、世界を平和にすることはできません。行動を起こしたあとに待っているのは混とんとした、弱者が生きにくい社会です。
「勇ましい言動」は見ている人の気持ちを高揚させ理想の振る舞いに見えますが、そのあとに待っているのは悲惨な市民生活です。例えば、どこかの国が攻め入ってきたとき、「勇敢に戦え」と絶叫するのはトップの人間ですが、実際に戦場で戦うのは「トップ」に属する上級国民ではなく、市井で暮らしている普通の人たちです。食べ物がなくなったとき、一日一食で辛抱して苦しむのは上級国民ではなく普通の人たちです。
ある国では、「自分の国を再び偉大にする」と訴えている大統領候補がいますが、自分の国だけが「偉大」になっても、今のグローバルな世界ではなんの意味も持ちません。自国だけではなく、世界が豊かにならなければ普通に暮らしている人たちは幸せな生活を送れません。僕には、その候補を支持している人たちはマインドコントロールされ、扇動されているように思えます。
戦争が起こらない社会にするには、単に「戦争反対」と訴えているだけでは実現できません。むずかしいこと、ややこしいことは偉い人に託そうとする人がいますが、それは危険です。偉い人が正しい選択をするとは限らないからです。大切なことは、国民一人一人が戦争を起こさない政治家を選ぶことです。そのためには政治に関心を持ち、一票を大切に生かすことが大切です。
僕がオリンピックを楽しめるのも、日本が平和だからこそです。
じゃ、また。