なんやかんや言いながら、自民党総裁に石破茂氏が選出されました。僕的には、最良の選択だったと思っています。なんと言っても一番の理由は安定感です。候補者同士の討論では、ほかの議員に比べ、特に若手の小泉氏や小林氏と比較すると一枚も二枚も上手だったように感じました。おそらく自民党の議員の方々も同感の人が多かったことが決選投票での大逆転につながったのではないでしょうか。
石破氏は「党内野党」と揶揄されるほど、「現実論」よりも「筋論」を通す人ですが、それがほかの方々に反感を抱かせていたことは容易に想像がつきます。決選投票前の弁論で「ほかの人を傷つけてきた」と反省の弁を述べていましたが、党内野党としての意見を発してきたのですから、そういう言動になるのも当然でした。しかし、外部の僕から見ていますと、石破氏の考えが最も一般社会の感覚に近いように思えるのですが、自民党の中では反発する人も多いでしょう。
それが高市氏との差が「21票」しかなかったことにあらわれています。それにしても政界に素人の僕としては、高市氏が決選投票に残るとは思ってもいませんでした。高市氏が頭角を現したのは故安倍氏の後押しがあったからこそと思っていましたので、その安倍氏亡きあとは存在感が薄くなると思っていたからです。しかし、よくよく考えてみますと保守派の人たちが一票を託せる候補者は高市氏しかいないのが実情でした。
高市氏は決選投票で194票を獲得しましたが、簡単に言ってしまいますとこれらの人たちは石破氏に反感を抱いている人たちです。石破氏はこうした人たちとも意見を擦り合わせて党内を統一する必要があります。そうでなければ党を運営することはできず、それはとりもなおさず政権運営にも支障をきたすことになります。
先ほど、石破氏を「最も一般庶民の感覚に近い考え」の持ち主と書きましたが、政界に長い間いますと、政界独特の考えに染まるのが普通のようです。一般社会の人の感覚ですと、いわゆる「裏金」はどう考えてもルール違反ですが、自民党安倍派や二階派の人たちは感覚が麻痺してしまっていました。中には「麻痺」どころか正当性を持たせようと画策する議員もいましたが、それ自体が一般社会の感覚とズれています。自民党の一番の問題はこの一般社会とはズれたこの感覚にあります。しかし、世の中には一般社会とはかけ離れた感覚がまかり取っていることがままあります。
先週、静岡地裁で袴田事件に無罪判決が言い渡されました。ご存知の方も多いでしょうが、簡単に説明しますと「1966年6月に静岡県清水市(当時)の味噌製造販売会社専務宅で一家4名が殺害された」事件です。その犯人として袴田巌さんが逮捕され、1968年に死刑判決を受け、1980年に確定しています。
袴田事件は2度の再審請求がなされ、今回ようやっと無罪判決となったわけですが、思いかえしてみますと、この40年間「よくも執行されなかった」という思いが沸き起こってきます。僕は司法制度に詳しいわけでも特に関心があるわけでもありませんが、「死刑」の恐ろしさは「これ(冤罪)があるから」と思っています。
実は、今回総裁選挙に立候補した上川外務大臣は法務大臣就任時に、最も多く死刑を執行した大臣だそうです。たまたま僕が読んでいる月刊誌の対談で語られていたのですが、そのときの印象では「確たる信念」を持っているようで、どちらかと言いますと肯定的に受け止めていました。
ちなみに、死刑執行は法務大臣が決定権を持っているそうで、上川大臣が執行するまで9人の法務大臣が就いていたそうですが、誰も執行しなかったそうです。やはり、人の命を奪う決定を自らが下すのは躊躇して当然です。そうであるだけに、僕は上川氏を「信念がある」と思っていたのですが、今回の袴田事件のような報道がありますと、少しばかり評価が変わってきてしまいます。
今回無罪判決が下されるにあたり、テレビで取り調べ時の録音が放送されていました。その音声を聴いていますと、僕のような一般の感覚では、どう考えても「自白」ではなく「脅迫」です。「脅迫」どころが拷問とさえ思える取り調べでしたが、無理やり自白させている様子が頭の中に映像として浮かんできました。これでよく「有罪」にしたものだと思わずにはいられません。NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わってしまいましたが、このドラマのテーマである「人権」がまったく無視された警察であり検察と言わざるを得ません。
冤罪と聞いて僕が真っ先に思い浮かぶのは通称「村木事件」です。検察が証拠を捏造までして厚生労働省の官僚を逮捕した事件ですが、本来なら正義であるはずの検察が悪事を働いていた事件でした。つい最近でも「大川原化工機事件」という冤罪事件がありました。この事件でも、証言者の弁によりますと「検察官の出世欲」で無理やり犯罪の濡れ衣を着せられたのですが、この事件では逮捕された関係者が亡くなるといういたたまれないことも起きています。
僕が冤罪に関心を持ったのは「それでもボクはやってない」という映画を作った周防正行監督の記事を読んでからです。この映画は2007年に公開されたものですが、それまで僕はあまり冤罪について詳しくは知りませんでした。警察や検察は「間違わない」し、「悪い輩を捕まえる」機関としか思っていませんでした。この映画では痴漢を疑われた容疑者が犯罪者にされていく過程を描いているのですが、周防監督はこの映画をきっかけに冤罪について情報を発信しています。
袴田事件に関しても、かなり前からニュースなどで報じられていましたが、当時の僕は強い関心を持つこともありませんでした。僕が関心を持つきっかけになったのはボクシング世界チャンピオンの人たちが「袴田事件の冤罪」を訴えるデモ行進をしていたことです。世界チャンピオンの人たちがデモ行進をした理由は、袴田さんがボクサーだったからです。当時はボクサーというだけで世間から白い眼で見られることもあったらしく、そうした先入観が逮捕に影響している、と世界スーパーウェルター級チャンピオン・輪島功一さんが話していました。偏見ほど人権無視と結びつくものはありません。
村木事件をきっかけに「取り調べの可視化」が導入されたのですが、「すべてが可視化」されているわけではありません。それを「後悔している」と冤罪事件の被害者である村木さんが話していましたが、僕はこれだけ冤罪事件が起きている中で検察内部の人たちから改革の声が上がらないことが不思議です。
例えば警察の取り調べにしても「すべて」を可視化していたなら、防げた冤罪があるように僕には思えるのですが、素人の戯言なのでしょうか。話は少し逸れるかもしれませんが、今メジャーリーグで大活躍している大谷選手は開幕当初、通訳の水原さんが賭博で逮捕される事件に見舞われました。それに関して日本でも報じられていたのですが、僕が不思議だったのは、その水原さんは日本とは違い身柄を拘束されるわけでもなく自由に動き回っていられることでした。もしかしたなら「自由に」ではないのかもしれませんが、日本のように身柄を拘束されているわけではありません。この違いはかなり大きいものがあります。
そうした制度も含めて、検察官自らが「本当に公平な検察」にする発想を持ってもいいように思います。今の制度はあきらかに警察・検察に有利な制度になっています。それが一般社会とはかけ離れた感覚にしているように映ります。検察を退官したあとの弁護士の立場になってから検察の問題点を指摘する記事などは読んだことがありますが、どうして検察在任時にそうした行動を起こさないのでしょうか。それが不思議でなりません。
警察や検察は人ひとりの人間を拘束する権力を持っています。ほかの人がやったなら犯罪であることを堂々とできる権力を警察や検察の人は持っています。その絶大な権力を持っているからこそ権力を正しく使えるように改善してくのが権力を持つ虎の義務ではないでしょうか。
じゃ、また。