<応援します>

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僕は「note」という投稿サイトを毎日見ているのですが、最近気になっているのが「応援します」とか「サポートします」という見出しが多いことです。「応援」とか「サポート」という言葉からは「人助け」のイメージがありますが、「note」に出てくる「応援」や「サポート」はボランティアのような「人助け」ではなく、サービスを受けてくれる人を探すための「営業手法」の一つとなっています。

「便利屋」という仕事がありますが、便利屋さんは生活上の困りごとを解決するのが仕事です。水道が壊れたら修理を依頼するのと同じですので報酬が発生しても違和感はありません。しかし、「応援」とか「サポート」という言葉には、すべてとはいいませんが、無報酬の雰囲気が漂います。報酬を求めるのであれば、「応援」や「サポート」という言葉は似つかわしくありません。

「応援」や「サポート」にはサービスを提供する側のほうが上の立場になる要素が入ってきます。今ふうの言い方をしますと「マウント」でしょうか。「マウント」をとりやすい関係を構築しようという意図が感じられます。簡単にいいますと「上下関係」ですが、普通はサービスを受ける側が「上」で提供する側が「下」です。「受ける側」がお金を支払いますのでそうした関係になるのですが、わかりやすい例でいいますと、マッサージを受けるケースです。マッサージを受ける際は、マッサージを受ける側が「上」でマッサージをする側が「下」です。「お客様は神様」は少しずつ変わりつつありますが、基本的な概念が変わることはありません。「お客様」のほうが必ず上です。

しかし、場合によっては立場が逆転している場合もあります。本来なら「上」になる「お金を支払う側」でありながら、マウントをとられる側になることもあります。例えば「アイドル」と「ファン」の関係です。数年前から「推し」などという言葉が使われますが、「推し」のために多額のお金を使うファンはたくさんいます。お金を支払う側と受け取る側の関係では、本来は支払う側が上の立ち位置ですが、「ファン」と「推し」の関係ではお金をもらう「推し」のほうが断然上です。

悪質な例では「ホスト」と「女性客」の関係です。はじまりでは「ホスト」が「下」で「女性客」が「上」の関係ですが、次第に上下関係が逆転していきます。お金を払う「女性客」が「ホスト」の巧みな会話に惑わされ、完璧にマインドコントロールされていきます。ニュースなどを見ていますと、最悪の場合は借金を作らされ売春まで強要されることもあるようです。

どんな業種でもそうですが、お客を相手にする仕事で最も大切なことは、お客と自分の関係を単純な上下関係にしないことです。先ほどの「ホスト」の例のように言葉巧みに信頼関係を築き上下関係をフラットにし、さらに関係を逆転できれば大成功です。

「note」の投稿者には文章で「一旗揚げたい」とか「生計を立てたい」と考えている人が多くいます。そうした人たちに「文章の書き方」や「出版のやり方」を指南することを仕事にしている業者にとってはもってこいの場です。昔から「釣りは魚のいるところでやれ」というビジネス格言がありますが、文章作成の指南を仕事としている業者にとっては「note」はまさに魚の宝庫です。

そうした状況で業者にとって最も重要なことは、魚に「自分を魚」と思わせないことです。そこで「応援します」とか「サポートします」が重要になってきます。「自分を魚」と思わせないために「餌」の代わりに「応援」や「サポート」を見せます。魚に「応援」や「サポート」は必要ありませんので、「自分を魚」とは思いません。警戒心を解くには最良の言葉です。

エッセイを書いていて困ることはネタが尽きることです。前にも書きましたが、普通に暮らしていていつもいつもネタになるような面白いことが起きるわけではありません。僕はほかの人の「note」を見ていて、「ネタに困っているな」と思うことが度々あります。毎回次のネタを見つけられた人だけが投稿を続けることができます。

僕が好んで読んでいたエッセイを書く方は大手出版社から出版することができたのですが、このような方は稀です。とても面白い文章を書く方で才能があふれていることが伝わってきましたが、最近ではネタに困っている印象があります。またある方は家族をネタにすることで多くの読者を掴んでいます。しかし、家族をネタにすることには問題がなくもありません。ネタにされた当人に自覚と覚悟ができていればいいのですが、その自覚がない場合は将来困難に陥る可能性があります。

今から40年くらい前、「積木くずし」という本がベストセラーになりました。この本は青春ドラマなどで名わき役と言われていた俳優さんが「非行に走った娘さんを更生させるまで」を描いたノンフィクション作品でした。その後教育評論家という肩書を名乗るまでになったのですが、その後の現実は「更生」どころかさらに非行に走っていきました。理由は、娘さんがあまりに有名になったことで生きづらくなったからです。有名になることは承認欲求を満足させることでもありますが、代償としては生きづらさがあります。家族をネタにしたエッセイにはそのリスクが伴っています。

「note」に投稿していますと、中には編集者を名乗る方から連絡をもらうこともあるそうです。僕にはそういった連絡はまったくきませんが、才能がないことを自覚していますのでなんの問題もありません。先日読んだ記事に「編集者から連絡がきた」体験談が書かれていました。

これまでにも書いていますが、僕も30年くらい前に編集者を名乗る方から連絡をもらったことがあります。「自分が読んだ原稿の中で一番面白かった」とまで言ってもらえたのですが、その後の展開は「自費出版のすすめ」でした。僕がこれまでいろいろと見聞きしてきた経験からしますと「自費出版」に対してはあまりいい感じを持っていません。出版に憧れている人の助平心をくすぐることで売上げを作ろうとしているように映っています。

そのように思うようになったきっかけは、自費出版企業に勤めていた方の暴露記事を読んだことです。今ではもうネットで見つけることができませんが、その方が「自費出版の闇」として事細かに解説し警笛を鳴らしていました。先日読んだ記事の展開はまさに自費出版会社の常套セールストークでした。本人もいろいろな方に相談した結果、断ったそうですが、大正解です。本人は未練がありそうでしたが、本当に「売れる」とか「価値がある」と思ったのなら、出版社が費用を出します。騙されなくてよかった、と安堵しました。

「応援します」や「サポートします」は自費出版の営業セールストークとは少しばかり趣が異なった印象を与えます。営業トークは「褒める」のが基本ですが、「応援」や「サポート」は「教えます」が基本です。つまり、「出来栄えがよくない」ことが前提なのですが、そこがミソで、そうすることで上下関係の逆転を図っています。本来はお金を支払う側が「上」ですが、受け取る側が自然に「上」になるような仕組みになっています。

学校や塾では先生と生徒では先生のほう「上」の立場です。普通の商慣習で考えますと、生徒の側がお金を支払っているのですから「お客」の側で「上」となります。ですが、教室という現場では、年齢や社会経験から自然に先生が「上」で生徒が「下」となります。生徒が先生に意見を言ったり歯向かったりできるはずがありません。

「応援します」や「サポートします」も同様の関係になります。先生の側に立つ人間がいい人であるなら問題ありませんが、そうでない場合はホストのお客と同じになります。マインドコントロールをされて先生の思うがままになってしまいます。

「応援します」には注意をしましょう。

じゃ、また、来年。バイナラ。




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