<スクープ>

pressココロ上




僕はこのコラムを毎週日曜の午前から午後にかけて書いています。そのため、その時点では石破首相の辞任について触れることができませんでした。ですので、もう古くなった感がありますが、石破首相の辞任について書きたいと思います。

基本的に僕は石破首相を支持していました。これまでの「大きな派閥が自民党を牛耳っていた時代」に孤軍奮闘して「正論を述べている」と感じていたからです。僕の考えに異論を持つ人は多いでしょうが、そもそも僕自身の考え自体が少数派であることが多いので、その意味でも石破首相の言動には共感していました。

その石破首相が辞任に追い込まれました。僕のような石破支持派からしますと、まだ1年も経っていないのに辞任を迫る勢力には疑問を感じざるを得ません。辞任を迫る人たちの大半は「選挙で3連敗したから」と理由づけていますが、それは石破さんが首相だったからではなく、それまでの「自民党に問題があったから」です。僕に言わせれば、石破首相の足を引っ張っていた人たちのせいで「選挙で3連敗」したのに、その人たちが辞任を迫っているように見えます。

だからこそ「石破やめるな!」のデモが起きたのだと思っています。僕はそのニュースを見て「へぇ、僕と同じ発想の人がいるんだ」とうれしく思いました。しかしその後、「総裁選前倒し」を求めるデモもあり、結局は辞任を選択しました。僕としては、「総裁選前倒し」デモは仕組まれたものだと思っていますが…。

石破首相は、最終的に辞任を選択した理由は「党内の分断を避けるため」だと語っていました。しかし僕の内心では、「いっそのこと分断したほうがよいのではないか」と思う気持ちもありました。いくら石破首相が「正論」を述べても、党内の大勢が考えを異にしていたからです。辞任会見で語った「党内において、大きな勢力を持っているわけではございません」という言葉に尽きるように思います。

こうして新しい総裁選挙が始まることになりましたが、今のところ正式に出馬を発表しているのは茂木さんだけです。そのほかに小林孝之さんや高市早苗さん、林芳正さん、小泉進次郎さんの名前が取り沙汰されていますが、現時点(14日午前)では「意向を固めている」「出馬の準備を進めている」「決意を表明した」といった表現にとどまっています。つまり確定ではないのですが、この「曖昧な段階での報道の仕方」が、石破首相辞任をめぐっても問題になりました。

それは今から約2か月前の7月23日の報道です。読売新聞が「号外」まで出して、「石破首相辞任」と発表したようです。「ようです」と書いたのは、当時の僕がそのことに強い認識を持っていなかったからです。後から知ったのですが、毎日新聞も同様の報道をしていたようです。実は、僕が僕に対して驚いたのはそうした報道に「気づいていなかった」ことです。号外が出た時点では明らかに誤報だったのですが、そのことに対して強く意識していませんでした。

僕は毎日ニュースチェックをしています。「ヤフトピ」から「NHKニュースのウェブ版」、週刊誌系や経済系のウェブニュース、夜はテレビのニュース番組まで、普通の社会人よりは多くのニュースを追っていると思います。現役で働いている人にはそこまでの時間はなく、現実的に不可能でしょう。

1日は24時間しかありません。出勤から帰宅まで14時間~15時間を要する人も多く、帰宅後も家事や子育て、独身の方なら趣味の時間も必要です。睡眠時間を考えれば、ニュースチェックに使えるのは1時間程度が限界でしょう。それに比べれば、第一線を退いた僕のような立場だからこそできるニュースの追い方です。

その恵まれた状況にありながら、僕は「読売新聞の誤報」に強い関心を持っていませんでした。本来なら絶対にあってはならない大手メディアの誤報です。僕が気づかなかったのは、読み飛ばしたり聞き漏らしたりしたせいかもしれません。つまり、僕側のミスということになりますが、大手メディア自体がその「誤報」を大きく報じていなかったことも大きな要因ではないかと思います。

いずれにしても、僕がその「誤報」の重大さを認識したのはつい先日のことです。読売新聞が「誤報を検証する記事を掲載した」と報じられたのを見たときでした。その記事には、読売の謝罪文が「謝罪になっていない」と批判的に書かれていましたが、僕から見ても「責任逃れ」のように感じました。

誤報が起きた最大の要因は「どこよりも早く報じる」ことを最優先にしているからです。その対極にある言葉が「特落ち(とくおち)」です。他紙が報じているのに自社だけ報じていないのは、記者にとって最大の恥とされます。つまり「特落ち」の対極にあるのが「どこよりも早く報じる」ことで、それが行き過ぎると今回のような誤報につながります。

読売新聞の謝罪記事を僕なりに解釈しますと、「石破首相は心の中で辞任を決めていたのに、後で心変わりした」という話に聞こえます。「どこよりも早く」が裏目に出たのですが、そもそも他人である記者が首相の心の中まで分かるはずがありません。まるで記者が首相の心を決めているかのようです。

僕がニュース番組で評論家を見ていて不快に感じるのは、「政治家と親しそうに振る舞う」言動です。例えば「〇〇さんに電話をしたときに…」と、いかにも政治家とツーツーで連絡できる間柄だとアピールする人がいます。しかし要職にある政治家がテレビに出る評論家と頻繁に連絡を取る暇などあるでしょうか。偉い人と気軽に連絡できることを吹聴して評価を高めようとしているのでしょうが、視聴者で信じている人がどれほどいるのでしょう。

これまで述べたように、メディアが「どこよりも早く」を狙うのは意味がありません。うろ覚えですが、ジャーナリストの筑紫哲也さんがそう語っていたと記憶しています。実に的を射た言葉です。いずれ発表されることを「どこよりも早く」報道して何の意味があるのでしょう。なかにはそれを「スクープ」と勘違いしている記者やメディアもありますが、今回の読売新聞の誤報はまさにその典型です。

それに関連して僕が不思議に思うのは、「どこよりも早く」を掲げながら「記者クラブ制度」を維持していることです。これも筑紫さんの受け売りですが、「記者クラブ制度」は記者としての本来の役割を放棄するものです。記者クラブとは「官庁・自治体・政党などに設けられた報道機関の記者組織」で、会見や資料配布などを効率的にする仕組みです。

メディア側からすれば手軽に情報を得られますが、裏を返せば官庁や政党の発表をそのまま報じるための仕組みでもあります。僕が「記者クラブ制度は記者の役割放棄」と言うのは、自分の足で取材せず、発表を疑わずに伝えるだけだからです。

筑紫さんがこの制度の弊害を訴えていたのを聞いたのは30年ほど前です。つまり30年間、メディアは変わっていないことになります。そして今回の読売新聞の誤報につながったように思えてなりません。

スクープとは、「報じられなければ人々の目に触れることなく、やがて歴史の闇に埋もれてしまう事実を、丁寧に、そして粘り強く掘り起こし、世に伝える営み」です。素晴らしい説明ですが、これはChatGPTの受け売りです。いつか記者の皆さんは、ChatGPTに取って代わられるかもしれません。

じゃ、また。




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