ネットを見ていますと、「文章をAIに書かせて収入を得る方法」などという記事というか広告を目にすることがあります。つまり、「自分は文章を書かないで収入を得る」ということですが、要は「楽して儲けよう」ということです。しかし、そうは言いましてもやはり、本当にAIが「それなりの文章を作れるのか?」という疑問は湧いてきます。そこで、試してみることにしました。
利用したのはChatGPTで、「米価高騰」というタイトルで1000文字から2000文字くらいのコラムを書いてください」とお願いしました。数秒で出てきた答えが下記の文章です。
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米価高騰――揺れる日本の食卓
ここ最近、スーパーやネット通販で「米」の価格がじわじわと上がっているのに気づいた人も多いだろう。日々の主食であるコメは、日本の家庭にとって最も身近な食材のひとつ。そんなコメの価格が高騰している今、その背景には何があるのか、そして私たちの生活にはどんな影響があるのか、少し立ち止まって考えてみたい。
まず、米価が上昇している一因は、天候不順による不作だ。近年の夏は猛暑と豪雨が繰り返され、稲作にとって理想的な環境が整いにくくなっている。2023年には一部地域で高温障害が発生し、収穫量が減少したうえに品質も低下したことで、流通量に影響が出た。供給が不安定になれば、当然ながら価格は上がる。
加えて、肥料や資材のコスト高騰も大きな要因だ。日本の農業は、肥料や農薬、燃料の多くを海外に依存している。世界的なインフレや輸送コストの増加、円安の進行などが重なり、農家の生産コストはかつてないほど膨らんでいる。結果として、農家が採算を取るためには、販売価格にその分を反映せざるを得ない。
もうひとつ見逃せないのが、農業人口の減少とそれに伴う作付面積の縮小だ。農業従事者の高齢化や後継者不足により、稲作を続ける農家は年々減っている。一方で消費者は、「安くておいしいお米」を当たり前のように求めている。このギャップが市場の不安定さを生み、価格の振れ幅を大きくしているとも言える。
こうした背景の中で、消費者には徐々に変化が表れ始めている。安価な外国産米やブレンド米の需要が高まり、外食産業ではメニュー価格の見直しが進んでいる。また、冷凍米飯やパックご飯など、保存性が高くロスの少ない商品へのシフトも加速している。
一方、コメ農家にとっては、久々の「米価上昇」は喜ばしい面もある。長年、米価の下落や需給調整の影響で経営が厳しかった農家にとって、現在の価格はある種の追い風だ。ただし、それが一時的なものであれば、将来の展望は依然として不透明である。
このように、米価の高騰は単なる数字の上昇にとどまらず、農業、経済、消費行動のすべてにじわじわと波紋を広げている。かつて「米の価格は安定している」と言われた時代は、もはや過去のものとなりつつある。今後も天候や国際情勢次第で価格は変動する可能性が高く、私たちの食卓もまた、その影響を避けることはできない。
「おいしいごはんを当たり前に食べられる」――そんな日常が、実は多くの努力と偶然の積み重ねで成り立っていることを、米価高騰は静かに教えてくれている。
======== ここまで
どうでしょう。そこそこの文章にはなっていますが、一番の問題点は「時間の流れ」です。出だしで「『米』の価格がじわじわと上がっているのに気づいた人も多いだろう」とありますが、「じわじわ」と上がりだしたのは半年前です。どうして、このような少しばかり時期的に古くなった文章になるかと言いますと、おそらく生成AIは「ネット上にある情報」から選りすぐって文章を作成しているからだと思います。
しかし、「少し古い」ことを除くならそれなりの文章にはなっているのではないでしょうか。かと言って及第点かと言いますと、そうとも言えず、「なにか物足りない」、「出汁の入っていないスープ」のような感じは否めません。当たり障りのない上っ面な文章を書くのには長けている印象です。では、人間である僕が書くとこうなります。
