<メルカリからメルケル>

pressココロ上




僕には今、気に入っているテレビCMがあります。それは積水ハウスのCMなのですが、積水ハウスにはCMに「〇〇篇」といったような幾つかの種類があります。その中で僕が好きなのは「グリーンファースト ゼロ「午睡の夢」篇」です。リビングルームのソファで気持ちよさそうに横になって寝ている20代後半と思しき女性に、父親らしき人がゆっくりと近づいてそ~っと上掛けをかけてあげる」30秒のCMです。
たったこれだけのCMですので、見ようによっては「リビングルームで女性が寝ているだけのつまらない映像」ということになります。なにしろ出てくる場面はリビングルームだけで、登場するのは横になって気持ちよさそうに寝ている女性とその父親らしき人がCMの最後のほうにほんの僅か出てくるだけです。しかも、この男性は顔もほとんど映りません。ただ画面左から出てきて上掛けをかけて左に戻るだけです。
この映像を見て想像できるのは、どこかに嫁いだ娘さんが久しぶりに帰省してゆったりとくつろいでいる光景です。普段の生活で緊張している気持ちが生まれ育った家に戻ったときに、つい心が落ち着いてゆったり休んでいるのです。父親らしき男性がそ~っと上掛けをかけてあげるところに娘を思い遣る気持ちがあらわれています。
しかし、もしかしたならまだ嫁いでいないのかもしれません。毎日の仕事でプレッシャーに押し潰されそうになっている娘さんが休日に緊張から解き放されゆったりと心を落ち着かせているようにも見えます。どちらにしても、自分の生まれ育った家だけが、心を落ち着かせることができる場所ということを表しています。積水ハウスさんが、「自分たちはそのような家づくりを目指している」という意図が伝わってくるCMです。
これほどシンプルであるにもかかわらず、企業の思い、姿勢が伝わってくるCMを作った制作の方々の素晴らしさに感動しています。基本的にCMは広告代理店が作りますが、採用の可否を決めるのは企業です。ですから制作の方々と同じくらい、企業の担当者ならびに経営陣にも感動しています。
どんなに素晴らしいCMを作ろうとも採用されなければ日の目を見ることはできません。CMの価値を決めているのは企業です。さらに突っ込んで言うなら経営者です。仮に、経営者がCMに関して全く関与していないとしても、それはそれで凄いことです。なぜなら、自分の感性よりも担当者のセンスを信頼しているからです。そうした考えを持っていること自体が素晴らしい感性の持ち主であることを示しています。
経営者が担当者にすべてを任せるというのは簡単なようでいて、実は容易ではありません。なぜなら、経営者は最終責任を負うのが使命ですのでどうしても一言二言言いたくなるからです。実力者経営者とかワンマン経営者と言われる人ほど自分の意見を通そうとする人が多いようです。しかし、「自分の意見を通そうとする」ことと責任を負うことは別物と考えている経営者もいます。
東日本大震災のときの原発事故に関する裁判について報じられていました。当時の実力者であった東京電力の会長が「現場に責任がある」と発言したそうです。「経営者は結果がすべてである」と喝破したのは経営評論家の三鬼陽之助氏ですが、その言に照らしますとこの会長は経営者として失格です。
先日も東京電力はツイッターに「#工場萌え」と投稿して物議を醸しましたが、その鈍感さに落胆させられました。まだ避難者が5万人以上おり、復興半ばである今の時期にこのような投稿をする感性が現在の東京電力の姿勢を表しているようにも思え、残念です。
以前は広告と言いますと、テレビCMや新聞またはラジオ、雑誌などでしたが、今はSNSも立派な広告になっています。その意味で言いますと、企業が安易にツイッターを利用するのは危険です。
わざわざ言うまでもありませんが、広告が企業の命運を決めると言っても過言ではありません。ですから、企業は広告代理店に高額なお金を払ってでも優れた広告を制作してもらおうとします。しかし繰り返しになりますが、最終的に決めるのは企業であり、経営者です。
今、日経ビジネスでは堤清二氏の特集を組んでいます。堤氏の本が出版されますので宣伝の意味もあるのでしょうが、読み応えのある記事です。ネットで無料で読むこともできますので経営や広告に興味のある方はお読みになってはどうでしょうか。実は、僕は積水ハウスの広告の素晴らしさを感じるたびに堤清二氏を思い出しています。また、今回の東京電力会長の責任回避の発言を聞いたときも、僕が真っ先に頭に浮かんだのは堤清二氏でした。
今から10年以上前にこのコラムで書いた記憶があるような気がしますが、「堤氏ほど潔い経営者はいない」と僕は思っています。堤氏は西武百貨店を成功させ、パルコを作り無印良品を作り、文化的発信も行っていた経営者です。ちなみに、ご存知の方も多いでしょうが、作家・辻井喬としても活躍していました。
その堤氏は第一線を退いたあとにもかかわらず、創業者の責任という意味だけで関連グループの負債に対して個人資産を投じてまで弁償しています。第一線で活躍しマスコミからちやほやされているときは雄弁に語っていた経営者が業績の悪化とともに責任逃れをする例をたくさん見たことがありましたので、その正反対の行動をとった堤氏に尊敬の念を抱いた次第です。
堤氏は広告の先駆者でもあったように僕は思っています。コピーライターを世の中に認知させたのも堤氏のように思います。コピーライターと言って真っ先に思い浮かぶのは糸井重里さんや仲畑貴志さんでしょうが、この方々を引き上げたのは堤氏です。言うなれば、コピーライターという職業が世に出る土壌を作ったと言えそうです。大げさに言うなら、堤氏は広告に文化を吹き込んだ人とも言えるように思います。
これだけ影響力のある広告ですので、是非とも社会をよい方向に向かうような仕事をしてほしいと思います。ポピュリズムが蔓延る社会は危険です。実は、堤氏は東大時代に共産主義に傾倒した時期がありました。その時期に一緒に行動していたのが読売新聞の渡邉恒雄氏や日本テレビの氏家齊一郎氏です。のちに転向しましたが、心の中では資本主義に対する疑念があったように思います。
広告は使い方によってはポピュリズムを作り出すことができます。トランプさんがあれだけ批判されながらも一定の支持率を得ているのは広告の力だと言っても過言ではありません。今、世界は自国第一主義になりつつあります。世界全体が「自国ファースト」に突き進んでいます。そのような世界にならないような広告が作り出されることを願っています。そのためには広告を作る人たちが「他人を思いやる気持ち」になることが一番目です。
ドイツのメルケリ首相が引退するという報道を見て、世界中が他人を思いやる気持ちがなくなていることに少し不安になっている今日この頃です。
実は、本当は今週のコラムは先週はじめましたメルカリについて書くつもりだったのですが、なぜかドイツのメルケリ首相が党首辞任のニュースに気持ちが動き、それが堤氏に移り、このようなコラムになりました。メルカリで9千円の売上げがあったのですが、そのお話はまたいつか。
じゃ、また。




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