<再建屋>

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僕は30歳のときに脱サラをしましたが、今振り返ると「かなり安易な気持ちで決行した」と反省しています。当時はもちろん真剣に考えて出した結論でしたが、人生経験の浅い若造が出す答えなど、たかが知れています。そんな中での脱サラでしたから、やはり「軽率だった」と言わざるを得ません。

当時から「脱サラ」や「独立」を勧める本はすでに数多く出版されていましたが、そうした本に共通していたのは、「独立に至るまでの苦労話」です。こうした話は読者に受けやすく、「独立」関連の本には必ずといっていいほど書かれていました。たとえば、「本業のあとにバイトをして夜中まで働き、資金を作った」といった話です。こうした“根性もの”が好まれた時代背景も関係していたのでしょう。

僕と同年代で、脱サラして成功した人物としてメディアに頻繁に登場していたのが、居酒屋チェーン「ワタミ」の創業者・渡邉美樹氏です。よく知られているように、渡邉氏は当時、「タコ部屋」と揶揄されるほど労働環境が過酷だった大手配送業者で必死に働き、独立資金を貯めていました。その渡邉氏の著書は、当時の書店のビジネス書コーナーに数多く並んでいたのを記憶しています。

渡邉氏で印象に残っているのは、ある深夜のトーク番組で語っていた「自分の人生設計図をノートに書いている」というエピソードです。年代ごとにやるべきことを定め、それに向かって努力を重ねていくというものでした。

記憶はやや曖昧ですが、たしか経営者として成功した後に「政治家になる」といった目標も語っていたと思います。実際、その後自民党から出馬して政治家になりましたが、1期で政界を退いています。政界進出までは設計図どおりだったのでしょうが、実際の政治の世界は渡邉氏の想定とは異なるものだったのかもしれません。

この話に関連して、もう一人思い出すのが、同じく起業家から政界に転身した松田公太氏です。松田氏はタリーズコーヒーの日本法人を創業した人物です。僕が松田氏に関心を持ったきっかけは実に単純で、書店でたまたま目にした彼の写真が表紙の本でした。平台に積まれていたその本のカバー写真に強く惹かれたのです。写真からは、「これから頑張るぞ!」という純粋な気持ちが伝わってきて、非常に好感を持ちました。写真家のセンスが素晴らしかったのでしょう。

結局、松田氏も渡邉氏と同じく、1期で政界から退いています。お二人の姿を見ていると、政治の世界は経営とはまったく異なる「別世界」なのだと感じさせられます。そして、彼らがその道を「続けなかった」ことに注目したいのです。実は、「独立」についても、最も難しいのは「続けること」だと僕は考えています。

冒頭で、「独立までの過程が一つの感動物語として語られる」と書きましたが、本当の感動はその先にあります。なぜなら、独立に至るまでの苦労や努力よりも、独立後に待ち構えている現実の方が、はるかに厳しく、そしてドラマチックだからです。

渡邉氏にしても松田氏にしても、本当に人の心を打つのは、独立後のストーリーの方です。想像を超える困難が待っており、それにどう立ち向かうかが問われます。そのことを理解しているかどうかで、心構えは大きく変わってくるのです。「独立できた」というだけで浮かれていては、すぐに廃業に追い込まれます。

僕の体験談にも書きましたが、僕と同時期に開業した知人は、わずか3ヶ月で廃業してしまいました。もちろん、その方も開業までには多くの努力と苦労を重ねていました。しかし、それにもかかわらず、あっけなく3ヶ月で店をたたむことになったのです。それだけ「独立を続けること」は難しいのだと痛感しました。

僕はラーメン店を経営していた当時、ビジネス書をよく読んでいました。その中で特に印象に残っているのが、「再建屋」と呼ばれる人たちに関する記事です。「再建屋」という呼び方には、どこかいかがわしい響きがあるようにも感じられますが、当時のマスコミではよく使われていた表現です。「屋」がつこうがつくまいが、要するに倒産寸前の企業を立て直す経営者、企業再生を担う人物のことです。続けられなくなった企業を再生させるのですから、優れた実力を持つ経営者であることは間違いありません。