コメが高くなってからかなり日にちが経ちますが、我が家のモットーはいかにして「安いコメを買うか」です。ですので、悲しいかなモットーを全うできない日々が続いています。当初は500円くらいの値上がりでしたが、最近はさらにもっと上をいっています。しかも、これだけ高い期間が長くなりますと、ショックの度合いも激しいものがあります。僕の記憶では、これまでで一番安く買えた価格は5キロで1,111円でした。今はどんなに安くても3,500円前後です。エンゲル係数がかなり高くなっています。
常識外れなコメの価格ですが、忘れもしないのは農水大臣が会見で話していた言葉です。「消えた米」発言です。大臣は「生産量はたくさんあるのでどこか流通段階で滞っている」と説明していました。当時はマスコミでも「知らない業者が来て、通常よりも高い価格を提示して買っていた」などと報じられていました。「知らない業者」を農業とは関係のない「IT業者」と説明しているニュースもありました。
ところが、今になって「実は“消えた米”など元々なかった」という説が主流になりつつあります。この説に関しては、以前からキヤノングローバル戦略研究所研究主幹・山下一仁氏が指摘していましたが、それが真実だったことになります。つまり、米不足の本当の理由は「コメの生産量が足りなくなっている」ということになりますが、それはとりもなおさず農業政策の失敗ということになります。農水省はそれを隠すために「消えた米」などと言っていたのです。それが真実かどうかはわかりませんが、少なくともそう思わせる状況であることは間違いありません。
そして最近マスコミから報じられるのは「農家の労働は、自給換算すると10円」というニュースです。しかし、ありもしない「消えた米発言」を聞かされたあとですので、このニュースも「農水省がマスコミに書かせた情報ではないか」と疑いたくなる気持ちもあります。
今回コラムを書くにあたり、農業について調べていく中で「米と飼料を生産する農業法人」の代表徳本修一さんという方のブログにたどり着きました。とてもわかりやすく農家の真の姿が説明されている印象を受けました。そこには農家について「マスコミが報じることと実態の乖離」についても書かれているのですが、マスコミはあまりにも上っ面のことしか伝えていない感じを持ちます。
農業を営んでいる人にもいろいろな人がいて、それぞれ状況によって考え方も違うでしょう。マスコミにはそうしたことまで掘り下げて報じる責任があります。僕が子どもの頃、なにかを買うときは商店街にある商店で買うのが一般的でした。それこそお米はお米屋さんですし、魚は魚屋さん、文具は文房具店、本は本屋さんで買っていました。今ではそれらの店はほとんどが廃業し、大きなスーパーや専門店が営業しています。
1970年代、日本では大きな店舗、すなわちスーパーが誕生しはじめました。今では落ち目になっていますが、ダイエーやヨーカドーといった大型チェーン店が全国に出店していった時代です。これにより影響を受けたのは商店街の小さなお店です。価格も商品の取り揃えも商店街のお店では太刀打ちできないのが実際のところでした。
しかし、政治は弱者を守るためにあります。ですので、そうした小さな店舗を守るために「大規模小売店舗法(以下:大店法)」という法律が生まれました。しかし、世の流れは大きなスーパーを支持するようになっていきました。お客さんの側からしますと、同じ商品が安く買え、いろいろな種類の中から選べ、しかも営業日も営業時間も増えたのです便利このうえありません。お客さんから支持されて当然です。
結局、時代の流れにより大店法はなくなり、商店街は「シャッター通り」へと変貌していきます。これは仕方のないことです。僕の好きな経営学者・ドラッカーさんの言葉に「変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つことだけだ」という箴言があります。個人商店がなくなるのは時代の要請だったのです。無理に個人商店が続けられるような政策をとることは、「無理」であるだけにどこかに歪みが生まれます。
今の農業界を見ていますと、ちょうどその歪みが表面化しているように思います。小規模・零細な農家でも農業が続けられるように無理やりな政策をとるのではなく、希望をもって農業を続けたいと思える人が農業に参入できるような環境にすることが必要ではないでしょうか。今の小規模・零細な農家が、かつての個人商店と重なって見えて仕方ありません。
と、ここまで人間・円山が書いてきました。「出汁」は出ていたでしょうか。
じゃ、また。