<仕事人の責任>

pressココロ上




余程の資産家の元に生まれたのでなければ大人になった人は働かなければ生きていきません。その意味で言いますと、仕事は生きていくための手段ですが、少し考え方を変えるだけで単なる「生きるための手段から人間性を高める修練」にもなります。僕が20代の頃に読んで「なるほど!」と合点したお話です。

実は自己啓発関連の本をたくさん読むようになってから知ったのですが、このお話にはいろいろなパターンがあるようです。僕が読んだのは40年くらい前ですのでどの本から読んだのか忘れてしまいましたが、大元のお話はイソップ童話と思われます。大まかな内容は次のようなお話です。

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「3人のレンガ職人」の話

旅人が道を歩いていると、レンガを積んでいる3人の職人に出会い、「ここで何をしているのですか?」と尋ねます。
1人目は「レンガを積んでいるのさ」と答え、辛くて不公平だと考えていました。
2人目は「大きな壁を作っているのさ」と答え、家族を養うために仕事があることに感謝していました。
3人目は「歴史に残る偉大な教会を作っているのさ」と答え、教会の完成をイメージし、そこに訪れる人々の幸せまで考えていました。

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僕が読んだ本に登場したのは「旅人」ではなく「小学生」で、「レンガ」ではなく「ブロック」で、作っていたのは「教会」ではなく通学する「子どもたちを車から守るための塀」でした。こうした違いはありますが、このお話が伝えたいことは「仕事は意識の持ち方で単なる作業をやりがいのあるものにできる」ということです。20代の僕はとても感激したことを覚えています。

前回、児童相談所で働いている人たちは「もっと前向きに仕事に取り組んでほしい」と書きましたが、先週は同じようなことがマスコミの世界でも起きていることを感じました。

官邸は平日の午前と午後に各1回記者会見を開きます。ニュースなどで菅官房長官が国旗に一礼をしてから登壇して話す映像を見たことがあると思います。あの会見は政府が国民に伝えたいことや反対にメディアが政府に対して知りたいことを質問などをするための場です。

しかし、会見場は誰でもが入れるわけではありません。記者クラブという組織に加入している人だけが会見に参加できます。そして記者クラブの構成員はほとんどが大手メディアに限られていますのでそれ以外のマスコミは排除されています。つまり、記者クラブに加入している記者だけが菅官房長官に質問できることになります。

最近は記者クラブのこうした排他性が問題視されるようになり少しずつオープン化されているそうですが、菅官房長官の目の前に陣取っているのは大手メディアの記者です。そうした中、先週東京新聞の女性記者が沖縄の基地問題に関して菅官房長官に質問をしました。しかし、会見を仕切る官僚が質問をやめるようしきりに発言を繰り返していました。

僕からしますと「政権に都合の悪い質問を遮っている」という印象です。この女性記者は以前にも加計学園問題で菅官房長官が答えに窮するような質問をしていたのですが、今回も官房長官は冷たい表情をしていました。その表情を見て取ったかのような官僚の「質問をやめてください」発言でした。まさしく忖度と言えるものです。

今回はさらに追い打ちをかけるように「事実誤認の質問をしないように」という文書まで配布しています。女性記者の質問内容が「事実誤認」と言っているのですが、官邸のこうした動きに対して新聞労連が抗議声明を発表しています。ですが、僕が問題に感じるのは文書を配布したことではなく、「記者クラブ」が抗議をしていないことです。

実は、この女性記者は政治部の記者ではありません。東京新聞の社会部の記者です。おそらくあの会見場のほとんどの記者は政治部の記者です。ですから、ほかの新聞社からしますとこの女性記者は異端児ということになります。よそ者が自分たちの縄張りにズカズカ入ってきて好き放題な振る舞いをしていると映っているのです。そうでなければ、質問する記者に対して打ち切るような発言を続ける異様な光景をそのままにしておくはずがありません。

以前、この女性記者がラジオ番組に出演していたのですが、自分がよそ者と思われていることもも自覚していますし、所属する東京新聞の政治部の部長にも了解をとっていると話していました。こうなりますと、東京新聞とほかの大手の新聞との戦いともとれます。東京新聞はローカル新聞ですので大手3社からしますと中小企業です。見方によっては中小の大手への対抗心と取ることもできます。

それはともかく、官邸が開く会見は国民の知る権利を実現する機会の場です。その機会を大手メディアだけで独占しようとするのは一般的感覚からしますと違和感があります。記者クラブに加入している大手メディア記者の方々はそのようには感じないのでしょうか。

レンガを積んでいた職人さんたちで最もやりがいを感じていたのは、単にレンガを積んでいた職人ではなくレンガを積む目的をしっかりと理解して作業をしていた職人です。新聞記者の方々もなんのために記事を書いているのかを考えるなら記者クラブという排他的な組織が国民の知る権利を妨げていることに気づくべきです。

もう10年くらい前にお亡くなりになりましたが、筑紫哲也さんというジャーナリストがいました。筑紫さんは常々記者クラブ制度の弊害を訴えていましたが、あれから10年経ってもなにも変わっていないのが不思議でなりません。テレビなどで活躍しているジャーナリストの方々は全員と言っていいほど記者クラブ制度を批判しています。それでも続いています。

新聞のジャーナリストは旧態依然とした発想から抜け切れていないようです。近年、新聞の販売部数の減少が言われていますが、その原因は新聞社自身にあることに気づくことが第一歩です。

じゃ、また。







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