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先週は僕からしますととても興味深い記事がありました。それは出版業界における事件ですが、舞台となったのは幻冬舎という出版社です。ご存知の方も多いでしょうが、幻冬舎は角川で編集者をしていた見城徹氏が独立をして起業した出版社です。

あとから知ったことですが、当時見城氏は編集者としてすでに「やり手」だったようでいろいろな著名人と仕事をしています。僕が初めて見城氏を知ったのは「編集者という病」を読んでからですが、この本の内容はほぼ故・尾崎豊さんで埋められています。尾崎さん以外にも、作家の村上龍さんとテニス漬けの生活を送っていたようすなどをなにかで読んだことがあります。

歌手の郷ひろみさんが「ダディ」というベストセラーを出したときも初版が50万部という常識外れの部数で注目されましたが、見城氏は著名人とのつながりが尋常ではありません。見城氏が独立したときは元都知事の石原慎太郎氏が「いつでも本を書くよ」とお祝いを述べたのは有名な話です。いったい「いつ寝てるの?」というくらいの友人関係の多さです。

昨年あたりから箕輪厚介さんという編集者が注目されています。ベストセラーを連発しているからですが、「死ぬこと以外かすり傷」という自らの本もベストセラーになっています。元々は、新卒で双葉社に入社したのですが、のちに生き方が似ている社長がいる幻冬舎に転職しています。箕輪さんもホリエモン氏など著名人との関係が多いですが、箕輪さんは見城氏とほぼ同じ道を歩んでいるように見えます。

それはともかく、先週幻冬舎で起きた事件は、作家の津原泰水さんという方が「幻冬舎のベストセラー『日本国紀』を批判したことで、幻冬舎から刊行予定だった文庫本の出版が中止になった」とツイッターで告発したのが端緒です。

これに対して、社長である見城氏自らが「津原さんの単行本の部数を晒して、文庫本が売れそうにないから」と反論しました。すると今度は見城氏の「作家の実売部数を晒した行為」に対してほかの作家の方々が非難の声を上げました。その後、見城氏が自らの過ちを謝罪して現在に至っています。

作家の方々が見城氏を批判したのは「作家へのリスペクトはないのか」という思いがあったからです。あまり売れていない作家からしますと実売数を世の中に晒されるのは気持ちいいものではないはずです。もしかしたなら見城氏の本音がつい出てしまったのかもしれません。

出版社および編集者は作家の生殺与奪権を握っていますので、強い立場にいるのは間違いありません。これは出版界の構造上仕方のないことです。こうした状況をなんとか打開しようと活動しているのが、たびたびコラムで取り上げています漫画家の佐藤秀峰さんです。

スマップが解散することになったきっかけは事務所からの独立問題でした。素人の男の子を売れるタレントにするのは芸能事務所の力量にかかっています。タレントが売れるためにはもちろん個人の努力や才能も必要ですが、「仕掛け」も重要です。ときには「仕掛け」のほうが大きな要因の場合もあります。ジャニーズはその「仕掛け」をうまく生み出し活用してきた事務所です。そうであるからこそスマップの独立は物議を醸したのです。

同じように出版界においても売れる作家になるには、個人の努力や才能も必要ですがときには出版社や編集者の力量も大きな要因です。芸能界ほどではありませんが、「仕掛け」も重要です。佐藤秀峰さんは出版社を通さずに漫画を販売するシステムを構築していますが、出版社から販売するメリットがあるのも事実です。

ですが、出版社のチャンネルは数が限られていますので、出版社および編集者に全面的に寄りかかってしまいますと、生殺与奪権を完璧に握られてしまうことになります。ここが漫画家や作家の方々にとって悩ましいところです。

佐藤さんが投稿している記事を読んでいますと、編集者という立場の方は作家を自分より下に見ているように感じます。ある投稿サイトで現役編集者の記事をたまに読みますが、編集者が一般の人が書く文章をいかに見下しているのが赤裸々に伝わってきます。確かに、プロに達していない人の文章力は低いでしょうが、まだ両者の関係性が決まっていない段階で見下している姿はあまり気持ちのいいものではありません。

先週は就活生が「内定辞退をするときの手続き」について記事がありました。僕は昭和の人間ですので、内定を辞退する際は「きちんと出向いて辞退を伝える」のが礼儀だと思っていました。しかし、企業が不採用のときに「メールもしくは通達」で伝えるのすから、「学生側が辞退するときも同じでいいのではないか」という意見もありました。

なるほど!と思ったのですが、就職活動が「企業が学生を選ぶ手続き」であると同時に「学生が企業を選ぶ手続き」でもあります。このように考えますと、先の意見は一理あります。そして、時間が経つに従って、「一理」どころか正論のように思えてきました。私はまだまだ昭和の発想を引きずったままのようです。

人間関係において「マウント」という言葉が使われることがありますが、二人の関係性において「どちらが上の立場をとるか」を示す行為です。なぜマウントにこだわるかと言いますと、上に立ったほうが有利な立場になるからです。ですが、上下関係にこだわる人と心の底から信頼できる関係が築けるはずがありません。その意味でマウントにこだわる人とは一緒に仕事はしたくないものです。

今回の幻冬舎の騒動は作家と出版社および編集者の関係が変わりつつあることを示しているのかもしれません。その背景にはSNSという個人でも情報を発信できるツールが普及したことがあります。かつては個人が出版社という大企業に対抗することなどできませんでしたが、SNSの発達で可能になりました。

「本が売れなくなった」と言われて久しいですが、出版業界は自らの存在意義を考えなおす時代に入ってきています。また、作家のほうも出版社におんぶにだっこの時代は終わりを告げつつあることを覚悟する時代になっています。今回の騒動はそんなことを白日の下に晒す結果になったように思います。

じゃ、また。




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