<ニュースを見ていないと意味がわからない動画>

pressココロ上




トランプ大統領の迷走が終わる気配がありません。先日、自国民向けの演説を行いましたが、わざわざ「国民向け」と銘打っていたことから、もしかしたら「イラン攻撃の終了」を発表するのではないかとの観測もありました。しかし結局は、これまで同様、自慢話に終始していたように思います。そもそも、トランプ大統領の話す内容が真実かどうかには疑わしい点があります。「イランとの協議が進んでいる」などと発表していても、イラン側からは「そのような事実はない」といった反論があり、いったいどちらが真実なのかわからなくなっています。

最近はフェイクニュースがあふれていて、何が真実なのかわかりにくくなっていますが、最も簡単な方法は「SNSから報じられるニュースを信じない」ことに尽きると僕は思っています。最近は「マスゴミ」などと揶揄されていますが、大手新聞やテレビ局は曲がりなりにもジャーナリズムを標榜しているのですから、あまりに事実とかけ離れたニュースを報じることはないはずです。もちろん、自らの主義主張に基づいて報じるため、多少のずれはあるかもしれません。ですから、国民はいろいろなメディアを比較して真実を見極めればよいのです。こうしたやり方は、SNSが誕生する以前から変わっていません。

最近の若い人はニュースをSNSから入手している人が多いそうですが、そのSNSが個人や特定の団体・組織によって運営されているものであるなら注意が必要です。実は僕は、この「最近の若い人はニュースをSNSから入手している」という話自体の信ぴょう性にも疑問を持っています。これだけスマホが普及している中で、わざわざ「個人や特定の団体・組織」からの情報だけを鵜呑みにするというのが信じられないのです。仮にそうであるなら、その時点ですでに洗脳されていることになります。悪徳宗教に侵された信者と同じです。

ですから、一般の人がフェイクニュースに騙されることも、実際にはそれほど多くないのではないかと思っています。ではなぜフェイクニュースの再生回数が増えているのかというと、それはそもそも「ニュースをあまり見ていないから」だと思っています。僕も今でこそ世の中の出来事に関心があり、ニュースを細かくチェックしていますが、30代まではそうでもありませんでした。

特に20代の頃は、ほとんどニュースを見た記憶がありません。前半は遊びに、後半は子育てに忙しく、そんな時間はありませんでした。それ以前に、「見よう」という気持ちもあまり起きませんでした。おそらく今の時代でも、そういう人はかなりの割合でいるのではないでしょうか。もちろん「ニュースを見ない」理由は「遊び」や「子育て」だけではないはずです。仕事の激務や日々の暮らしに追われている人も多いでしょう。

ニュース関連番組を見ていると、シングルマザーの苦境が伝えられることがあります。そこに登場する方々の生活ぶりを見ると、とてもではありませんが「ニュースを見ている」時間などないように思えます。同じことは「マザー」に限らず「ファザー」にも当てはまります。一人で子育てをしている人は、ゆっくりとニュースを見ることなどできないのが現実です。

今月から自転車のルールが変更になりましたが、大まかな内容は知っていても、細かいところまで理解している人はあまりいないのではないでしょうか。ニュース番組などでは3月末頃から何度も報じられていましたが、きちんと理解している人はほとんどいないのが実情です。こうしたことからも、いかにニュースを細かくチェックしている人が少ないかがわかります。

生活に追われてニュースを見ていない人は仕方ないとしても、単にニュースに関心がない人がいるのも事実です。まさに僕の20代、30代の頃です。このような人たちは、ある意味で心がけの問題でもあります。当時の僕にしても、ニュースに関心が向かなかった理由はいくらでも挙げることができます。しかし突き詰めれば、生活の中で何を重視するかという問題になります。TVerでドラマやバラエティ番組を見るか、ニュースをチェックするかという、ある種の選択の問題です。当時の僕は前者でした。だって、社会にあまり関心がなかったんだも~ん。

僕が最近の出来事でそのように感じたきっかけは、「高市首相・自民党の圧勝」でした。超保守的で積極的な安保政策論者である高市首相の人気が圧倒的に高かったのは、これまでの言動や経歴が十分にチェックされていなかったからではないかと思っています。以前にも書きましたが、「選択的夫婦別氏制度」を求めている女性は多いはずです。しかし高市首相は、それを認めたくない立場の論者です。その高市首相が圧勝したことが不思議でした。

このように書きますと、僕はアンチ自民党だと思われるかもしれませんが、基本的には自民党支持者です。自民党の強みは「左右に幅広く、さまざまな意見の人がいること」だと言われますが、それを象徴するようなニュースがありました。法制審議会の「再審制度の見直し案」に対する自民党議員の対応です。この案については、「検察の不抗告」が禁止されていないなど、「検察に有利な状況が改善されていない」との批判が上がっていました。それを受けて、「再審制度の見直しを求める議員連盟」の中心人物である柴山元文部大臣が問題提起をしていました。僕もまったく同感であり、こうした動きができるのも自民党の強みだと思っています。

しかし、あまりの圧勝には不安も感じ、「野党がんばれ!」と思っていました。流れが一方的になり、振り子が行き過ぎると、僕は警戒感を抱くのです。実際、先の衆院選ではそのような警戒感を抱いていましたが、振り子は戻ることなく、そのまま進んでしまいました。これには野党側の失策も影響しているのでしょう。

トランプ大統領の誕生についても同様の感想を持っています。「もしトラ」という言葉がありますが、これは「もしトランプ大統領が誕生したら大変なことになる」という意味です。それにもかかわらず、トランプ大統領は二度も共和党内で圧勝し、大統領選でも勝利しました。よく言われるように、トランプ大統領の支持者は「ラストベルト帯の白人」や「忘れられた人々」などと称されてきました。その人たちの圧倒的支持によって、「もしトラ」は現実のものとなったのです。トランプ大統領に投票した人たちは、「大変なことになる」というニュースに触れなかったことになります。

トランプ大統領が一期目を終えたあと、「王になりたかった男」という本が出版されました。こうしたタイトルを見ますと、「絶対に二期目はないだろう」と思っていましたが、ニュースに関心のない人たちは再びトランプ大統領を誕生させました。どこの国も同じようです。確かな記憶ではありませんが、1980年代頃、マスコミで「民度」という言葉が頻繁に使われていたことがありました。

これはそれぞれの国の社会の成熟度を表す言葉ですが、僕なりに解釈するなら、民度の高い国では「極端に偏った考えの人物が国のトップに選ばれることはない」ということです。当時、米国は民度が高いと言われていましたので、常軌を逸した人物が大統領に選ばれることはないと思っていました。しかし現在の米国を見ていると、その民度が低下しているようにも見えます。民主主義がうまく機能するのは民度の高さが前提ですが、その前提が崩れれば、民主主義そのものも立ち行かなくなります。

僕は現在、週に2回「ニュースを見ていないと意味がわからない動画」(30秒)を投稿しています。週に1回の時期もありましたが、かれこれ6年ほど続けており、回数も600回を超えました。もちろんあまり視聴されてはいませんが、それでも続けています。理由は、かつての僕に対する不満があるからです。20代、30代の僕への挑戦でもあります。「ニュースを見ていなかった僕」へのあてつけでもあるのです。

へっへっー、かつての僕。おまえ、ニュースなんか興味なかっただろ!ちゃんと見ないと、人類は同じ過ちを繰り返すんだぞー、だ!

じゃ、また。




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