当時の経済誌などでよく登場していた著名な人物として、筆頭に挙げられるのが土光敏夫氏でしょう。中曽根政権時代に第二臨調の会長を務め、「メザシの土光さん」として質素な生活ぶりでも知られていましたが、もともとは名経営者として、石川島播磨重工業や東芝の再建で有名になった方です。

そのほかにも、来島造船を立て直した坪内寿夫氏や、興人など数多くの企業を再建した早川種三氏がいます。特に早川氏は「再建の神様」とまで呼ばれていました。ただ、その後さまざまな記事や書籍を読む中で、「神様」という表現には疑問を投げかける解説にも出会いました。

「神様ではない」とする理由として挙げられていたのが、「再建できる環境がすでに整っていたから」という点です。たとえば、借金が棒引きされていたり、公的資金が投入されていたりと、再建を可能にする条件があらかじめ用意されていたというのです。確かに、倒産寸前というのは赤字で借金が返せない状態ですが、それらをすべて帳消しにした状態からの再建であれば、「成功して当然」とする見方も一理あります。もちろん、それほど単純ではないでしょうが、説得力のある指摘ではありました。

そうした記事を読みますと、「再建屋」という言葉の輝きも少し色あせて見えることがあります。現在、日産自動車は再び厳しい状況にありますが、今から約25年前にも倒産寸前に陥ったことがありました。そのとき、フランスからカルロス・ゴーン氏がやってきて、見事な「V字回復」を成し遂げました。記憶に残っている方も多いでしょうが、そのゴーン氏は5年前に特別背任の容疑で逮捕され、現在はレバノンに逃亡しています。一時は「再建請負人」ともてはやされましたが、結果としては「再建を完遂できなかった」ことになります。「続けること」がいかに難しいかを改めて痛感させられます。

現在ではコンサルタント会社がもてはやされていますが、コンサルタントの仕事はあくまで助言です。最終的な責任を負うことはありません。その意味では評論家と似たような立ち位置です。一方で、経営者は結果責任を負う立場にあります。どんな言い訳も通用しない、それが経営という仕事の厳しさです。

「再建屋」は倒産寸前の企業を立て直す人たちですが、僕が抱く疑問は、「いつまで続けるのか?」という点です。冒頭で触れた早川種三氏などは、非常に多くの企業の再建に関わっていますが、その“数の多さ”にこそ違和感を覚えるのです。それだけ多くの企業に関わるということは、1社ごとの関与期間が短いことになります。仮にA社を再建し、すぐにB社の再建に取りかかったとします。その後、A社が再び業績悪化に陥った場合、果たしてA社は「再建された」と言えるのでしょうか? 僕にはそれが疑問なのです。

これまで書いてきたように、経営の難しさは「続けること」にあります。短期間であれば、ある程度誰でも経営はできるものです。もちろん「誰でも」というのは言い過ぎかもしれませんが、よほど問題のある経営者でなければ、短期的な再建は可能です。本当に「再建できた」と認められるには、少なくとも10年は経過を見守る必要があるのではないでしょうか。

10年経っても業績が安定して初めて、その人は「再建屋」と呼ばれるべきです。業績が少し好転したくらいで、2~3年で現場を離れてしまうのは、僕には“逃げ”のように映ります。本当にその手法が正しかったかどうかを判断できるのは、10年後だと思うのです。にもかかわらず、短期間の業績回復で「名経営者」ともてはやされている現状には、どうしても納得がいきません。

だって、僕なんて、妻と40年以上、なんとか折り合いをつけながら続けていながら、「名夫」とは言われないんですから。

じゃ、また。

校正:ChatGPT




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